第16話 挑戦状

 さて、少弐冬尚が自害し、筑紫討伐が行われた永禄二年(1559)、東肥前において、もう一つの大事件が勃発した。東千葉家の滅亡である。


「どうか、どうか父の敵討ちに加勢して頂きたい!」

 

 滅亡を受けて、神代家に一人の貴人が頭を下げていた。東千葉家当主、千葉胤頼の子、胤誠たねまさである。

 彼の顔は土埃で汚れ、疲労のため、げっそりと頬がこけている。それはここに辿り着くまでの逃亡が、如何に苦しかったかを物語っていた。



 肥前千葉氏は、佐嘉郡の西隣、小城おぎ郡を本拠とし、中世において肥前に一大勢力を築いた名家である。

 肥前の地頭職を束ねる惣地頭を任され、室町期において小城は肥前国府の如き繁栄を誇ったと言う。


 しかし、戦国期に入り、御家騒動と国一揆による内乱を招いたため、次第に衰退。

 家は東西二家に分裂し、長い間対立と和睦を繰り返しながら、何とか維持存続を果たしてきていた。

 

 そして永禄二年一月に少弐家が滅亡する。

 この機に、少弐冬尚の弟、胤頼が養子入りして、当主を務めていた東千葉家も、西千葉家と龍造寺の連合軍に攻められ、滅ぼされてしまう。

 胤頼は戦死。残った子、胤誠は勝利を頼り、山内へ落ち延びて来たのだった。



「家の再興とまでは申しません。父や戦死した者達の仇を討ちたいのです。何とぞ!」


 胤誠は懇願すると、拳をぎゅっと握り締めたまま、深々と平伏する。

 肥前国衆達にとって、彼は御館様と呼ばれる格上の存在。

 それにも関わらず潔くへり下る姿は、勝利を上位として認めたかの様だった。


 並々ならぬ熱意が伝わってくる。だが、勝利の傍で訴えを聞いていた石見守は、首を縦に振ることが出来なかった。


「お気持ちは御察し致しますが、大友の監視があるため、今の我らが敵討ちに向かうのは無理と言うもの。出来る事と言えば、胤誠様を当地にて匿うことぐらいにございます」

「そこを曲げてお願い致します! 敵討ちを果たすためならば、私は何でもするつもりで参りました。その覚悟の程を見ていただきたい!」

「覚悟……?」

「これ、持って参れ!」


 胤誠の催促を受け、広間の外に控えていた彼の家臣達が、次々と入って来る。

 そして彼らは勝利の前にて、携えていた三つの品を差し出したのだった。


「当家に伝わる家宝にございます。ぜひ受け取って下さりませ」 

「何と⁉」


 胤誠の言葉に石見守は目を丸くする。

 眼前に置かれたのは、伝来の家宝、千葉氏系図、妙見大菩薩之絵像、妙見太刀の三つだったのだ。

 

