再会

 夕方のフードコートはピークの時間から外れているとはいえ、とても賑わっていた。うどんやラーメン、定食など様々な店が並んでいる。


 アイスクリームやクレープの店も見つけた冴川は、そちらに向かってみた。


 空席もそれなりにあるとはいえ、かなりの人混みだ。この中から探すとなるとなかなかに骨が折れそうだった。


 冷静に理屈で判断すれば、けして褒められた行動ではないことはわかっている。後ろ向きな感情が湧き上がるのをなんとか飲み込み、周りを見回すが、近くに雪乃らしき人影は見当たらなかった。


(仕事も放り出して、迷惑をかけて一体俺は何をやってるんだ)


 今更ながら心が折れそうになる。その時、一際大きな声が響きわたった。


「おお、きたきた!期間限定SSRを単発で引きましたよ!」


 大声で話していたのは、先程の二人組だった。


「なんと羨ましい……次の10連で出る気がするのですが」


「お、さすが!では社会人の財力で課金、いっちゃいますか!」


 すでに食べ終わって一息ついたのか、そう言って二人でスマホに注目して笑い合っている。売上に貢献している彼らに心のなかで礼を言うと、あたりを見回してみた。


 あまりに大きな声で話す二人に、迷惑そうに顔をしかめて注目する周りの人達。だが、その中になにか異質な優しい声を聞いた気がした。


「ふふっ」


 聞き覚えのある笑い声に振り返ると、そこにはこちらに背中を向けて座っている女性がいた。笑っているのか少し肩が揺れている。少し下を向いて、スマホを操作しているようにも見える。


 一瞬止まり、声をかけようか迷う。この期に及んで、まだ腰が引けている。もし違ったら。


 それでも、やっとちゃんと話ができるかもしれないその嬉しさが、恥ずかしさと後ろ向きな感情を上回って、冴川はその背中に近づきはっきり届く大きさで声をかけた。


 誰に注目されようと、気にするほどのことではない。名前で呼びかけたところで、自分に関係なさそうなら誰もが次の瞬間には忘れている。


「雪乃か?」


 彼女の背中は、確かにその声に反応したように見えた。


 ◆◆◆


「そういやさ、よくアニメで髪で目が片方隠れてるキャラいるじゃん、あれって不便じゃないのかなあ」


「こんな感じか、実は隙間から見えてるんじゃない。アニメのお約束ってだけで、深い意味は無いでしょ」


 そう言って冴川は雪乃の額に手を伸ばしてみるも、彼女の短めの前髪ではうまくいかない。


「伸ばして試してみてもいいかもね、なーんてね」


「俺はこれくらいのほうが好きだな。今の方が似合うと思うよ」


「そうかな?賢ちゃんが言うならそうしようかな」


 そう言って照れて笑う彼女の表情を確かめ、温かな気持ちが胸の中に広がる。


 なぜだか、そんな過去の記憶が唐突に思い出された。


 ◆◆◆


 その女性の前に回り、顔を確かめる。確かにそこには雪乃がいた。


 記憶の中よりかなり髪が伸びて、片目が少し隠れている。どこか怯えているような表情でこちらを見る彼女に話しかける。


「さっき、ブースの方まで来てくれたのか」


「えっ」


 あまりに予想外で驚いたのか、一言発して固まってしまっている。


「俺だ、冴川賢だ、わかるか」


 改めて名乗るも、流石に誰だかわからないということではなかったようだ。


「あっ、それは大丈夫!すぐわかったよ。でも、いいの?私なんかより、お仕事は片付けとかあるんじゃないの?」


 そう言ってうつむき目をそらし、私なんかと卑下する彼女の左目には、前髪と眼鏡の黒縁で隠されていても確かにわかる、鼻の横に縦に走る痛々しい傷跡があった。


 それが彼女の心にも与えた傷の深さは計り知れない。それでも、いたたまれない気持ちと一抹の罪悪感を気取られないよう押し隠し、冴川は素直な感謝の言葉を口にした。

 

