あいつのいない部屋

 通夜から一週間後。月本宛に長井の母、智美から月本宛に渡すものがあるとのことで連絡があった。何度も泊りがけでお世話になっていることもあり、家族とは気が知れた仲だ。こちらも用件があり、改めて会うのも悪くないと、長井家に向かっていた。


 見慣れたマンションの入り口で、何度も入力した部屋番号を呼び出す。


 ここに来るのも久しぶりのような気がする。今のプロジェクトに異動してからは一度来たきりだったか。その時は、まさか次がこういう状況だとは想像もしなかった。何度も朝まで一緒に作業をした。夜食を頂いた。色んなことを語り合った。もはや戻ることのない日々の感傷に浸りながら、エレベーターで上っていった。


 ◆◆◆


「いらっしゃい、亮太くん、お仕事忙しい中すみませんね」


 呼び鈴を押すと、智美が迎えに出た。今は父と妹は出かけていて居ないようだ。


 会うのは通夜以来だったが、その時と比較してだいぶ落ち着いている様子が見て取れた。少し痩せたようにも見えるが、思っていたよりずっと顔色は明るい。当日はそもそも、ひどく泣きはらして話ができる状態ではなかった。


 最愛の息子を失った痛みは想像するに余りある。幸福にも、天寿を全うした親戚の葬式しか知らない彼には、心からの掛ける言葉が出てこなかった。そして改めて彼女と向き合い、何を話したものかと若干の気まずさを感じたが、菓子と飲み物を勧められたのもありまずは食卓に着くことにした。


 麦茶を飲み一息つき、近況報告を済ませる。智美からは『健一郎がここまで生きられたのは亮太くんのおかげ』とまで感謝され恐縮したが、むしろ助けられてきたのは自分だという思いが強かった。慣れない会社員生活、作品に活かすためと思わなければ、底抜けに明るい彼と一緒に何かを作り出せている実感がなければ、きっとここまで耐えられなかっただろう。


 一通りの思い出話に花を咲かせ、緊張もほぐれたところで、智美が話を切り出した。


「そうそう、健一郎の私物で、ゲームに関するものは全部亮太くんにとのことで。部屋を見ていって下さい」


「でも、僕なんかがいいでしょうか?思い入れもあるでしょうし……」


「ええ、遠慮せずにどうぞ。そういうふうに言付かっています。それに、この部屋に置いておくより、必要な方に使っていただいたほうが良いでしょう。パソコンや本も全部とのことですから。一度に持っていくのが大変でしたら、送る手配もしますからね」


 必要な人。これから、それらを使ってゲームを作っていくのは自分。当たり前のように、それを前提にして話す智美の期待が辛い。


「……わかりました」


 歯切れの良い返事ができた自信はなかった。月本は智美に促され、共に長井の部屋に向かった。


 ◆◆◆


 長井の部屋は以前見たときと全く変わらず、とてもよく整理されていた。無駄なものは一切無く、机の上にもノートPCが畳んで置かれているだけだ。


『プロを目指すシナリオ技法』『アドベンチャーゲームを作ろう!』『すぐできる!初めてのCG』『0から始めるデジタル作曲講座』『簡単な人物画』『ゲームプログラミング超入門』……。


 本棚にはジャンルを問わない創作に関する書籍が並ぶ。どの分野でも、それなりのレベルに達するには時間が必要だ。才能や向き不向きも大きいだろう。それでもゲーム制作に関わることなら何でも吸収しようとした彼の意欲に改めて圧倒されていると、智美が何かを手に話しかけてくるところだった。


「あの、このノートは是非とも亮太くんにとのことで。『他のは後回しでもいいけど、これだけは絶対渡してくれよ』って。何か色々次のことも考えていたみたい」


「今読んでもいいですか?」


「もちろんです、私は居間にいますから。終わったらいつでも声をかけてくださいね」


 "新企画・異世界大戦(仮)"と表紙に書かれた大学ノートだ。早速開いてみると、最初のページには汚い字で様々な単語が書かれていた。大きい字で特に目立つのは『新企画!』『RPG』『スマホ』の3つだった。