「当家を慕う者はまだ各地におりましょう。彼等が家宝を受け取った話を聞けば、勝利様の下に馳せ参じること、間違いございません」

「確かに、仰るとおりでござるが……」

「無論、西千葉や龍造寺と一戦交える事あれば、それがしを含め落ち延びて来た者達も、命を賭して戦う所存! 何とぞ、良きお計らいを!」


 再び頭を下げる胤誠。

 広間は静まっていた。石見守は困惑し、勝利の方へ視線を送る。

 それを受けて、勝利は断を下すのだった。


「御覚悟の程、よく分かり申した。微力ながら力になりましょう」

「殿!」


 すかさず石見守が制止しようとする。

 しかしその思惑を推し測っていた勝利は、振り切って話を続ける。


「ただし、今すぐにとは申せませぬ。石見が申したとおり、大友の目がござれば、しばらくの猶予をいただきたい」


 勝利はそう返答すると、じっと胤誠を見つめる。

 勝利にとって東千葉家はただの名家ではない。彼は若い頃、この家に出向いて奉公に励んでいた事があった。返答はその旧恩ある家に対する、彼なりに精一杯の誠意だったのだ。


「おお、御配慮かたじけない!」


 対して、胤誠の顔はみるみる綻んでゆく。

 条件付きとはいえ、応諾こそが彼の望んでいたもの。彼は御礼を述べ、再び頭を下げると、そのまま勝利の計らいで、神代家に逗留する事になった。


 やがて、神代家臣の手引きにより、胤誠は広間から去っていく。

 そして周囲にいた家臣達も退出し、場は勝利と石見守二人きりに。すると途端に、石見守の苦言が始まるのだった。


「良いのでござるか、御家の大事をあの様に即答しても?」

「…………」

「まさか、情に駆られての決断ではござりますまいな⁉」


 口元をやや歪ませ尋ねる石見。

 対して、勝利は返答しないまま上座から降りると、妙見太刀を丁寧に手に取り、ゆっくり話し始めた。


「石見、東千葉家に仕えた日々は、わしの宝だ」

「重々承知しております」

「家中における作法、しきたり、人間関係。あの家で多くの事を学んだ。そなたから夢を買い取ったのも、あの家での事だ。三十年が過ぎ、立場が変わったとは言え、恩義ある、あの名家をどうして見棄てられようか」

