2.男を買う女

 七海が話を続ける。店の奥からコーヒーのいい香りが漂ってきた。


 「恭一さんが浮気したって言うんならともかく、恭一さんは会社から期待されてるエリートで、いろいろなお仕事を任されて忙しいんでしょ。やっぱり男は仕事よ。それに、恭一さんはお金持ちの一人息子でしょ。鮎美、あんたねえ、何不自由ない暮らしをしていて、セックスレスで悩んでいるなんて言ったらばちが当たるわよ」


 私はため息をついた。


 「七海の言うことは分かってるんだけど・・でもねえ・・何だかね。何カ月も恭一と・・してないとね。心に空洞ができちゃったみたいで、とっても苦しいのよ」


 七海がまた私の顔を覗き込んだ。


 「だからね、鮎美。そんなときはお金で男を買えばいいのよ。恋愛をするといろいろと大変だからね・・お金で買えばそのとき限りだから、後腐れはないわよ」


 私は声を落として聞いた。


 「男を買うって、簡単に言うけど・・あなた、その・・買ったことがあるの?」


 七海がまた顔を少し右に傾けて、いたずらっのように笑った。


 「ええ、まあね」


 私は驚いた。そんな話は七海から聞いたことが無かった。


 「まあ、あきれた。あなた、買ったことがあるのね。七海、あなたこそ、浅草の老舗の佃煮屋さんの若女将じゃないの。どうしてそんなことをする必要があるのよ?」


 七海はあっけらかんと答えた。


 「別に理由なんてないよ。男とセックスするのに、いちいち理由なんていらないでしょ」


 「それは、そうだけど・・戸田君はおうちで商売をしてるんだから・・その・・してるんでしょ?」


 戸田君とは戸田隆司。七海の夫だ。


 「そうね。だいたい週に一回・・忙しいときは二週間に一回というところね」


 「それなのに・・どうして?」


 「だから、理由なんてないわよ。戸田は週一回か二週間に一回で満足してるけど、私は満足できないのよ」


 「じゃあ、あなた、どのくらいの頻度で・・その・・男を買ってるわけ?」


 「だいたい、月に二回か三回かなあ。多いときは・・そうね、月四回というときもあるわね・・」


 「月四回ですって・・あきれた女性ひとね。あなた、いつから・・買ってるの?」


 「最初はOLのときよ。だけど、OL時代はお金がないでしょ。だから、頻度は少なかったのよ」


 「OLのときからなの! お金って・・いくらぐらいするのよ?」


 「あっ、やっぱり鮎美も男を買いたいんだ」


 私はあわてて首を振った。


 「そんなことないよ。七海がお金のことを言うから、話を合わせて聞いただけじゃないの」


 七海が私の顔をまた覗き込んで笑った。


 「どうだか? 鮎美、あやしいわね・・でも、心配いらないよ。鮎美や私のようにある程度お金にゆとりがあれば、男なんていくらでも買えるよ。お金はいろいろだわ・・私が使ってるところは、相場はなくてね。女性がそのにいくら出せるかを決めるのよ。入れあげてるだったら、一回に何十万も出す女性ひともいるみたいねえ。まあ、普通のだったら、一回に3万から5万ってとこかな」


 「・・・」


 「じゃあね。鮎美。物は試しよ。私が教えてあげるわよ。どうせ今日はあなた、ヒマなんでしょ。じゃあ、お昼を食べて、一緒に行ってみようよ」


 「えっ、行くって・・どこに?」


 「決まってるでしょ。男を買いに行くのよ」


 そのとき、私たちのテーブルの横に若い女性の三人組が座った。なんともかしましい。それで、七海と私の会話は自然に一時中断になった。


 「美香ちゃんは2組だったわね。入学式のときに見たけど、2組の担任の矢野先生って若いしハンサムじゃないの」


 「そうなのよ。うちの美香はすっかりファンになってね。矢野先生のお嫁さんになるって言ってるわ」


 「ははは。じゃあ、うちの健太は美香ちゃんに振られたわね」


 「あら、健太君は美香ちゃんが好きだったの?」


 「それがね、ねえ、ねえ、ちょっと聞いてよ。入学式のときにさあ・・・」


 私は呆然と三人のママ友たちの会話を聞いていた。おそらく、今年、子どもが小学校に入学して知り合ったのだろう。


 三人のママ友たちのテーブルには日常があった。その横で、七海の男を買う話を聞いていることが、私にはすごく異質なことに思えた。まるで、七海と私の座っているテーブルだけが初夏の明るい喫茶店の中で浮かび上がって、周囲から隔離しているような気がした。


 そんな隔離感が、私に昨日の夜を思い出させた。

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