第15話

 これが届いてすぐ、お父様はアーノルドさんのお宅に向かった。こんな不真面目な事ばかりしている息子を紹介するなんて! と憤慨していたらしい。けれど、アーノルドさんのご家族もそれは全く知らなかったらしく、家の中は大騒動になってしまったらしい。お父様は見合いを打ち切ると告げて、そのまま帰って来て、私への電報を頼んでからずっとこの状態らしい。


「どうしてこんなにも、我が家は見合いが上手くいかないのかしら……」


 お母様は写真を見ながらそう呟いた。それらはとても写りがよく、まるでその道のプロが撮ったかのようで……その時、私はハッとした。きっとこれも、アルフレッドのやったことに違いない。今日私と話しをしたがっていたのは、きっとこの事を告げるためだったのだろう。


「もしかしたら……」


 まだ確証はないけれど、私はお母様に打ち明け始めていた。


「去年の暮れから、私、ずっとアルフレッド様に求愛されているの」


 その思わぬ告白に、お母様はあんぐりと口を開けた。確かに、突然娘が皇太子様から求愛を受けているなんて言い出したら、普通の親なら見合いが上手くいかなくて疲れて変な事を言い出したと思うに違いない。


「そ、それは本当なの……?」


 ロマンティストのお母様も、さすがに少し疑っているみたいだった。


「私、ずっとお見合いが上手くいかなかったでしょう? それも潰していたのはアルフレッド様だし、それに新年祝賀パーティーにご招待してくださったのもアルフレッド様なの」


 お母様もパーティーの事を思い出したらしい。


「どうして私なのかはわからないのだけど……」

「ティナ、ティナ、それはとても素晴らしい事だわ!」


 手拭いを放り出し、お母様は私にぎゅっと抱き着いてきた。


「あなたも誰かに愛されているのね、お母様、本当に嬉しいわ」


 その言葉に私は驚く。てっきり、皇太子殿下からのご寵愛を一身に受けていることを喜ばれているのだと思った。私が【家族以外の誰か】から愛されたことを、お母様は嬉しく思ってくれたみたいだった。


「それで、あなたはどうしているの?」

「どうって、ずっとお断りしてるわ!」

「え? そ、それでいいの? アルフレッド様の想いに応えなくて。ティナが殿下と共に生きることを望むなら、お母様は背中を押すわよ」

「そんな! この家はどうなるの!?」


 私が詰め寄ると、お母様が今まで見たことのないくらい、とびきり優しい表情をされた。


「家の事なら心配無用です、お父様がきっとなんとかしてくださいます。ティナ、あなたは自分のしたいようにしなさい。……私はあなたのお兄様にも、同じことを言ったのよ」

「……えっ!?」


 だからお兄様は駆け落ちなんて事を……私は驚きのあまり言葉を失っていた。


「家の事よりも会社の事よりも、誰かを愛し、愛される人生の方がずっと大事よ。私は私の子ども達には、そんな人生を歩いて欲しいの。それはティナ、あなたもよ」


 気づけば、私の目からは涙があふれていた。私の頭には前世の母の事が過る。いつもひとりぼっちで過ごした幼少期。甘えようとしたら邪険にされ、暴力を振るわれて、食事も碌に与えられなかった。何より、誰も私の事を受けいれてくれなかった。けれど、この世界のお母様は違う。柔らかくて優しくて、私を包み込んでくれる。突然泣き出した私を、お母様は抱きしめてくれた。頭を撫でて「大丈夫よ」と言ってくれた。


「お母様もあなたくらいの時に色んなことで悩んだわ。もちろん、恋のことでも」


 まさか自分の娘が前世の事を思い出して涙を流しているなんて思わないだろう。お母様は私が恋について悩んでいるのだと勘違いしていた。私はその手の暖かさに触れながら、ひとたび、決意を新たにしていた。この家を、私はどうしても失くしたくない。こんなに優しいお母様と、お父様が豊かな老後を送れるようにしたい。だからこそ良縁を……アルフレッドには、私の事を諦めてもらおう。どうにかして、説得しよう。


***


 翌日、私は学園に戻った。リリアもすでに戻って来ていたみたいで、無事にイヴと親しくしている様子だった。それを見て私はほっと胸を撫でおろす。


「……殿下、今よろしいですか?」


 私は教室に着くなり、私はアルフレッドの席に近づく。教室がざわめき始めるが、私はそれを無視して話を続ける。


「……なんだ?」


 彼はいつもの「アルフレッドと呼べと言っているだろう」は言わなかった。


「お話があります。あとでお時間をいただけますか?」

「分かった」


 私は放課後、時間を作ってもらい、アルフレッドを人気のない校舎裏に来てもらった。アルフレッドの表情は少し堅苦しく見えたけれど、きっと私の方が強張った顔をしているに違いない。


