第6章 モブ令嬢はその恋を貫く
第27話
「……んん」
「ティナッ!」
真っ暗闇のような夢から、少しずつ明るい方へ意識が向かっていく気がした。喉から変なうめき声が出てしまい、それに反応したのかまるで悲鳴のような、私の名を呼ぶ声が聞こえる。身じろぐと、頭だけじゃなくて全身がずきずきと痛む。私はそれに堪えならが、ゆっくりと目を開けた。白い天井と、柔らかな光。
「ティナ! 父さん、母さん、ティナが目を覚ましました!」
若い男の人の声が聞こえる。目を凝らしてその人の顔を見ようと思ったけれど、それよりも先に誰かが私に飛びついてきた。お母様だった。
「ティナ、ティナ! 良かった、もう目を覚まさないかと……」
「本当に良かった、痛むところはないか?」
お母様が私の手を強く握り、お父様はそっと私の肩に手を置いた。温かいぬくもりがじんわりと体に染み渡っていく。
「……体が、ちょっと」
「そうか。ひどい目に遭ったのだから仕方ない、でもこうして生きていてくれて本当に良かった」
「本当にびっくりしたんだぞ。……家に戻ったら、ティナが暴漢に襲われたって聞いて」
私はその声の方にぎこちなく顔を動かす。そこにいたのは、もうずっと見ることのなかったお兄様だった。
「お、お兄様?」
「なんだ、幽霊でも見つけたような顔をして」
私がお兄様に向かって空いている手を伸ばすと、お兄様はその手を握ってくれた。
「何があったか、覚えているか?」
「少し……。ここはどこなの?」
「病院だ。アルフレッド様がティナを助けてくださったんだ!」
「アルフレッド……?」
あの時見た姿は、私が見た幻覚じゃなかったんだ。
まだぼんやりとしている私に、お兄様が何があったのか教えてくれた。人さらいの一味に誘拐されてしまった私を助けてくれたのは、アルフレッドとその近衛兵たちだった。王宮直属の病院に私を運び、実家に連絡をしてくれたのもアルフレッド。それを聞いて、両親とお兄様は急いで駆けつけたらしい。
「ティナを誘拐していた奴ら、どうやら最近多発していた誘拐事件や人身売買にも関与していたらしい。今取り調べをしている最中だと、アルフレッド様が教えてくれたよ」
彼らの処罰はとんでもなく重たいものになりそうだ、とお兄様は付け加えた。
「その一味のリーダー格、ティナの学園の同級生だったと聞いたが、本当か?」
きっとイヴの事だ。私はお兄様の言葉に頷くと、お兄様は「そうか……」と顎のあたりを擦った。私はあの時のイヴの目を思い出す、今まで見てきたものの中で一番恐ろしい目をしていた。それを思い浮かべるとぞっと体が震える。
「……そいつはティナの事を、もっとひどい目に遭わせるつもりだったって取り調べで話しているらしい。どうやら個人的な恨みがあったとか……ティナには心当たりはあるか?」
私が口を開こうとすると、お母様が「やめて!」と甲高い声で叫んだ。
「ティナは目覚めたばかりですよ! そんな取り調べのような事はしないで!」
「ご、ごめん、母さん……」
「大丈夫よ、お母様」
お母様はボロボロと流れる涙を拭うこともせず、ぎゅっと私に縋り付いていたままだった。
「そうだ、目を覚ましたら連絡してほしいと殿下が言っていたな。ちょっと電報と打ってくる」
お父様は私にゆっくり休む様に告げて、病室を出ていった。
「……でも、どうしてお兄様がここに?」
目を覚ましてからずっと不思議で仕方なかったことを尋ねると、お兄様は小さく笑った。
「それも、アルフレッド様のおかげなんだ」
「……え?」
「ある日、突然俺のところに訪ねてきたんだ」
お兄様はとても驚いたと話していた。皇太子殿下が借りていたアパートに、供も連れずにやって来た。驚き過ぎて持っていたマグカップを落として割ってしまったくらい。
「そして説得されたよ。家に戻ったらどうか、と。今実家ではティナが家を継ぐために見合いをしていて、変な男に騙されそうになってるとか、色々教えてくれたよ。……もし恋人とのことでわだかまりがあるなら、間に入って両親と話をしても構わないとまで言い出すんだ。どうしてここまでするんだろうと思っていたんだけど、それからしばらくもしないうちに、彼女が病気になってしまって」
「え? だ、大丈夫なんですか」
「ああ、もちろん。少し入院したけれど、流行りの風邪をこじらせて肺炎になってしまってね。その時恋人を助けてくれたのが、うちの会社で作っていた薬だった。今まで家業についてなんとも思っていなかったけれど、初めて感激したね。こうやって何人もの人を助けてきた薬を作っていたんだって」
お兄様はぎゅっと自身の手を握り、その握りこぶしを見つめた。
「だからこそ、続けていかなければと思えたんだ。俺が続けて、それを後世につなげていく必要がある。そう思って家に帰ろうとして、アルフレッド様に仲立ちを頼もうとしたら、ティナが病院に運ばれたと聞いて、慌てて帰って来たんだ。……彼女も一緒に」
「彼女?」
私が聞き返すと、お兄様は席を立った。出入り口に向かい、誰かを呼ぶ。そこには見たことのない女性が立っている。年の頃合いはお兄様と同じくらいで、細くて色白で、どこか品を感じる、そんな女性だった。彼女は病室に入ることなく、その手前でお辞儀をした。
「紹介するよ、ティナ。お前の義理の姉だ」
「お父様は認めたのですか?」
「アルフレッド様に説得されて渋々と言ったところだけどな。結婚する前に、色々社交界のマナーを学ばせなければいけないって文句言っていたよ」
そう言ってお兄様は、お義姉様と見つめ合って笑う。幸せそうな二人を見て、私はほっと胸を撫でおろした。
「そうなんですね。良かったです」
「もうお前も無理やり見合いをする必要もなくなる。アルフレッド様から色々話を聞いたぞ。アーノルド家のご子息とか……」
「もう! 変な事ばかり教えるんだから!」
私が怒る様子を見て、お兄様は「もう問題なさそうだな」と明るく笑った。電報を打っていたお父様が、お医者様を連れて戻ってくる。
「目を覚ましたら言ってくださらないと」
お医者様は私の様子を見て、そうぼやいていた。頭に巻かれた包帯を取り、傷口をよく観察する。
「痕は残るのでしょうか……?」
お母様は心配そうにお医者様に問いかける。しかし、お医者様の返事は歯切れの悪いものだった。
「目立たないように善処します」
「そんな……」
「大丈夫よ、お母様。髪の毛で隠せば大丈夫ですわ、きっと」
「でも、女の子の体にこんな傷を残すなんて! 許せないわ!」
血の付いた包帯は捨てられて、新しい包帯が頭に巻かれていく。ズキズキと痛むのを訴えると、痛み止めを処方してくれた。薬のパッケージを見るとそれはシモンズファーマシーが開発した薬で、私は小さく笑っていた。もうこれで大丈夫、安心感が私を包み込むと、一気に眠気がやって来た。
とっくに面会時間は過ぎていて、お父様たちが家に帰ってしまった。お母様は私に縋り付いてここに残ると粘っていたけれど、こんな風にべったりと張り付かれたらティナも休めないだろうとお父様に言われ、お医者様や看護師が見てくれるから大丈夫だよとお兄様に説得され、半ば無理やり引き摺られるように帰っていった。部屋の明かりが暗くなると、私は一気に眠りの世界に引き込まれていった。
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