(そういえば健のやつ、新しもの好きだったな。スマホが出た時真っ先に機種変してた)


 ページの下の方には、他にもいくつもの雑多な内容が書かれている。


『コマンドバトル、ターン制?』 『転生する?召喚?』 『他作品とコラボ』 『変身、ベルト?』 『能力を封じたカード(ビジネスモデル、ガチャ?ストーリーとの兼ね合いは?)』 『バトルパート』 『ADVパート』


(これ、もしかして僕のために……?)


『スマホ』に『コラボ』、『RPG』さらには『ビジネスモデル』とくれば、どう考えても2人で作り上げるのは現実的ではない。


 そういえば、以前に会社での企画プレゼン会について話をした記憶もある。プランナーが企画書を書き、部内で発表をし、役員クラスも含めての議論や意見交換をするのだ。上司からも、若手は一度は経験しておくと良いということで促されたが、結局プロジェクトが忙しく、気がつけば締切を過ぎていたのだった。


 そこから新規プロジェクトにつながったり、部分的に現在開発中のタイトルに取り入れられたりもあったという。


(『俺が企画書を書いてやるから』なんて冗談を言ってたな。あれ、本気だったんだ)


 更にページをめくっていくと、ストーリーや設定のアイデアが書かれている部分が目についた。


 1部、1章のオープニングからの流れ、プロット、キャラクター設定。そこだけは詳細に、数ページにわたり書き込まれており、議論をした時の月本の意見もだいぶ反映されていた。


 2章、3章、4章……そして2部。それぞれ1ページ程度の、アイデア段階の記述がある。これもそうだ。覚えている。


 後半になるほど内容は未定が多くなっていたが、大まかな構想はできていると言っていいだろう。


 主人公、普通の高校生が突如異世界に飛ばされ、剣と魔法のファンタジー世界で戦う。割とよくありそうな話ではあるし、むしろ設定に関しては自分が言いだした内容も多かったが、直感的にこれは面白くなると確信した。


 二人で夜通し語りあった日のことを思い出し、懐かしさに顔が緩む。更に読み進めると、最後のページに自分宛てであろうメッセージを発見した。


『すまん、完成まで生きられそうにないわ、あとは任せた!お前ならできる!』


『会社で好きに使っていいぞ!』


(……しょうがないな。お前がそう言うなら使ってやるよ)


 遺言にしては雑な長井のメッセージに照れながら心の中でやり返すと、気持ちがすっと軽くなるのを感じた。一通り読み終えたこともあり、月本は一旦ノートを閉じて本棚を見やった。流石に全部は厚かましいかと考え、どれを貰うかを一冊ずつ手に取りながら検討し始めた。


 ◆◆◆


 その後、長井の妹・加奈と父・宏樹が帰宅し、智美お手製の夕食を頂いていくことになった。これからは機会も少なくなるだろうと考えると寂しい気持ちはあったが、想像していたよりずっといつも通りの家族の様子に安堵し、月本は考えていた用件を口にした。


「今度の即売会、よかったらみんなで一緒に来ませんか」


「即売会?というと、イベントでゲームを売るのかしら?」


「亮ちゃん、よく徹夜で作業してそのまま行ってたじゃん。お母さん、覚えてないの?健兄は『疲れたから寝るわ、あとよろしく!』なんて」


「そんなこともあったね。健からは、何か完成したみたいな話は聞いてない?」


「聞いていますよ、確かCDがあったのよね」


「良かった。もう申込みは終わっているんです。これが最後の作品だと思うので、せっかくだからどうかなと……」


 最後という単語に後ろめたさを感じながらも口にしてみたが、特に誰も気にした様子が無く、月本は少し拍子抜けするのを自覚した。


 自分以上に長井と身近にいた家族のことだ。ひょっとすると、今回のことも前から覚悟ができていたのかもしれない。今はこの変わらない空気がありがたかった。


「なんか面白そうじゃない?私は行きたいな。お父さん、お母さんも一緒に行こうよ」


「そうね。せっかくだから皆でどうかしら」


「じゃ俺も行ってみるか。健一郎のやつ、前に即売会行きたいって話したら『あんな臭っせえ会場に行ってもしょうがねえだろ、ゲーム欲しけりゃいくらでもやるよ』なんてな。懐かしい」


