3 もはや正真正銘、ボディガード

 目当てのものが見つからなかった落胆より、かすかな罪悪感がクドーに残った。

 勝手に見たルシアのバインダーファイルは、なんの変哲もないものだった……と思う。少し、自信がない。

 リウがルシアをキッチンに引き止めてくれたものの、わずかな時間しかなかった。

 急いでテレビ台の下から出したバインダーファイルを、傷めないよう、かつ大急ぎで繰る。

 なんの発見もないまま、あっという間に時間が過ぎる。キッチンから戻ってくる気配がする。急いで元の場所に戻し、窓際へと離れた。

 証拠品を早く手に入れたい本部の意向に、いちおう従った。これでリリエンタールの顔も少しは立つはず。副分署長として残ってもらいたかった。

 乱れる鼓動を戻そうと、クドーは窓の外を見渡した。

 夕闇を背景に、無機質なコンクリートのシルエットが広がっている。

 密集した歪な建物群は美しくはない。けれど、クドー自身もふくめ、住んでいる人間にとっては大切な住処すみかで、好きな場所だった。

「窮屈だと思いますが、部屋の外に出るのは、このまま控えてください」

 丸い金属製のトレーを手にしたリウが戻ってきた。どこからか三本脚のスツールを出してきたルシアが続く。

「わかってる。さっきマリアとそんな話をしてたとこ」

 リウが一瞬だけ目を合わせてきた。

 ——マリア呼びされるまで、もう親しくなった?

 小さくサムズアップしてみせた。

 クドーとしては、本来の気質と、コミュニケーション能力高めなミナミ現地民クオリティの合わせ技といったところ。

 大きさもデザインもバラバラな陶器のカップに入れた水を、リウがローテーブルにおいた。

 スツールを見たクドーは、ルシアが座っていたキッチンチェアにすわった。ルシアはそのままスツールにすわる。革ソファをリウに進呈した。



「さっきの話、用心するっていうのはわかってるよ。あたしが働いてる店、裏で仕切ってるのが<モレリア・カルテル>の連中だから、あいつらのやり口は、聞く気がなくても耳に入ってくる。組織の妨げになる人間は、スプラッター映画さながらの酷い殺し方をするって」

 ルシアは、目の前の警官を脅すつもりで言ってみた。このパトロール巡査ふたりが味方だとしても、モレリアの連中に対抗できなければ意味がない。

「単純ですね。残忍さをアピールして、精神的に先ず支配下におくという」

 淡々と応えるリウに訊き返した。

「で、どうなの? 上から目線な言い方するけど、そんなのが相手でも平気?」

 傷痕やタトゥーが、見掛け倒しということもありうる。無意識にルシアの手はバングルを撫でた。

 その手元を見たクドーが提案してきた。

「護るんが警ら巡査ふたりじゃ、不安で当然やもんね。あたしの防弾ベストつけとくのはどう? サイズはぎりぎり、いけるはずやから」

「マリアはどうするの?」

「あたしは、こんなでも警官やもん。自分が怪我するより、護られへんかったほうが怖いよ」

 ルシアは、小さくため息をついた。

「怪我する前提で聞かされて、OKできるわけない」

「そこに気ぃ遣われると傷つくんやけど」

「それに、着なれないものつけてたら動きが鈍くなるじゃない。走んなきゃいけない場面でバテたら笑い話にもなんないよ。しっかり護ってね」

 からから笑ってみせた。

 強がって笑ったのには訳がある。

 ステージに上がるようになった最初、緊張でロクに動けなかった。その次からは、強張った顔を手でもみほぐし、無理やり笑顔をつくって出たら動けるようになってきた。

 あのときと同じなはずだ。

 笑っていれば今の難題をクリアして、またダニエラに会えそうな気がした。



 から元気かもしれない。

 ルシアの気分をほぐしたくて、クドーは話題を明るくなりそうな方向にかえた。

「ダニエラさんと知り合ったんは、ルシアの職場でなん?」

「<モレリア・カルテル>が店を仕切ってるって言ったでしょ? ダニーも時々きてた。ステージの上から結構よく見えるんだ。客席のすみで商談みたいなこともやってたよ。そのうちボスの息子のひとりが言い寄ってくるようになって、かばってもらったのが親しくなったきっかけ」

「息子はたしか……」

 副署長室で聞いた情報を思い出す。

「フレデリーコ・デルガド=ドゥアルテ? それとも弟のラミロ・デルガドのほう?」

「フレデリーコ、兄貴のほう。ダニーとは、もとから折り合いが悪かったみたい。普段から言い争ってること、たまにあったし」

「ダニエラさん、ボスの息子と言い合いができる立場なんや」

「フレデリーコの顔を立てつつ、言うべきことは言ってた感じ。あと、ダニーは中堅クラスってとこだけど、陰で支持する構成員もそれなりにいたんだって。ダンサー仲間からの、また聞きだけど」

