第25話 勝者の足掻き
さて、激動の永禄四年が過ぎ去り、明けて永禄五年(1562)のこと。
勝利二度目の復帰に沸く山内とは逆に、佐嘉城では、諦めの滲んだ隆信の声が響いていた。
「駄目だ」
思わず溜息も交じる。
そして、手にしていた書状を机の上に放り投げると、別の書状を手に取り目を通してゆく。
繰り返す事数回。やがて全て読み終えた彼は、眼前にいた長信に見せつける様に、ひと際大きな溜息を付いてみせた。
「報告はこれだけか?」
「はい」
「もっとこう……おらんのか、勝利を暗殺したい程、恨みを抱えた奴とか、山内を乗っ取りたいと野心を抱いている奴とか」
「兄上、神代家は再興したばかりなのです。新品の布団と同じく、叩いてもすぐ埃が出るはずがございますまい」
「それを草の根分けて探してこいと申しておるのだ。このままだと埒が明かん」
隆信は理解出来なかった。
山内の民はなぜこれ程勝利に固執するのか。
民の生活は保障しているのに、なぜ己に靡かないのか。
ならばここは、逆意を抱いている者を見つけ出し、その者に勝利を暗殺させるべし。
隆信はそう判断し、間者を放って山内周辺の情報を求めたが、勝利暗殺狙うにはいずれも決定打を欠くものばかり。募るのは苛立ちばかりだった。
「やむを得ん、潜ませている間者の数を増やせ。後、小城の山伏達にも接触させよ。奴らは情報通だ。神代家中の思わぬ所で、火種が燻っているかもしれん」
「兄上」
「あとな、神代領に不穏な動きがないか、境目の地侍達に目を光らせる様、今一度触れて参れ。どんな些細な事でもいい。異変があればすぐに知らせる様にと──」
「兄上!」
隆信は思わず口をつぐむ。
珍しく長信の声に怒気が籠っていたからだ。
「その、もう潮時ではございませんか?」
「潮時?」
「山内は勝利復帰に沸き返っていると聞きます。ここは和睦を図る方が得策でございましょう」
「和睦⁉ 本気で申しておるのか、長信! 川上で大勝したのは我々なのだぞ!」
「残念ながら、我々にとっても、これ以上の抗争は勝算がありませぬ」
長信は説く。
川上で敗北を喫した勝利は、以後いくら挑発しても、平地に乗り出して我らと戦おうとはしないだろう。
かと言って、我らから山内に攻め入れば、金敷峠の二の舞になるだけ。
幸いな事に、龍造寺、神代の力関係は、隆信の惣領就任時と比べて、大きく逆転している。今なら優位な形で和睦を結べるはずだ。
「仮に勝利を暗殺したり、本拠の熊の川城を奪ったりしても、山内の者達は再び神代を盛り立て、復活を後押しするはずでございます」
「やってみなければ、分からぬではないか!」
「山内の民にとって、神代の名は別格なのです。倒しても何度でも蘇る。石見守もそう申しておったではございませんか」
「石見守だと」
「あっ、いえ、その……」
「長信! そなた、奴のたわ言を真に受けるのか! よいか、山内の民も我らと同じ肥前に生きる者達だ。利に釣られ、強きに従うに決まっている! わしがそれを証明してみせるまで、奴の名を口にするな!」
隆信は「ふん!」と荒い鼻息をつくと、席を立って去って行こうとする。
それを長信は憮然としながらも、見送るしかなかった。
隆信の心の内を理解出来ない訳ではないのだ。
この時の龍造寺の領国経営は、隆信長信が立案し、自ら遂行する事が少なくなかった。大友家の様に、最上位の家臣である年寄達の合議に任せる訳にはいかない。国衆ゆえ、政事に携われる人材が足りないのだ。
ゆえに、隆信は川上合戦において、境目の国衆や地侍達の調略に逐一気を配り、戦備のあれこれを自ら万端整え、戦場では本陣陥落寸前と言う辛酸を味わった。
この戦いの大勝利とは、心身共に多くの負担を強いた上でのもの。それを僅か三か月で元どおりにされたとあっては、心穏やかではないのは当然であろう。
しかし、そんな同情の視線を向けていたところ、突如やって来た側近の報告により、隆信の足は止まっていた。
「申し上げます。宿老、納富信景様がお越しにございます」
※ ※ ※
「いや、少々面倒な事になりました。まずはこれを御覧下さりませ」
やって来た信景はそう告げると、一通の書状を隆信に差し出した。
「それがしの領民達からの嘆願書にございます。実は水争いで衝突の危険が出てきたとのこと」
信景は事の次第を説明する。
彼の領地の一部は、山内との境目に当たる和泉、千布にあった。
そして、そこの田畑は、山内から流れる川の水を使っていたのである。
