1-8

 HRが終わり、授業が始まる。一限目は数学だ。

 教室に入ってきたのは、職員室でミコトが会った東山だった。氷のような眼差しと、きびしい表情は先ほど会った時と寸分すんぶんも変わらない。

 彼が入ってきた瞬間、教室がすぐに静まり返った。

(さすがだ……入っただけで、すぐ皆静かになった。きっとひごろから厳しい指導をされているのだろう)

 東山が教壇きょうだんに立つだけで、先ほどのなごやかな空気がガラッと変わり、空気が張り詰めるような緊張感に包まれた。


「であるからして――」

 東山の授業は一切の無駄を省いたものだった。初めて学校の授業と言うものを受けたミコトだったが、それでもわかりやすく、教科書の内容がするする頭に入っていく。                                                                                                                                                                                                              

「――ではこの問題を――……花崎。寝ているとはずいぶん余裕なようだな」

「んが……げっ……!」

 一限目だというのに、すでにうたた寝をしていた花崎にめざとく定めると、東山は冷徹れいてつに続ける。

「ではこの問題を解け、花崎」

「えーっと……! ちょっと体調が悪くて……寝ちゃったって言うか……!」

 苦しいごまかしを聞いて、東山はさらに表情をきびしいものにする。

「……そうか。ではお前には代わりに宿題を増やすことにする。俺からのプレゼントだ」

「ええと、だから体調が……」

「俺も鬼ではない。だから家に帰ってからしっかり勉強しろと、宿題を増やしてやったんだ」

「ひ、東山センセ……それを鬼って……」

「なんだ? 俺の授業が気に入らないなら、幼稚園児と共に布団を並べ、昼寝でもして来るがいい」

「ぐっ……オーボー……ぴ、ぴーちーえーに……」

「PTA会長の笹原会長とは懇意こんいにしているが。PTAがどうした?」

「い、イエ……なにも……」

 隙を見つけられず、花崎は悔しそうに黙りこくった。

「では、花崎の代わりに応えられる者」

 そう東山が言いながら教室を見渡すと、ミコトがさっと手を上げた。

「天原。答えられるのか?」

「は。東山先生。自分には数学の知識もほどほどにあります」

「ほう。ならばこの問題を説明と共に答えを黒板に書きなさい」

 東山は目を細め、ミコトに黒板の問題を解くように促した。

「まずここにx=3、y=2、z=5を代入します。そして……」

 ミコトは黒板に計算式を書きつつ、説明を続ける。

「……よって、答えはa=1、b=2、c=1となります」

 ミコトが答え終わると、東山は満足げな顔をしてうなずいた。

「正解だ。よく予習してきたようだな」

恐縮きょうしゅくです」

「うむ。君への評価を改めなければならないかもしれない。次も励め」

 職員室で「軍人ごっこか」などと罵られ、評価が地に落ちていたと思っていたミコトは、その東山の言葉で安堵の息をついた。

「……はっ。ありがとうございます」

 一礼して席に戻ると、恨めしそうな顔で花崎がミコトを見つめた。

「……裏切り者……」

「…………君は何を言っている?」

 ミコトがぽかんとしていると、前の席の片瀬も振り向いてきて、

「天原やるじゃん。あの東山先生にビビんないとかさ」

 悪戯っぽく笑った。

(狙撃技術向上のために、数学をかじっておいてよかった)

 片瀬に礼を言いつつ、ミコトはかすかに口元を緩ませた。

 二限目の英語(ミコトは英語含む数か国語を話せるバイリンガルである)、三限目の化学(同僚に化学ヲタクがいたので、ある程度の知識はある)も難なくこなし、ミコトの初授業は順調だった。

 しかし、問題は、四時限目―—現代文だった。

「――じゃあ、この時正雄の気持ちを考えてごらんなさい。そうね、早速だけど……天原君」

 現代文担当の早乙女がミコトに尋ねた。――正雄とは問題の物語の主人公の名前だ。

 この物語は恋愛ものであり、主人公の正雄はヒロインの桜子と言う女が好きだが、最後まで桜子に想いを伝える事はなく、結局は結ばれることはなく、正雄の友人である道夫と結ばれるというものだった。正雄は最後の最後で桜子の幸せを願う、というエンディングだ。

(桜子が他の男の嫁になって行くときの正雄の気持ちを汲み取れと言う質問らしいが……)

 ミコトは文章を何度も読みながら、顔をしかめて黙り込んでいた。

(汲み取れと言われても、どこにも答えが書いていないのに、どうすればいいんだ?そんなことはこの文章に一言も書いていないじゃないか)

 ミコトは冷汗を流しながら、物語のラストシーンを読み直すことにした。


 『さようなら正雄さん、わたしは道夫さんと一緒になります。お元気で』

 桜子の言葉に、正雄は涙がにじんだが、さっと背中を向けて、つぶやく。

 『桜子さん、どうかお幸せに』


 再度文章を読んで、ミコトは頭を回す。

(何故正雄は泣いた……? 道夫に女を奪われ、屈辱のあまり涙を流し……復讐を誓った……ということか……?)

