第13話


「そうだ、ティナさん」


 帰り際、ジェフさんは私にこう声をかけた。


「知人から映画のチケットを二枚貰ったのですが、今度ご一緒にいかがですか?」


 私の返事は「OK」以外ない。ニコリとほほ笑むと、ジェフさんは安心するように笑った。私たちの初めてのデートは翌週の週末。そしてこれを機に、片づけておきたかったとある問題に手を付けた。


「わぁ、ティナさんのお宅って初めてです」

「我が家より狭いけど、悪くないわね」


 私は屋敷にベロニカとマリリンを招待していた。このままでは新学期になってもベロニカの嫌がらせが続いてしまう。私はジェフの事をアピールして、アルフレッドとの関係を怪しんでいるベロニカの機嫌を取ることにした。単純なベロニカはすぐにご機嫌になり、手土産まで持って我が家に来てくれた。


「そのアーノルド様って、私も聞いたことがあるわ。繊維業の大手よ」

「そうなんですね。私、全然知らなかったです」

「私もですわ。それで、どんな方なんですか?」


 マリリンが興味津々に聞いてくる、ベロニカもそれに合わせて身を乗り出した。私は先日聞き出したジェフの情報をそのまま話す。


「理系が専門なら、ティナさんのおうちとも相性ぴったりですね」

「ふーん、いいわね。今度こそ上手くいくと良いけど」

「そうだ! デートに向けたコーディネートでも考えましょう!」


 マリリンの提案に乗り、私はクローゼットを開ける。お見合い用に買った服がたくさん押し込められていて、マリリンは楽しそうに一着ずつ見ていった。しばらくマリリンの着せ替え人形になっている間に、機嫌を取り戻していたはずのベロニカに再び暗雲が立ち込めていくのに気づいた。マリリンも怯えている。


「あの、ベロニカさん? なにかありました?」


 マリリンは怖がって私の背中に隠れるので、私が聞くしかない。ベロニカは大きくため息をつき、怒りながら口を開いた。


「あなた達、知っていた? 春になったら転校生が来るんですって」

「え! 転校生ですか!?」


 マリリンは楽しそうだけど、ベロニカは苦虫を潰したような嫌悪感を見せる。


「それが、貧民街から来るっていうのよ!」


 貧民アレルギーがあるベロニカの肌に、赤い発疹が出てきた。マリリンは驚いていたけれど、私は「ついに来たか」と喉を鳴らした。ベロニカは腕が痒いのか力強く掻きむしっている。


「貧民街なんて汚らわしい……っ! ただでさえ物騒なのに、最近は人さらいまでいるらしいじゃない! 学園長も何を考えてそんな事をしたのか、意味が分からないわ! 今、お父様にお願いして抗議しているところよ!」

「私も、お父様にお願いしますわ!」


 ベロニカとマリリンが私を見た。私にもそうしろと視線が言っているので、仕方なく「私も」と答えておいた。私の背筋に走る緊張感は、幸いなことに二人にはばれなかった。



 イヴ・ホール。

これがこの世界のヒロインのデフォルト名。名前はプレイヤーが任意で変更することができるけれど、私はこの名前のままでプレイしていた。学園長が気まぐれと慈善活動の一環でスカウトし、学園にやってくる少女。貧民街の出身だけど貧しさに負けることなく、心が優しくて賢い、まるで聖女のようだと攻略キャラクターたちに絶賛される。彼女の物語は、道端で困っている学園長を助けたことから始まる。その優しさに感動した学園長は、イヴを最終学年の転校生として学園に推薦する。ベロニカに虐げられながらも攻略対象たちと出会い、やがて彼らの内の一人と恋に落ちて、エンディングとなる卒業祝賀パーティーでその相手とダンスを踊り永遠の愛を誓う――。ついでに、どのルートを選んでもベロニカは追放される。ゲームはそういう展開だと記憶している。


 ジェフとのお見合いが上手くいきそうな今、私からアルフレッドを引き離すためには、イヴを利用するほか手段はない。


「――ナさん?」


 まずは出会いのイベントが無事に発生するか見守っておかないと……イレギュラーが発生してしまうと、私が困る。


「――ティナさん?」

「え? あっ!」

「大丈夫ですか? 体調が悪いなら、今日はやめておきましょうか?」


 ジェフさんが心配そうに私を覗き込んだ。そうだった、今日はジェフさんとの映画デートの日。そっちに集中しなければいけないのに……反省しながら「ごめんなさい、ぼんやりしていて」とほほ笑み、返事をする。こんな風に気遣ってくれる優しさに感動しながら、私たちは映画館に向かっていた。ジェフさんは公開されたばかりの恋愛映画を選ぶ。きっと私が恋愛小説ばかり読んでいるという話をお父様が漏らしたに違いない。