 宏樹が長井の口調を真似しながら話す。ビールのせいか多少饒舌になっているようだ。さすが父親、あまりにもそっくりで、月本は思わず吹き出してしまった。


「申込みとか手続きとか、全部亮ちゃん任せなのに偉そうに、ね」


「そうそう。健のやつ、書類とか手続きは全部僕任せでさ。会場に来たことないよね?」


「健一郎は本当にやりたくないことはやらない子だったわね。全く、誰に似たんでしょうね」


「そんなの、どう考えたって……俺か!」


 楽しい会話は続いていた。意外にも皆乗り気で、切り出すタイミングを悩んでいたのも取り越し苦労だったが、それでも月本は自身の中にわだかまる思いが積もっていくのを感じていた。


 ◆◆◆


 食事を終え、宏樹から勧められたビールを飲みながら話をしていると、気がつけば午後9時を回っていた。話は尽きないが、明日は仕事もある。遅くならないうちにお暇することになった。


「今日はごちそうさまでした」


「なんだ神妙な顔して。飯くらいいつでも食べに来ていいんだぞ。なんなら今度は俺が作ってもいいし」


「お父さん、それだけは辞めて」


「料理は私に任せて下さいね」


 女性陣から即座に反論が入り、またも笑わされる月本だった。


「……じゃあ、お言葉に甘えて。また連絡します」


「悪いね、今日は飲んだから送れないけど。気をつけてな」


「お待ちしています、気をつけて帰ってください。本も送りますね」


「バイバイ、亮ちゃん」


「失礼します」


 変わらず暖かい長井家を後にした。駅までの道を歩く。


 アルコールも手伝い、我慢していた感情が加速する。とても良い人たちだと思う。悲しくないはずがない。気遣いからか、それとも既に受け入れているのか。どちらにせよ、自分には一切悲しんでいるところを見せなかった。だからこそ、そんな家族を差し置いて自分ひとりが泣くわけにはいかなかった。


 とても楽しかった。本物の家族のように居心地がよかった。それでも、何かが欠けていたのは明らかだった。二度と戻らない親友のことを思い出し、こらえていた想いが溢れ出す。


(なんで死んじゃうかなあ……)


 月本は空を見上げ、親友を亡くしてから初めて涙を流した。


 ◆◆◆


 部屋に帰り、改めて今日受け取った大学ノートを見直す。時間が経ち、歩いたことでだいぶ落ち着いた。いつまでも泣いてはいられない。


(異世界大戦か。仮じゃ締まらないから、何かかっこいいタイトル考えないとな)


 悲しみが消えたわけではない。それでも、明日の出社が楽しみになっている上に、気持ちを切り替えタイトルまで考え始めている自分がいた。


(ありがとう、健。企画プレゼン会、次はいつだったっけ……。もう少しだけ、頑張ってみるか)


 自身の作りたいものはまだはっきりとはわからない。でも、せめてこの企画くらいは、日の目を見るまで続けてみたい。


 プロジェクトの現状に希望が見出だせず、退職まで今後の選択肢として考え始めていた月本だったが、身の振り方を決めるのはこれを仕上げてからでも遅くないと思い直した。


 結局、先立たれても長井頼みは変わらないなと自嘲しつつも、月本は萎えかけていたゲーム開発への思いが再び沸き起こるのを感じ、ささやかな決意を新たにした。

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