第四章 ゲームのお仕事

うわっ・・・私の給料、低すぎ・・・?

 福田文江は腐女子であり、そして弱小ゲーム会社のアーティストとして働く若手社員である。忙しいマスターアップの時期を終え、3月の給与明細に書かれた支給額を見ていた彼女は、その数字に我が目を疑った。


「いちじゅうひゃくせん……えっ6桁?いや、桁はいいんだけどこれは何?」


 先頭の桁が1なのはまだわかる。残業せず基本給だけであればそのくらいなのは知っていた。その分去年の年末はボーナスも少しは出たし、残業代もちゃんと払われていた。先々月の残業分、つまり先月の支給までは。


 だが先月の残業はと言えば、趣味の創作活動を中断し、出展する予定だった即売会もキャンセルしてまで、休日出勤と合わせて100時間近い時間外労働をこなしたはずだ。2Dのドット絵、3DのCG、イメージイラストから背景まで全て担当しており、もはや彼女抜きでは完成しなかったと言っても過言ではない。


「私にこんな仕打ちするとは、前々からしょうもない会社だと思っていたけど、もう知らない!」


 そうして、福田はここが自分のいるべき場所ではないという認識を確かなものにした。


「いつ辞めるか、今でしょ!」


 善は急げと上司の席に向かう。


「私、会社辞めます」


 これ以上居続けることに意味もないと結論付けた福田は、用意しておいた退職届を取り出して机に置いた。


 趣味を仕事をしていれば、バラ色とは言わなくても、少しは満たされた人生があるのではないか。人も予算も足りないゲーム会社での生活は、そんな甘い見通しを打ち砕き、彼女を幻滅させるのに十分すぎるほどであった。


 ◆◆◆


「う~~トイレトイレ」

 

 ジュエルソフトウェアでの面接を終えた福田は、トイレを求めて全力疾走していた。


 退職届を叩きつけて無理やり有給と代休を全消化していた4月のある日、キャラクターデザインを手伝った『サークルRK』の月本からタイミングよく連絡があったのだ。二つ返事でOKして面接に向かい、無事に”一般向け”のポートフォリオ、キャラクターのイラストを見せながらのアピールを終え、やる気も示せたはずである。「雇ってけして後悔はさせません」などと啖呵を切ってみたりもした。


 どこかしら面接官の桃山と月本の反応がぎこちなかったのだけが気にかかるが、特に問題はなかったはずだ。


 せっかくだから近くの公園でも散策してから帰ろうとしたところ、ホッとしたからか今になって急にもよおしてきたのだった。


「そんなわけで帰り道にある公園のトイレにやって来たのだ。ってオィィ!」


 思わず数年前のインターネットミームを口に出してしまった自分にツッコミを入れたところで、5歳位の少年と鉢合わせして、ばったり目が合ってしまった。


「あ、あはは、こんにちはー」


 独特のテンションの高い声に気圧されたのか、その子は「ママー」と泣きながら逃げていってしまった。心がチクリと痛む。


「やば。次の同人誌にショタを出すのを感じ取ったのかも。大丈夫、全年齢だから」


 何が大丈夫なのかわからないが、そういうことにしておいて今は急いでトイレに向かうのだった。


 ◆◆◆


 なんとか間に合いトイレの個室に入ったが、スーツのズボンを下ろそうとしたときに、ある違和感に気づいてしまった。


 何かがおかしい。本来あるはずの感触がない。そして、すぐにその理由に思い当たった。


 社会の窓が全開だったのだ。


 最後にトイレに行ったのは家だったことを考えると、移動中の電車内から面接の間、そして今まで全開だったことになる。面接で二人がどこかぎこちない様子だったのはそのためか。それに気づいた福田は便座に腰掛けて頭を抱えた。


(これ絶対落ちた……!)


 やってしまった。せっかくの楽しそうな企画に一から関われると思ったのに……!


 なんだか泣けてきたので、スマホを取り出し夫にメッセージをしようとする。こういう時、どんなことをやらかしてもいつも優しく、時には諭しながら受け止めてくれる人だ。


 福田がメッセージアプリを開こうすると、ちょうど見知らぬ番号から電話がかかってきた。なんてタイミングの悪い。しかも反射的に通話を受けてしまった。


「こちら福田様のお電話でしょうか、いまお時間よろしいでしょうか?」


 声からすると、面接の前に案内してくれた人事の女性だろうか。さきほど面接を終えたばかりなのに、予想外の相手とギリギリの状況に正常な判断が働かない。でも、電話であれば基本的には良い知らせに違いない。


「はい!え、やっぱ今はちょっと、あ」


「おめでとうございます、わたくしジュエルソフトウェアの……」


 そう言った後に、電話の先で固まっている気配が伝わる。


「ありがとうございます、ぜひとも一緒に働かせていただきたく!あ、やば」


 おめでとうというからには、内定だろう。良かった。本当に良かった。でもタイミングは最悪だ。。少しの間、電話の先で沈黙が続いた。


「あ、お取り込み、プッ、お取り込み中すみません、か、かけ直したほうがよろしいでしょうか?フヒッ」


 明らかに笑いを必死でこらえている声だ。それでもまだ丁寧な言葉づかいを心がけてくれているのがまた辛い。こういうときは大笑いしてくれた方がまだ気が紛れるというもの。

 

 またやってしまった。夫へのメッセージだけなら見えないからと安心していたら、電話とは予想外だった。すぐに切ってかけ直せばよかったと、そう後悔して再び頭を抱える福田だった。


 何はともあれ危機は去り、こうして福田文江は無事に内定を得て、入社を決めたのだった。

 

 そんな彼女が、後に間接的に、期せずしてジュエルソフトウェア最大の危機を救う手助けをすることになるとは、この時は知る由もなかったのである。

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