農業用水はその土地に生きる者達にとって欠かせぬもの。ゆえに中世の村々の間では、水を巡って、抗争が起きる事が少なくなかった。
当然、和泉、千布にも山内との間に多少のいざこざはある。その度に川をせき止めるぞと、口喧嘩で脅されるのは珍しい事ではない。
だが、勝利が復帰して以降、山内の者達は俄然強気に出る様になった。本気で川をせき止めるのではないかと、領民達の一部は危惧しており、勝利の討伐を願い出てきたのである。
すると、話を聞いていた長信は、その申し出に首を傾げるばかり。
「何故戦って決着つけねばならんのだ。和睦した後、双方の代表を呼んで協議すれば良いではないか」
「確かに長信様の仰せはごもっとも。それがしも和睦が最上と考えます」
「そうであろう。もし境目の水争いから神代との全面戦争となってみよ、家中の者達の誰が納得するのだ」
「納得しない……?」
「当然ではないか。境目の村のために駆り出されるのだぞ」
「これは驚き申した。長信様はご存知ないのですか?」
「……何の事だ?」
「今や御家中から市井に至るまで、佐嘉の者達は神代憎し、勝利討つべしの意見が大勢なのですぞ」
「まことか⁉」
そう口を開けたまま、長信ははっとして固まった。
確かに龍造寺を支持する佐嘉の者達にとって、長年散々生活を脅かしてきた勝利の存在は、他の周辺国衆達とは比べ物にならない程の憎さがある。
この水争いを口実に、後顧の憂いを断つべし。今なら容易くできる。鬱憤を晴らそうと、彼等が神代討伐に同調するのは当然ではないか。
長信は歯ぎしりしたまま俯く。
これでは和睦を推し進める訳にはいかない。もし強引に成立させようものなら、龍造寺家中が、和睦派と討伐派とで分裂、対立してしまう恐れがある。
そう察した彼は、以後、隆信の謀殺計画の行方を見守るしか出来なかったのだった。
※ ※ ※
そして季節は巡り、数か月後、隆信が長信の自室に駆け込んで来た。
「いたぞ!」
襖をおもむろに開け彼は、ずんずんと長信の眼前にやってくる。
書籍に目を通していた長信が、突然静寂を切り裂かれ、何事かと目を丸くする様子など気にしない。腰を下ろし、届けられた密書を自ら開くと、したり顔で対象となる人物の所を指差した。
「
「こやつを
西川伊予守は山内の豪族の一つ、鳥羽院城、西川家の当主である。
川上合戦に参加し、
密書には彼の現在の状況が記されていた。
そもそも都渡城原の神代勢は崩れるのが早く、不甲斐ない戦ぶりだったこと。
傷を負うや否や、すぐに山内まで退却してしまったこと。
そうしたことから、伊予守は敗戦の一因とされ、神代家中において非難の的になっていると言う。
さらにその性格も、高慢で強欲との噂である。
自家の中ならば、確かに好ましい存在とは言えない。しかし敵である龍造寺にとっては好都合。勝利に反逆を企てる資質はあると思われた。
「まずは接触してみる事だ。乗り気ならば勝利の所領を、いや、山内の棟梁にもしてやると起請文を送ってやろう。楽しみになって来たぞ!」
密やかに隆信は笑う。
だが、長良は頷くものの、腹の中では些か情けない気持ちが芽生えていた。
神代家中における伊予守の地位は重くない。
なので、勝利暗殺を狙うには、どうしても同志を募らなければならないのだが、評判も性格も芳しくない彼に、同調する者など殆どいないはず。到底上手くいくとは思えない。
長信はふと思い返す。川上での大勝利とは何だったのかと。
このような者を頼らないと、勝利を打倒出来なくなった現状に、改めて手詰まりを感じると共に、再び和睦への想いを強くするのだった。
※ ※ ※
すぐに龍造寺の使者は山内の奥、鳥羽院へと向かった。
まず西川家の家臣と接触。その取次を経て、主の伊予守との対面に臨んだのである。
使者の表情には警戒心が滲む。
都渡城原で一度怪我を負わされた龍造寺に対し、伊予守は恨みを抱えているはず。
そして性格に難のある者ゆえ、何をしでかすか分からない。交渉が破綻すれば、使者の首を斬り、勝利の元に届ける事だってあり得るのだ。
やがて城内の一室へと通される。
そこで平伏して待っていた使者は、現れた伊予守の許しを得て顔を上げた。
そして、伊予守の放った言葉に面食らうのだった。
「よくぞ参った。そなたが来るのを待ち望んでおったのだ」
※ 川上合戦は終わりましたが、この小説はあと二話続きます。
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