第9話
***
「それでは行ってまいります」
「えぇ、ティナ。殿下に失礼のないようにね」
学園で失礼な事をたくさんしています、そんな事口が裂けても言えない。お父様と私は、王宮から迎えとしてやって来た立派な馬車に乗り込み、王宮へ向かう。父は大急ぎで仕立てた燕尾服、私は淡いブルーのAラインドレスにした。首のあたりには、あのサファイアのネックレスが揺れている。お母様は「そんな古いものではなく、新しいものを買いましょう?」とまるで縋り付くような説得をしてきたけれど、私は「これがいいの」と梃子でも譲らなかった。ネックレスだって安くはない、ただでさえ見合い用の洋服やアクセサリーでたくさん買ってしまったのだから少しくらい節約しないと。耳元で揺れるイヤリングも髪飾りも、お見合いの時に買ったものをそのまま使うことにした。お母様もお父様も新しいのを買おうと言ってくれたけれど、まだ家族しか見ていないのだから、私から見れば新品同様だ。
馬車はあまり揺れることなく、王宮に滑り込んでいく。王宮の大広間へ続く門の前には多くの馬車が停まっていて、招待客はどこかで見たことのある人々ばかり。お父様は、ここで人脈を増やそうと意気込んでいた。仕事でも大いに役立つけれど、目的はそれだけではない。人脈をどんどん広げて、お婿さんになってくれそうないい男性がいないか、紹介してもらうためにも使うことができる。私はできるだけお淑やか、魅力的に見えるようにすること、そして……アルフレッドとは話をしないこと。それだけが今夜のミッションである。
私たちは大広間に入る。天井には大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっていて、壁中に美しい大理石の装飾がされている。床は一面、ピカピカに磨かれた大理石。まるで宝石箱の中に入ったみたい、ほぉっと感嘆の息が漏れる。ふんわりとした花の香りと、ビュッフェ形式で用意されている食事の臭いは完璧に分断されていて、そんなところにもこだわりを感じてしまう。お父様がお知り合いの方に挨拶をしている間、私はアルフレッドを探そうと大広間を見渡した。
彼は、すぐに見つかった。玉座で皇帝陛下の隣に座っていた。まっすぐ前を見つめているけれど、どこを見ているのかさっぱり分からない。でも、これだけ距離が離れていれば私なんて見つからないはずだ。大広間はどんどん人でごったかえしていき、私の姿を隠してしまう。私は安心して、お父様の側に寄った。
「ティナ、こちら、いつもお世話になっているウィリアムズ様だ。ご挨拶なさい」
「はい。いつも父がお世話になっております、娘のティナと申します」
お父様に言われるがまま、色々な人に頭を下げ続けた。「とても気品のあるお嬢様ですね」とか「王立学園に通ってるなんて将来楽しみだ」とか「お見合い、上手くいくといいですね」とかいっぱい声をかけていただいて、そして……。
「疲れたぁ」
社交界デビューもまだだった私には、こんな人混みにまみれながら頭を下げることは慣れていない。すっかりくたびれてしまって、お父様の了解を得てから、私はパーティーを中座してテラスに出ていた。大広間からは優雅な音楽が聞こえてきて、ダンスも始まっているらしい。空を見上げると月はすっかり高くまで上がっていて、星が瞬いていた。少し空気が冷えるから星もよく見える。けれど、その分体が冷える。やはり大広間に戻ろうとしたとき、何かが肩にかかった。……男物のジャケット?
「あの、ありがとうございます!」
良縁! と舞い上がり振り向いた私の喜びは一瞬で消えてなくなった。
「こんな所にいたら風邪をひくぞ。ただでさえ薄いドレスなんだ、体を冷やすのは良くない」
「なんだ、殿下ですか」
「なんだとはなんだ。突然中座したのを見て、心配して来たのいうのに」
心配? 私が中座したのを知っているという事は、あの距離から私の事を見つけていたっていう事? 驚き呆れた私は小さくため息をつく。
「あの、殿下、聞きたいことがありまして」
私は思い切って話を切り出した。
「もしかして、私のお見合いが上手くいかないのは、殿下の仕業だったり……」
「そうだが?」
彼は悪びれもせず頷いてみせた。私は肩を落とす。
「どうしてそのような真似をなさるのですか? おかげでうちは大変だったんですよ、お父様は気落ちしちゃうし……」
「だから、俺は前から言っているだろう? ティナを妻にしたいと考えているからだ」
いつも通りの答えしか返ってこない。私はさらにがっくりと首を曲げた。
「逆に問いたい。ティナがそこまでして早く結婚したいと思う理由はなんなのか」
「そりゃ……! お兄様がいなくなってしまって、爵位と会社を継ぐ人がいなくなってしまったからに決まっています。会社を守るために残された道は、私にお婿さんが来てくれることなんですから」
私の答えはいつだって同じだ。それなのに、アルフレッドは不思議そうに首を傾げた。
「ならば、ティナ自身が一番大事にしたいものは、何なんだ?」
「……はい?」
私の頭によぎるのは、父の会社が作った薬を飲んで病を治していく国民の姿。それさえ守ることができれば、他に何もいらない。そう返したかったのに、私の言葉は上手く出てこなかった。胸の奥に何か引っかかるような感覚がそれを邪魔する。脳裏には、幼かった私がサファイアのネックレスを見て喜ぶ姿が蘇る。私はそれを振り払い、引っかかった物の正体が何なのか考えようとしたとき、アルフレッドは私の手を握った。
「殿下!?」
「アルフレッドと呼べといつも言っているのに……まあ、今はいい。その代わり、一曲付き合え」
「えぇっ!?」
アルフレッドは私の手を強く引き、あっという間にホールドしていく。肩にかかっていた上着はバサリと床に落ち、彼は私の腰に腕を回してぐっと引き寄せていった。
「ちょ、ちょっと!」
抗議の声をあげたけれど、私の右手は簡単にからめとられていく。
「誰かに見られたらどうするつもり!?」
「それは……それで好都合だな」
「もう!」
怒っている私を見て、アルフレッドは笑った。まるで私を包み込むような、暖かくて柔らかい笑み。私はそれを見て言葉が出てこなくなり、彼が体を揺らすのに合わせて私も遠くから聞こえる音楽に乗る。その笑い方は卑怯だ。そんな顔はイヴにしか見せないのに、それじゃまるで……。
(私がヒロインになっちゃったみたいじゃない)
ただのモブの令嬢だったのに。彼の素が見える部分に触れると、どうしても胸が高鳴ってしまう。まるで夢のようなひと時に浸っていると、ひゅっと冷たい風が吹き込んできた。その瞬間、私はそれからあっという間に目覚めてしまっていた。
この風が暖かくなって春がやってきたら、学園には【本物のヒロイン】がやって来て、アルフレッドはそのヒロインと恋に落ちるかもしれない。私にとって好都合なそれは、この夜だけは気分を少しだけ暗くさせた。
「殿下! こんな所にいたのですか?」
体を揺らすアルフレッドに合わせていると、近衛兵と思しき兵隊が慌てた様子で近づいてきた。
「席を外されたら困ります。皇帝陛下もとても心配しているご様子です」
「……分かった、すぐに戻る」
近衛兵が落ちている彼の上着の埃を払い、アルフレッドに着せていく。
「またな、ティナ。楽しかった」
「え、えぇ」
急な幕切れとなってしまった私たちのダンス。彼の背を見送りながら、私は手に残っていたアルフレッドの熱を握りしめていた。まるでヒロインになれたようなひと時を逃がさないように、ぎゅっと力強く。
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