「……天原君」

 早乙女に急かされるように再び名前を呼ばれ、ミコトは慌てて立ち上がった。

「はっ。正雄は、道夫に復讐を誓った……のだと自分は思いました」

 ミコトが答えると、教室がざわめきだした。

「えーと……それはどういうことかしら……?」

「はい。正雄は、桜子を取られたことで、嫉妬心から、道夫と、そしてその家族に報復しようと考えたのでしょう」

「……ああ……なるほど……そういう解釈もあるわよね……」

「はっ。自分が思うに、これは正雄が道夫の一家を皆殺しにする決意を固めた場面ではないかと思います。さらに、道夫の妻となる桜子も口封じのために暗殺を企てるのではないかと。正雄は学校で教師をしていると書かれていたので、学校の理科室で毒性の高い薬物を手に入れることが容易であったことから、暗殺方法は毒殺であると想定されます。最後の『』というせりふは『』という皮肉を込めたものと思われます。すでに正雄は桜子に毒を盛っていた可能性もありますね。また、正雄が理科の教師であり、化学の知識が十分にあるのであれば、爆発物の製造をし、桜子もろとも道夫の一家を爆殺することも可能だと十分に考えられます」

 ミコトがそこまで一気に言うと、教室は静まり返った。

「ど……独特……ね……? ええと、天原君の解釈は、その……?」

「独特……なのでしょうか」

「わ、悪いってわけじゃないのよ。ありがとう。別の人にも答えを聞いてみようかな」

 苦笑しながらそう言う早乙女の考えがミコトはよくわからず、当惑したまま席に着いた。

「ええと、じゃあ、片瀬君。片瀬君はどんな風に思ったのかしら……」

「そうですね……俺の考えは、正雄は複雑な心境だったのだと思います。桜子と結ばれた道夫は正雄の友人でもあったわけですし、友人と想い人が結ばれた正雄は、心中穏やかではなかったはずです。それでも正雄は桜子の事を思って、祝福した。でも涙までは隠せなかった……。正雄は、自分の気持ちを押し殺して、二人を祝ったのではないかなぁと思いました」

 片瀬が模範解答のような答えをすらすらと述べると、早乙女は満足げに笑った。

「そうね。正雄の心情としてはそれが一番近いかもしれないわ」

「ありがとうございます」

(片瀬の答えが正しかったのだろうな、早乙女先生の反応を見るに……)

 その後も、同じような問題が続き、ミコトは頭を悩ませ続けた。

 授業終了のチャイムが鳴ると、ミコトは表情こそあまり変えていないが、真一文字に結ばれた口元が力なく緩むのを自覚していた。

(終わった……現代文……拷問のそれじゃないか……)

「フフフ……天原、現代文苦手なんだ~。ダサっ」

 花崎がミコトを小馬鹿にしたように笑ったが、ミコトはそれどころではない。

「そういう花崎は数学ニガテじゃん。天原、気にしなくていいって、誰にだって、苦手なものはあるんだしさ」

 片瀬がなんとはなしにミコトにフォローを入れると、突然花崎が立ち上がって、机をばん!と叩いた。

「何それ嫌味!? アンタに苦手なもんなんてないでしょ!? そうよね~、アンタに凡人の気持ちなんかわっかんないわよねー!! 一年の時から学年トップ、陸上部期待の星、他校の女子の人気までかっさらうの片瀬リョウマ様には?!」

 急に花崎の怒りの矛先が向かってきた片瀬は、困ったように笑った。

「いやいや、そんなこと言ってないじゃん。別に俺はそんなんじゃないし。それに、成績がすべてとかじゃないしさ……」

「ハイ出た! 出ましたイケメン発言! さすが爽やかな笑顔で女子生徒のハート鷲掴みの片瀬クンは違うねぇ!! けっ!」

 そう吐き捨てると、スカートも気にせず、花崎はずかずかと大股で教室から出て行った。

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