 ジェフさんのエスコートは実にスマートだった。ドアを音もなく開けて、私が財布を出す間も作らせず、寒いと困るからと係員からブランケットまで借りてきてくれた。隣り合った席に座り、私たちは映画が始まるのを待った。


「大学も、今はお休みなんですか?」


 始まるまでの間、場を持たせるために私は彼にそう聞いてみた。


「えぇ。春からは研究室に配属になって、研究ばっかりになりますから……のびのびできるのは今だけなんですよ」

「そんな大事な休みの日に私と出かけてくれるなんて、とてもありがたいですわ」

「いいえ、こちらこそ。ティナさんとの時間を大切にしなさいと父から言われておりますし、僕もそう思っていますから」


 ジェフさんは私を見て笑った。何だか、女性を口説くのに慣れているような笑い方だなとふと思った。私が「ありがとうございます」と言おうとしたとき、映画館は暗くなった。


 映画は、とある王国の王子様と平民の少女との恋物語だった。王子様は王冠を捨ててでも恋を貫こうとするが、少女は彼を守るために、自らの姿を消そうとする。しかし、実は少女は王族の血筋が流れる家系で、めでたく二人は結ばれるという話。


 映画が終わり、私たちは近くにある喫茶店に入った。


「いかがでした、映画は」

「とても面白かったです!」


 私はちょっと嘘をついた。少女が恋を諦めて去ろうとしたところまでは良かったけれど、実は少女は王族の遠い親戚で、その後問題なく王子様と結婚できましたっていうオチは陳腐すぎてあまり好きになれない。でも、今は本音を隠してでも彼に好印象を持ってもらう方が大事。その後、私たちはそれぞれの学業についての話で盛り上がった。ジェフさんは王立学園の卒業生だから、先生方が元気かどうか気になるらしい。ジェフさんは大学の授業がある期間はどうしても夜遅くなってしまうという話をしていた。


「僕は大学院に進学して、研究を進めたいと思っているんです。世の中の人の役に立つような発明をするのが夢なんです」

「素敵ですね」

「その分、研究で忙しくなると不眠不休と言うか……父にもなぜ家に帰ってこないのかと叱られます」


 とても真面目で、研究熱心で、誰かの役に立ちたいと願っている。わが社にはぴったりの逸材だ。私は就職試験の面接官のような気持になっていった。


 夕暮れ近くなり、私たちの今日のデートは終わりとなる。一人でも帰られると言ったけれど、ジェフさんは「最近物騒ですから、送ります」と言って、我が家まで付いてきてくれた。屋敷に着くと、私の帰りを今か今かと待っていたお父様とお母様が出迎えてくれる。


「今日はありがとうございました。どうぞ、うちで夕食を召し上がって行ってください」


 お父様はそうジェフさんを誘うけれど、ジェフさんは明日朝早い用事があるらしく、帰ってしまった。その背中を見送って、私はドアを閉めた。


「とても感じのいい方ね」

「そうだろう? ティナもそう思うか?」

「えぇ。優しい、素晴らしい方だと思います」


 そう答えると、お父様は一気に真剣な表情を見せた。


「それなら、彼との話を進めても構わないね」


 ついにこの時が来た。アルフレッドに邪魔されることなくお見合いが出来て、その相手が申し分なくて……それなら、私の選択肢は一つしかない。


「えぇ、もちろん」


 私はその言葉に頷いた。始めからそう決まっていた、分かっていたはずなのに……私は胸に、ぽっかりと穴が開いたような感覚を覚えていた。


***


 そして、運命の新学期がやってきた。これで私たちは王立学園の最終学年になる。私にとってはそれだけではなくて、ついにこのゲームのヒロインがやってくる。真打登場と言ったところだけど、まだまだ気が抜けそうにない。アルフレッドとイヴの仲を取り持ちつつ、私は私でジェフさんと婚姻についての話を進めていく。そしてそっとベロニカから離れて追放だけは免れる。やることは山のようにあった。


そんな私だったけれど、まずは寮の自分の部屋を整えていくことから始まっていた。新しい教科書を机に仕舞い、実家から持ってきた衣類をクローゼットに収めていく。私はその間も時計を確認するのを怠らない。今日の昼頃、どうしても外せない【用事】があるのだ。


 ある程度部屋が片付いた頃、廊下からキャー! という歓声と、ドンドンッとうるさい足音が聞こえてきた。何だろうと外の騒動に耳を傾けていると、私の部屋のドアが強くノックされた。私は驚きながら「どうぞ」と声をかけると、そのドアは勢いよく開く。


「ちょっと! ここ、女子寮!」


 そこにいたのは、やっぱりというか案の定というか、アルフレッドだった。どうして男子の彼が女子寮にいるのか。みんな、歓声じゃなくて悲鳴をあげてほしい。しかし、アルフレッドは私以上に怒っているように見えた。その理由は一つしかない。

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