家族

 帰宅すると、普段のルーチンで「ただいま」と呼びかける。娘の春子は居るはずだが、自室にこもっているようだ。妻の陽子はまだアルバイトから帰っておらず、食事の用意はない。帰りに最寄りのコンビニで買ってきた缶チューハイを開けると、温めてもらったつまみで晩酌を始める桃山だった。


 キャリア強化ルームに異動してからはとにかく心労がたたっており、こうして帰宅早々晩酌を始めるのが習慣になってしまっている。


 最近機種変したスマートフォンを取り出し、適当なゲームアプリを片手でプレイしながらちびちび空ける。帰宅後の疲れた頭では他に何もやる気が他に起きず、こうして惰性で起動するのが常だった。なんの変哲もないよくあるパズルゲームに、もはや中毒だなと自嘲して、3本目に差し掛かろうという頃に陽子が帰ってくる音が聞こえた。


「ただいま。あら、今日も早いのね、ご飯はどうする?」


 最近はやたらと飲食店のバイトで忙しくしている陽子が、珍しくご機嫌で話しかけてきた。


「ああ、すまん、あんま腹減ってねえや、買ってきちまった」


 ダイニングテーブルに500ml缶が3本も並んでるのを見て、陽子の表情が目に見えて曇る。桃山は次に来る小言を想像して身構え、気まずさをごまかして酒を口に流し込んだが、味もよくわからなかった。


「またそんなに飲んで……こないだの健診も、肝臓の数値あんまり良くなかったんでしょ?」


「別に好きなの飲ませてくれ、最近ちょっと疲れてるんだ」


「もう、ぶらさがり健康器だって結局買ったはいいけど使ってないし」


「やろうと思ったら洗濯物が干してあるから……。それはそうと、話がある」


 けして良いタイミングではなかったかもしれず、酒がなければ同じ判断をしたかどうかはわからなかったが、どうせいつかは言わないとならない。アルコールの勢いを借りて桃山は話を切り出した。


「何?話って」


「会社辞めることにした。追い出し部屋に異動になっちまって。今必死に仕事探してるんだが。正直、結構限界きててな」


「えっ、そんな急に……追い出し部屋ってどういうこと?これから春子の受験だってあるんだし、大丈夫なの?」


「ああ、金はなんとかする」


 とにかく次を見つけないことにはどうにもならないが、心配させてはならないと、力強く答える。


「なんとかするとか言うけど、医学部も私立だったらどれだけかかるか知ってるの?」


 桃山もそんなことは百も承知だった。調べてみて思わずゼロの数を間違えていないか数え直したほどである。現実的には今の収入では不可能に近く、アルバイトも焼け石に水にしかならないだろう。


「なあ、陽子。そりゃ俺だって春子のためだったら何でもしてやりたいよ。でも本当に春子が行きたいって言ったのか?とりあえずで選ぶ進学先じゃないだろう。それにこう言っちゃなんだが、勉強が飛び抜けてできる方ではないんだから。好きなことをさせてやった方が幸せなんじゃないのか?」


 微妙な年頃というのもあり、以前とは話す機会も減ってしまっているが、春子はもともと漫画を読んだり絵を描いたりと、インドアな趣味が多いタイプだ。


「好きなことって言うけど、じゃあ漫画やらアニメでどうやって食べていくっていうのよ!?」


「就職ってんならゲーム会社でアーティストやってく道もあるし、やる前から否定するこたないだろう。別に趣味で細々続けたっていいだろうよ」


「ゲームゲームってそればっかり、私や春子のことも少しは考えてよ!ディレクターに昇進したのに、残業代出なくて給料減ったっていうから、私はいつも節約してバイトも頑張ってるのに……

。ちょっと上手くいってるから調子に乗ってこんな広いマンション買ったりするから!」


「こっちだって家族のためと思って必死にやってんのに、その言い草はないだろう!」

 

 酔いも手伝いつい声が大きくなる。


「うるさい!今いいところなんだから、お父さんもお母さんも静かにしてよ!」


 春子が突然部屋から顔を出して叫んだかと思うと、すぐにまたドアを閉めて戻ってしまった。一瞬の後に陽子が泣き出したのを見て、桃山は一気に気持ちが冷えていくのを感じた。


(……ああ、またやっちまった)


 陽子がスーパーのビニール袋をテーブルに置いたところで、桃山は隣に四角い紙の箱もあることに今更気がついた。近所で評判のケーキ屋のものだ。


「せっかく、今日のために買ってきたのに……っ。週末はどこか食事でもしようって――」


 食材を冷蔵庫にしまうのも後回しに、陽子は寝室に逃げるように去っていってしまった。


 そうか、今の今まですっかり忘れていた。


(今日は、結婚記念日か)


 箱の中のチーズケーキを見ながら、後悔がこみ上げてきた。


(酒に甘いものはいらないって、そういや自分でいつも言ってたよな)


 後で謝ってみんなで一緒に食べようと、そう思える程度には酔いは醒め、桃山は冷静さを取り戻していた。


 辛くても家族のため、なんとかやっていくしかない。わかっていても、それでも弱気になるときくらいある。


(こんな時、おやっさんなら何て言うかな)


 かつて桃山のいた部署の役員であり、今は亡き義父・黒柳寛二。よく『桃山と伊賀がいればうちは安泰だな!』と豪快に笑っていたのを思い出す。


 ちょうど沼田から異動の誘いが来た頃、なんとなく痩せてきて顔色が悪いなという印象はあった。ちゃんと話をしなくてはと思いながらも、気がつけば休職からの入院。結局、病院に見舞いに行って話すことはあっても、改まって相談する機会を持てないうちに先に逝ってしまった。


 途中になっていた晩酌を済ませるかと缶を手に取るが、既に3本目も空になっていた。手持ち無沙汰になり、ポーズしていた手元のパズルゲームを再開してみる。酔いが回って手元が怪しいかと思いきや、こんな時に限って調子が良い桃山だった。


(スマホゲーム開発か……。そんなにいいもんかねぇ)


 仰々しいサウンドでともに表示された「HIGH SCORE」の派手な文字を、桃山はただ呆然と眺めていた。

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