 情報提供者になる以前から、ダニエラ折場の立場は微妙だったようだ。

「この家はダニエラさんのもん?」

 トラブルが大きくなることに備えて、隠れ家的な場所を用意していたのかと思ったが、ルシアは首を横にふった。

「ツテで借りたんだって」

「モレリア関係? 陰で支持してる構成員からとか」

 これもルシアは否定した。

「あたしも一度だけ会ったことある。カタギの人だった。今度の情報提供するのにも、その人が助けてくれたんだって。けどさ」

「なんでその人は助けてくれたんやろな」

「そう! それなの」

 犯罪組織かからんでいても、助けてくれる人間がいないわけではない。が、奉仕活動や知人でもなければ、何かしらの思惑があると考えたほうが自然だった。

「あたしの思い違いかもしれないんだけど……」

「ええやん。言うてみて」

「その助けてくれた人、レストランのオーナーさんでさ。あたしの仕事を知っても、ていねいな物腰が崩れなかった。

 そんな人だけど、目元がカタギに見えなかったんだよね。あたしみたいな商売やってると、どんなに優しくされても、そのスジの人間はわかっちゃうんだ」

 リウがわずかに反応している。相方に訊いた。

「なんか思い当たることあるん?」

「……あとで話す。空き缶か、空き瓶ありますか?」

「缶も瓶もあるけど、なにするの?」

 ルシアは、要望に応えるために立ち上がった。

「〝歓迎〟の用意でもしておこうかと。丈夫な糸か、テグスの類もあれば」

「なんかわかんないけど、手芸用のワイヤーならある。アクセサリーキット持ってきてるから。そんなのでもいい?」

 ルシアが取りにいき、警官ふたりになったタイミングでクドーは訊いた。

「助けてくれた『カタギ』の人、もしかして——」

「折場がやろうとしていることからなら、考えられないことはない」

 思い浮かんだのは、リウが警官になる以前から付き合いがある人物だった。

 ミナミではひとかどの名士で、クドーも何度か会ったことがある。しかし、アンタッチャブルなところを感じさせる人間で、リウが話そうとしないことで確信になった。

 もし「カタギ」なる人物がクドーの予想どおりなら、それなりの事態になるかもしれない。

 その考えに賛成するような台詞が、リウからきた。

「高城さんに着替えるよう言ってもらっても? できれば、肌の露出を少なくして」

 リウが言っているのは、外出にふさわしいファッションではなく、皮膚の保護だ。涼しさを二の次にすることになるが、

「わかった。あとバインダーファイルに、それらしいもんは見つからんかった」証拠品のことを話しておく。

「ただ確かめる時間が短すぎて、なかったとも言い切れへん。カセットテープもルシアは知らんて言うてた。けど……」

「嘘かもしれないと」

「うん……って、なんでそう思うん?」

「全面の信用をもらっているとは思えない」

「まあ、そやんな。さっき、あんたが声かけたときのルシアの驚き方。背後にいきなり人おったら、びっくりするけど、あこまで驚くことないよなぁ」

 家に入れるまで、あれだけ警戒していたのだ。玄関先のやり取りだけで納得してもらえたとは思っていなかった。

「洗濯物が乾くの待ってる警護役でええのに」

 検察の迎えがくるまでの留守番相手のつもりだったのに、悪い状況しか見えてこない。

「準備してくる」

 空き缶をもらいにいくリウの背中を見送った。用途不明の吊るし物でおわりますように……。



 ベッドルームに入ったルシアは膝に手をおき、大きく息を吐き出した。

 ——そのバインダー見てもかまへん?

 バレるかと思った。

 もちろん、すぐにわかるようにはしていない。バインダーファイルの最初のほうは、無難なものしかなかった。場末といえどステージ稼業だから、表情をつくることにも慣れている。

 とはいえ、経験のない場面に緊張しかなかった。

 ファイルを見せない手もあった。プライベートなものだと言えば、クドーは引き下がるしかない。

 承知で見せたのは、ダニエラ以外にも、やってきたことを認めてもらいたかったからだ。足掻いて重ねてきたこれまでは、無駄ではなかったと。

 そして、重要な秘密をひとりで守ることが、これほどきついとは思わなかった。分けあって持つ人間がほしかった。

 ただ、クドーたちの印象は悪いものではないとはいえ、百パーセントの信頼とまではいかない。すべてを預けるのは不安だった。

 検察からの迎えにしても、その人だって〝安全〟なのか……。

 人に会うたび警戒を強いられる状況。緊張と不安で神経が摩耗する。命綱のない綱渡りをしている気分。

 こんな状況でも耐えられるのは、ダニエラの命綱をルシアが預かっていることにつきた。

 なんとしてでも守りたい。


 ひとり屋上に出たリウは空き缶を手に、塔屋へと足をむけた。

 屋上に上がってきた地点からの視界をもう一度確認。それから周囲へと視線をめぐらせた。

「カタギ」の人が、この部屋を潜伏場所として紹介した理由がわかる。


   *


 ビジターカードをつけた劉立誠リウ・リーチョンは、パク巡査部長の先導に従ってフロアを歩いた。

 南方面分署は第のオフィスといっていいほどなじんでいる。ひとりでも不自由はないのだが、おとなしくしていた。

 パク巡査部長とは、何度となく顔を合わせている。どれだけの年数を経ても、古参の巡査部長の態度が、機械的なものから変わることはなかった。

 フロアに入ってすぐ、リリエンタール副署長を見つけた。ガラスを大きく組み込んだパーテーションの中にいる。

 あのスペースが副分署長室として機能しているのを見るのは、ずいぶん久しぶりだ。

 本部から指示することもできたはずなのに、場末といわれている分署にまできた。驚くより、どこか納得できるところがあった。

 立誠は、手にした紙袋を意識する。

〝手土産〟の受け取り方で、リリエンタールのスタンスがさらにわかるだろう。

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