05 R-七年越しの初めまして


「で、では、お二人は間違いなく、あの『百合乃婦妻』なんですね!?」


 鼻息荒く生徒に詰め寄る和歌のその姿は、とても教師がして良いものではなかった。


「ええ、まぁ、はい……」


「わたしがミツでー」


「私がハナ、です」


 若干引き気味に答える華花と蜜実の二人。 


「くはあぁぁぁぁぁぁ!!!!本物の、百合乃婦妻が、リアルで、今私の目の前に!!」


「美山先生――?」


「あ、はいすいません、つい……」


 さらにボルテージが上がりかけた和歌を諫めたのは、つい先ほども彼女を死ぬほど叱りつけた大和 彩香。パンツスーツが映える、すらりと伸びた高身長。ダークブラウンの髪を後頭部でシニョンにし、そのまなざしは黒縁メガネ越しでも鋭く光る。どこか威圧的ですらある外見が相対したものに与えるイメージはまさしく、THE・厳格女史。

 事実彼女は、学内では生徒だけでなく、教員にすら恐れられる学年主任であった。


「美山先生が、お二人並びに二年二組の生徒たちに、多大な迷惑をかけてしまったことに関しましては、学年主任として大変申し訳なく思っています」


 とはいえ、教員側の不手際にしっかりと頭を下げられるあたり、その厳格さが決して理不尽なものではないことは伺えるのだが。


「ですが、仮にも授業の最中であるにも関わらず、人目も憚らずに過度なスキンシップを取るというのも、あまり褒められた行為ではありません」


 自他どちらにも公正である、ということはつまり、言い換えれば生徒側への言及もしっかりする、ということである。


「その点に関して、お二人とも今後は十分に注意してください。特に貴女方の場合は、周囲への影響が少なからず有りますので」


 ぶっ倒れた和歌、イノシシに轢かれた麗を筆頭に、二年二組では二人に当てられ様子がおかしくなったものが多々おり。

 今回の騒動は最終的に、彩香女史ほか数名の教員がそれらの対処に当たる、という事態にまで発展していた。


「その、色々とご迷惑をおかけしてしまったみたいで……」


 完全に自分たちだけの世界に没入し、周りが見えていなかった二人としては、ふと気が付けば何やら大変なことになっていたという認識であり……こうして生徒指導室に連れてこられ、ことのあらましを説明されて初めて、状況を理解した次第であった。


 いわゆる「また私たち、百合百合なにかしちゃいました?」というやつである。


「すみませんでした」


「ごめんなさい」


 いまいち自覚はないものの、迷惑をかけてしまったのだから今後は気を付けよう……そう思う程度には、両者ともに反省の意を抱いていた。

 実際に自重出来るかは別問題なのだが。



「よろしい。では、指導はなしは以上になりますが」


 とりあえず、何はともあれ一段落であり、これにて指導もお開きと、彩香女史は座っていたソファから立ち上がった。


「トラブルから立て続けにここまで連れてこられて、お二人も少々混乱していることでしょう」


 名残惜し気に腰を上げる和歌を横目に睨みながら、華花と蜜実には座っているようにと身振り手振りで示す。


「しばらくここで、休んでいっても構いませんよ」


 積もる話もあるでしょうし、なんていう言葉は口には出さず。あくまで気を落ち着かせるため、という名目で。


「私たちは隣の職員室におりますから、退出の際に声をかけてください」


 彩香女史は、凛とした佇まいを最後まで崩すことなく、僅かな間に教師として様々なものが崩壊してしまった和歌を連れ立って、指導室から出ていった。



「「…………」」



 そうして華花と蜜実はようやく、本当の意味で、現実世界で向き合うこととなったのだが。


 自分の右側、同じソファに並んで腰かける蜜実を、華花はどこか、緊張したような面持ちで見つめる。


(どうしたんだろう……)


 蜜実はとんでもなく可愛いらしい。何よりも愛おしい。

 それは華花にとって絶対不変の事実であり、七年の時を経てその素顔を目の当たりにした今でも、決して揺らぐことのない真理である。


 ……真理である、の、だが。


(なんか、変……変だよ私)


 背丈も体格もゲーム内のアバターと大差なく、顔つきも、こうして見れば『ミツ』の面影を感じるようなそれ。目尻の下がった柔和な瞳や、色と長さは違えど緩く巻かれた髪の毛など、彼女は紛れもなく最愛の人で、毎日一緒にいる一心同体の少女である、はずなのに。


(どうしよう、どきどきして、心臓が痛い……!……顔が、熱い……!)