「あの写真を送ってきたのはアルフレッドよね?」

「あぁ、そうだ」


 やはり、そうだった。


「よくもまあ、あんなろくでもない男に引っかかったものだな」

「あれに関しては感謝しています。私も、あんな人だなんて知らなかったから」


 もしあのまま結婚していたかと思うとぞっとする。しかし、今回の話の本題はそこではない。


「……でも、もう私の事は諦めてください。あなたの戯言に付き合っている暇はないの」


 卒業まであと一年。そして、少しでも若いうちに相手を探しておきたい。そして、何より早く縁談をまとめて両親を安心させたい。私に残された手は、もうこれしかなかった。


「私は、あなたの未来を知っています」


 私がそう切り出すと、アルフレッドはぽかんと口を開けた。私が言っていることをまるっきり信じていない様子で、コイツは何を言っているんだ? 頭がおかしくなったのか? 口に出さずとも、目がそう言っているのが伝わってくる。それでも、私は話を続けた。


「アルフレッドは私以外の、もっと可愛くて優しい女の子とすでに出会っています! そして卒業祝賀パーティーではその子と一緒にダンスを踊って、未来永劫に結ばれるの!」


 未来の『ネタバレ』を早口で言い切った。彼は不思議そうに眉をしかめる。


「それは一体なんだ? そう言えば俺がティナの事を諦めるとでも思ったのか?」


 そう言って詰め寄ってくるアルフレッドから、私は後ずさりして離れていく。


「とにかく! もう決まっていることなの!」


 私はそう叫んで、そのまま逃げだした。


 アルフレッドに追いつかれないように全速力で走り、私は寮まで逃げ込んでいた。


「……わっ」

「ご、ごめんなさい!」


 角を曲がろうとした瞬間、誰かとぶつかりそうになった。私は顔をあげる。そこにいたのはイヴだった。


「あ、この前はありがとうございました。医務室まで連れて行ってもらって……」

「いや、気にしないで」


 私はイヴの姿を見た。あのみすぼらしい彼女の一張羅ではなく、新品の制服に身を包んでいる。私がじろじろと見ていたことに気づいたのか、イヴは「先ほど学園長から頂きました」とワンピースを少しつまんで見せた。


「そう、良かったね」

「ええ!」


 これでベロニカに制服の事で嫌味を言われる事は無くなるはずだ。


「そうだ。お名前聞いてもいいですか?」

「あ、ごめんなさい! 私名乗ってなかったのね……私はティナ・シモンズ。どうぞよろしくね、イヴさん」

「え、えぇ……あの、もう一つ聞きたいことがあって」


 イヴは少し迷っているようだったけれど、私はどうぞと促した。イヴの喉が上下に動き、そっと口を開く。


「アルフレッド様とティナさんは、仲がいいんですか?」

「え?」

「だって、アルフレッド様が医務室に来たとき、ティナさんの事を探していたみたいだったから」


 私はぶんぶんと素早く首を横に振った。


「ただの同級生よ! あなたが考えているような仲じゃないから、安心して!」


 二人の仲をアシストするつもりで私はそう声を張り上げていた。その時、ちくりと胸が痛んだような気がした。


***


「あの転校生、ちょっと調子に乗ってないかしら?」


 近頃、ベロニカさんの機嫌が一段と悪くなってきた。このところマリリンがびくびくと震えていて、私に助けを求めるような視線を向けてくるので、私は仕方なく再び二人と行動を共にするようになった。追放されたくはないから、できればベロニカと一緒にいたくはないのだけれど。


「転校生って、あの子ですよね? イヴ・ホール」

「えぇ、あの貧乏人よ! ただでさえ貧乏人と同じ空気を吸っているだけでも耐えられないのに! 最近ずっとアルフレッド様と一緒にいるじゃない!?」

「え?」


 知らなかった。私はマリリンを見ると、マリリンはその言葉に頷いていた。


「私もよく一緒にいるところを見ますわ」

「そ、そうなの?」

「えぇ。この前は空き教室に二人でいるところを見ましたわ」


 二人で空き教室……きっとそれは、チャプター2のイベントだ。どうやらイヴは順調にアルフレッドのイベントを進めているらしい。


 道理で……私は一人で納得していた。今年度もベロニカに押し付けられた図書委員の仕事。いつもここでアルフレッドに会っていたのに、彼はいつしか来なくなっていた。私は一人、小説コーナーの本棚で書籍の整理をしていく。以前の静かな作業に戻ったのに、人影を見るたびにどこか期待してしまう自分がいた。彼が来たんじゃないかって。その度に、私は頭の中に現れるアルフレッドの姿を振り払っていた。


 これでいい。これが正しい歴史なのだから。私はその度に自分をそう言い聞かせている。あれはアルフレッドの気の迷いだった、淡い夢のような時間はもう終わったのだ、と……そう思うたびに、私の胸には寂しさが募る様になっていた。



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