「しかしですな……」


「敵討ちはいずれの話だ。大友としても、正当な理由があれば、戦をするなとは申すまい。時節を待ち、いずれ──」


 そこまで告げると、勝利は鯉口を切る。

 やがて鞘から引き抜かれ、露わになる刀身。その白く煌めく刃文の美しさを見て、彼は力強く宣言するのだった。


「龍造寺と決戦を行い、必ず隆信を討ち果たすのだ!」



※ ※ ※ 



 それから二年後、永禄四年(1561)。

 北九州は動乱の真っ只中にあった。永禄二年から始まった、毛利と大友との戦いが続いていたのである。


 厳島合戦の後、毛利と大友は大内領を侵食しようと、水面下で不戦協定を結んでいた。

・毛利は周防、長門を支配し、これに大友は介入しない。

・大友は豊前、筑前を併合し、毛利はこれを認める。


 しかし弘治三年(1557)、大内が滅ぶと、両家は領国が接する事になった。これにより高まった緊張から、やがて戦争へと発展してしまう。


 標的となったのは下関の対岸にあり、九州の玄関口と言われる、門司もじ城である。

 両家はこの城の争奪戦を展開。状況の打開を狙った毛利は、ついに永禄四年、小早川隆景を城の救援に、当主隆元を後詰として、防府への派遣を決めた。


 そして、この毛利の軍事作戦に小躍りしたのが、他ならぬ隆信だった。



「長信よ、喜べ!」


 そう声を張り上げ、隆信は長信の自室にまでやってきた。そして眼前に座ると、一通の密書を見せつける。

 いつもなら呼びつける兄が、わざわざやって来たのだ。

 その振る舞いは長信にとって、良くも悪くも嵐の前触れでしかない。彼は恐る恐る手渡された密書に目を通してゆく。


 するとやはりその内容は、彼の目を丸くさせるものだった。


──九月より、大友は門司城奪回のため、大規模遠征に向かう予定である。

  参加予定は、臼杵鑑速、田原親賢、戸次鑑連、斎藤鎮実、吉弘鑑理他


 驚いた長信が顔を上げると、そこには隆信のしたり顔があった。

 密書は大友領に潜ませていた間者からのもの。名が挙がっていたのは、大友家中における最上位家臣の年寄や、大身の国衆達である。

 彼はすぐに悟った。大友はここが正念場だと判断し、領国を挙げて毛利と対決しようとしているのだと。おそらく一万を優に超える兵が、動員されるのだろう。


 しかしその一方で、不思議に思わずにはいられなかった。

 兄は笑っているのだが、これのどこに喜ぶ要素があるというのか。

 もしその状況になった場合、龍造寺にどのような影響が出るのか、兄は理解出来ていないのかもしれない。察した長信は恐る恐る進言しようとする。


 するとそれは、握った拳を小さく掲げた、隆信の声に被ってしまっていた。


「好機到来だ。大友領内に有力者がいなくなる」

「困りましたな。大友から参陣要請が来るかもしれません」

「えっ?」

「えっ?」


 思わず重なってしまう、隆信と長信の思惑。

 理解出来ずやや間があって、口を開いたのは隆信の方だった。


「参陣要請? そなた、何か勘違いをしておらんか?」

「いえ、二年前の筑紫討伐のこと、兄上も忘れておられないでしょう?」

「大友の監視の目が緩むのだぞ。そんな状況で、なぜ門司まで出向かねばならんのだ。要請があったとしても、適当な言い訳を並べて断ってしまえばよいのだ」


「しかしそれでは、大友の報復が……」

「出来る訳なかろう。奴らは今から泥沼の戦争を始めるつもりなのだ。しかも、肥前方分(※1)の吉弘鑑理まで出向くのだぞ。肥前に介入する余裕など、どこにもあるまい」 


 そこまで告げると、隆信は立ち上がり外を見上げる。

 空の彼方を見つめ、まるで籠の中から抜け出した鳥の様な、清々しい表情をすると、おもむろに叫ぶ。

 それは長信の顔を、よりしかめさせるものだった。


「ようやく暴れられる時が来たのだ!」



※ ※ ※ 


 

 そして九月初旬──

 熊の川城にいた勝利の元に、龍造寺からの使者がやってきた。


 勝利は広間にて応対するべく、一族家臣達が埋める中、彼を案内させる。

 やがて使者から差し出される書状。それを一読し終えた彼は、表情を険しいものすると、皆に向かって中身を読み上げ始めた。


「隆信、貴公に対し、鬱憤片時も止む事なし! 所詮有無の一戦を遂げ、両家の安否を極めるべし!」


 書状の書き出しで、その場は険悪な雰囲気に陥った。

 文章はその後、これまで両家は相争ってきたが、決着が着かなかった云々と、過去の経緯と理由が続くのだが、それは諸将の頭には残らない。

 ある者は、口を開けたまま呆れ、またある者は歯ぎしりして、噴火寸前の火山と化していた。

 

 隆信が寄こしたのは、その本心を包み隠さず書き記した、挑戦状だったのだ。

 しかし、なぜこの時期に彼が決戦を申し込んできたのか。

 理由を察する事が出来ない神代家臣達は、恐らく隆信の気まぐれであろうとしか受け取らない。


 そのため、広間は憤った者達の怒号で、たちまち埋め尽くされるのだった。


「何たる傲慢! 龍造寺は金敷峠の事をすでに忘れたか!」

「上等じゃ! 佐嘉の弱兵、恐るるに足らず! 今度は大将首を挙げてみせようぞ!」

「そうじゃ、そうじゃ!」


 石見守を筆頭に、龍造寺への非難が続く。

 本気で憤っている声も勿論あるが、使者を威圧してやろうと、面白半分で恫喝する愉快犯の声も混じっている。

 使者にとっては針のむしろでしかない。だが、それもやがて収まりを見せると、彼は臆さずに、申しつけられていた事を伝える。


「加えて主、隆信からの伝言がございます」

「何じゃ!」

「決戦の場所と日時は、貴家の都合に合わせる。いつでもかかって来られるがよい、との事にございます」

「おのれ、舐め腐りおって……!」


 石見守は声を震わせ唸る。そして更に苦言を呈しようとしたが──


「日時は十三日! 場所は山と里の境目、川上!」


 それでどうだ?

 と、言わんばかりの表情で、勝利は使者を睨みつけ宣言する。

 当主自らの指定。それは龍造寺との決戦に、彼が応じる意思がある事を示したことに他ならない。


 使者はそれを察し、承った旨を伝える。

 すると勝利は続けて、周囲の者の意気が揚がる様に、高らかに使者に言付けるのだった。


「帰って伝えよ! 決戦はかねてより望むところなり! 必ずかの地にて相まみえるべしとな!」

 



※1 方分ほうぶん 

大友領国において、本拠豊後は一郡単位で、それ以外の国は一国単位で配置された、現地支配を担う職のこと。家中最上位家臣である年寄が任命される。

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