 胸の鼓動があまりにも早い。早鐘というにも早すぎる。

 心臓ココロの最大出力によってとんでもない勢いで血液が送り込まれ、華花の脳は、高速回転を超えオーバーフローを起こしてしまう。このまま自分は心不全で死ぬんじゃないか……なんて、意味不明な考えがよぎるほどに。

 それほどまでに、異質な高揚。


(授業のときは、いつも通りだったのに……!)


 そう、今感じているそれは、先ほどバーチャルなセカイで感じていた高鳴りとはまるで違うヒートアップ。


 なんで、こんなにも。どきどきして。ぞくぞくして。浮足立って、背中が粟立って、落ち着かないんだろう。髪の毛先までじっとしていられなくって。心臓の最奥までもが、きゅうっと締め付けられるような。

 身体が勝手に動き出してしまいそうで、でも、関節が錆び付いたようにすら感じてしまう。


 全然慣れない、けれども、決して初めてではない、この感覚は。


(これじゃ、まるで――)



「――まるで、ハーちゃんが好きだって、初めて気付いたときみたい」



「っ、私もっ!」


 思わず声を張り。


「私もそう……あのときと、ミツと、同じ気持ち」


 気付けば、手を握っていた。



「うん。おんなじ、だねー」


 華花の方から、覆いかぶさるようにして握られた両の手。絡み合う指先を発端に、蜜実は自分の体中が鋭敏になっていくの感じた。

 それは表皮だけでなく、内側にまで及ぶような。深く深く、奥へ奥へと駆け抜けていく感覚。

 全身の血の流れ、血管の内側までもが鮮明に感じられて。今なら、自分の中を駆け巡る赤血球の数だって数えられそう。いや、さすがにそれは無理かな。

 でも、赤血球の数は数えられなくても。細胞一片一片が言いたがってることなら分かる。


(ハーちゃんがすき。だいすき)


 伝われと、そう思いながら、より強く指を絡める。

 接触によって剥離した細胞片を伝って、愛を囁くよりも早く。大好きだって伝われ。


(私も、大好き)


 ぎゅうっ、と。

 唇を開くよりも先に、手が握り返された。強く、強く。まるで、お返しと言わんばかりに。指先から熱と共に「大好き」が流れ込んできて、それだけでもう、感情が振り切れてしまう。振り切れた「大好き」がまた、指を伝って送り込まれていくのが分かるでしょ?

 これがいわゆる、等価交換の法則ってやつ。もしくは、質量保存の法則?まぁ、なんでもいいや。


 握った指の圧力で、血流が際限なく加速しているんじゃないか……与えられる熱があまりにも甘やかで、排熱を放棄し湯立ちきった蜜実の脳は、そんな荒唐無稽な妄想をしてしまうほどに、駄目になっていた。


 二人とも、頭は駄目になってしまっている。

 でも、それがどうした。わたしたちには、欠片ほどの不都合もないじゃないか。


「「…………」」


 言いたいことは、いっぱいあるけれど。

 口に出すべきことは、精々これくらい。


「……華花ちゃん」


「……蜜実」


 リアルで会うだなんて、考えてもみなかった。

 だって、もう十二分に満ち足りていたから。



「「……初めまして。これからも、よろしく」」



 でも今日、満ち足りた世界が、二つになった。




 ◆ ◆ ◆




「あー……今となりの部屋で百合乃婦妻がイチャコラしてると思うと、仕事なんて手につかないですよ……」


「美山先生、公私はきちんと分けて考えてください。私達が『先生』である以上、彼女達も『生徒』なのですよ」


「それは分かってますけどー……」


「分かっているなら手を動かす。この分だと貴女、今日は残業ですよ」


「はーい……」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「……それはそうと」


「……なんですか?」


「昨晩のバディ限定大会バディカップ決勝、S席からの公式観戦データを購入してあるのですが」


「さぁ何やってるんですか大和先生!!さっさと仕事終わらせますよ!!」


「せめて始末書くらいは今日中に書いてくださいね」


「始末書了解ィ!!!」

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