「そっちは任せてきたから大丈夫だ。わざわざ会いに来てくれたんだな。ありがとう」


「別に、ちょっと近くに来たから寄っただけ」


「そうなんだ。それでも、ありがとう。会いたかった」


 努めて穏やかに優しく声をかけると、雪乃は初めてこちらの目を見つめ返してきた。まだ少し緊張の色があるように感じる。ほんの少し、無言で見つめ合う時間が続く。


「あ、この傷はね!別に見えないとかそういうのは一切なくて、視力は問題ないから、全然心配しないで大丈夫だから」


 沈黙に耐えきれなくなったのか、早口で自分からまくしたてるのが痛々しい。良かったなんてことは口が裂けても言えず、短い返事を返した。


「そうか」


「それより仕事なんでしょ、駄目だよ私なんかに構ってちゃ」


「『私なんか』なんて言うもんじゃないよ。俺が雪乃に会いたいから来たんだ」


「本当?」


「ああ、本当だ」


 心からの正直な気持ちを告げる。こちらを見つめ返す雪乃の目が少しずつ柔らかく変わっていき、その表情が大きく崩れるのを見た。


「良かったぁ」


 そう言って大げさに安堵する彼女の目から、涙がこぼれ落ちた。予想外の反応に、少し慌ててしまう。


「そんな、泣くことないじゃないか」


「だって、会いにいっても違う人だったらバカみたいだとか、嫌な顔されたりしたらどうしようって、色々考えちゃって怖かったんだよ。ひょっとして、私のこと嫌いになったんじゃないかって、賢にとって嫌な思い出になってたらどうしようって」


「嫌いになんか、なるわけわけないだろう」


 雪乃の言わんとすることも、わからないでもない。むしろ、その心配をしていたのは自分の側だと思う。それでも、今は彼女を安心させるため、力強く言う。


「賢はさ、あれから大丈夫だったの?」


「見ての通りだ、なんともないよ。ちゃんと立派に育ちましたとさ」


 当時の痛みを思い出さないようにしながらそう伝え、おどけて笑顔を見せると、雪乃も少し笑顔を返してくれた。


 その後、落ち着いた彼女と近況を話し合う。「私のことはいいから」と、あまり話したがらない雪乃ではあったが、前職のことや海外の生活には興味津々で、ことあるごとに「すごいね」と合いの手を入れてご満悦のようだ。


 そんな彼女に促されついつい興が乗ってしまい、学生時代から現在まで一通り気持ちよく話し終えると、雪乃がためらいがちに訊ねてきた。


「……あのさ」


「どうした?」


「SNSで見たんだけどさ」


「うん」


 おそらく福田の投稿を見てブログに辿り着いて、冴川のことかもしれないと思いわざわざ来てくれた、ということなのだろう。


「仕事でゲーム作ってるの?」


「そうだよ、約束したからな」


「ふふっ、すごいね」


 そう言う彼女の反応は、少し上の空のようにも感じるが、約束のことを忘れていても無理はないと気にしないことにした。


「それでさ、あの、SNSで投稿してた女の人……お、お」


「福田先生かな、どうした?」


「賢はさ、あんな」


「ん?笑わないから言ってみな」


 どこかもじもじと言いづらそうにしているが、その理由がわからず、先を促してみる。


「あんな、お、おっぱいぶりんぶりんの子と普段一緒に仕事してるの!?」


 どこか拗ねたような顔をして、思わず強い調子になってしまった雪乃に、思わず吹き出してしまった。


「ちょっと、笑わないって言ったじゃん!」


「ははっ、気になってるのそこなんだ!そうだよ、見慣れたもんだ。平日は毎日だし、休日も今日みたいなときは一緒だ」


「見慣れたってどういうことよ」


「同僚だから見慣れてるってだけさ。ちなみに、会社ではあんな格好してないぞ」


「そんなのわかってるよ!」


 いきなり何を言い出すかと思えばそんなことかと、少しからかい気味に返して笑う。他にも面白い人たちが揃ってるんだと、ついつい同僚の噂話にも熱が入る。


「随分と楽しそうじゃないの、いいなあ。私なんか、あんまり職場に仲良い人いなくて、もう辞めたいよ」


「ほら。またそうやって」


「あっ、ごめん」


「いいんだ、謝ることはない。辛ければ話くらいは聞くよ」


 卑屈な考え方が染み付いてしまっているのかもしれず、それが少しだけ悲しい。以前に会っていた時には、そういった言葉は彼女からあまり聞かなかった。


 それでも、既に自分の中で何かが変わり始めているのを感じ、きっと雪乃も大丈夫だろう、これから少しずつ変わっていけばいいと冴川は楽観的に思った。


「そうだ、せっかくだから連絡先交換しよう。もっと話したいんだけど、ここじゃなんだから場所変えないか」


 だいぶ緊張も解けた頃だろうと、思い切って切り出し、食事に誘う。


「あっ、今アイス食べちゃったし、どうしよう。ごめんなさい、今月あんまりお金なくて」


「課金したから?」


 冗談のつもりだったが、スマホを見ながら雪乃は固まってしまっている。どうやら図星だったらしい。


「ははっ、じゃあそのお礼だ。プレイしていただきありがとうございます」


「……はい、じゃあお願いします」


 急にしゅんとなって恥ずかしそうに答えるも、満更でもなさそうだ。そんな彼女の仕草は、時が経っても確かに変わらず、今も冴川の心を温かくするのだった。

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