第4話 檻からの解放

 私は痛みとショックで立ち上がれない。


「……もう離婚してください」


 そう懇願する私を夫は冷たい目で見下ろした。


「離婚なんて世間体が悪いからしない。その男と別れろ。俺もあの女とは別れてやるから。それでおあいこだ」


 一方的に考えを押し付けて、本当理不尽にもほどがある……。

 

 こうして私は再び《檻》の中に連れ戻された。



 私は彼に《もう会えない》とメールを打った。何かしらの反応があるかと思ったが、数日待ってみても彼からの返事はない。


 そりゃそっか……。裁判沙汰になりでもしたら仕事にも影響出るしね……。

 巧のお荷物にはなりたくない。

 “一瞬でも夢を見させてもらえて良かった”って割り切ろう……。



 “これから夫婦の関係を修復するんだ”と思っていた矢先、夫に再び女の気配を感じた。ある夜、私は夫がお風呂に入っている隙に、夫の携帯電話の画面スイッチを押した。すると画面上に堂々と彼女の名前が表示されているではないか。


 あぁ、もうダメ。このひととは修復不可能だ……。


 夫がお風呂から上がってくると、その画面表示を見せて問い詰めた。


「ねぇ、満……。これどういうこと? あの女と別れたんじゃなかったの?」


 勝手に携帯を見た私に逆ギレした夫は、私の胸ぐらを掴むと腕を振り上げた。“叩かれる!”と身の危険を感じ、私はギュッと目を閉じる。


 その時、部屋の扉を勢いよく開け一人の男が入ってきた。私と夫は驚きのあまりその状態のまま固まった。


「麗華から手を離せ!」


「た、巧!?」


 なぜか彼が部屋の入口に立っている。


「なんだお前!? 勝手に人の家に入ってきて!」

「申し訳ない。近くを通ったらご主人の乱暴な声が外まで聞こえたもので。彼女が怯えているのでまずはその手を離してください」

「夫婦の問題に他人が口を出すな!」

「いえ、他人なんかじゃありませんよ。麗華は私の大切な人です」

「お、お前、まさか麗華の……」


 怒りで肩を震わす夫をよそに、彼は私の手を取った。


「麗華、大丈夫?」

「巧……。なんでこんなバカなことを……」


 彼は微笑むと、私を自分の背に隠し夫の方に向き直った。


「黙って麗華と会っていたことは謝ります。でも、彼女とは遊びではありません。彼女が幸せなら身を引こうと思いましたが、やはりあなたには麗華を幸せにするつもりはないようですね……」


 夫は逆上して彼を殴ろうとしたが、私が夫の前に立ちふさがったので、寸前のところでその手を止めた。


「彼に手を出さないで! 私、彼と話をつけてきますから!」


 私はそう言うと、止める夫を無視して彼の手を引き家の外へと連れ出した。



「巧! 一体何やってるの!? 夫に訴えられたら巧の立場が悪くなるんだよ!?」


 彼は『そんなこと心配しなくても大丈夫』と涼しい顔で言ってのけた。彼の笑顔を見て、私は肩の力がフッと抜けるのを感じた。


「返事こないから、面倒くさくなったのかと思ってた……」

「麗華のことそんな風に思うわけないでしょ?」

「でも、もうこんな危ないことはしないで」

「わかったよ」


「私、夫と別れることにする。巧が私に会いに来てくれたおかげであの家から飛び出す勇気を持てた。本当にありがとう」

「俺も一緒に頼みに行くよ」

「いや、いい。ここからは私一人で立ち向かわなきゃいけないと思う」

「……わかった。でも、危なくなったら俺をすぐに呼んでね?」


 私は頷くと、ついに夫と別れる決心をした。

 

 正面から『離婚してくれ!』と言ったところであのひとが了承してくれるはずなんてない。夫にはバレないように水面下で準備するんだ……。




 数週間後、私はリビングのソファーでくつろぐ夫の前に立った。夫は訝し気に私を見上げる。


「私と離婚してください」


 私は以前の様に懇願するのではなく、その意志をはっきりと伝えた。私に蘇った力強い瞳を見て一瞬夫がたじろぐ。


「はっ? 離婚してあの男の所に行くつもりか?」

「いえ、彼は関係ありません。あなたと一緒にいるのが限界なんです」

「ふんっ! お前、自分の不倫を棚にあげておいて俺のことをよく責められるな」

「そうですね……。私もあなたに悪いことをしたと思ってます」

「そうだろ? 俺が言いふらせば、お前もあの男も立場はないぞ?」


 ふんぞり返る夫の前に私は黙って写真を数枚置いた。 


「この写真を見ても同じことが言える?」


 その写真には、浮気相手の女と夫が抱き合ってキスをしている瞬間が収められていた。

 私は夫に従順な妻に戻ったフリをしながら、離婚するとき不利にならないよう探偵を雇い浮気の証拠写真を揃えていたのだ。


「彼に何かしたら、私がこの写真をあなたの会社にばらまくから。……これであなたと私、でしょ?」


 それを聞いた夫の顔から血の気が引いていく。

 そんな夫を私は冷たく見下ろすと、サイン済みの離婚届を机に置き《檻》に別れを告げた。



◇ ◇ ◇


「この絵はリビングによく合うかと思いますよ」


 あれから1年経った。

 私は今、彼のアトリエでインテリア用に描かれた彼の絵を販売する仕事をしている。

 

 夫とは先月離婚がようやく成立した。しかし、私は巧と再婚をしたわけではない。結婚という形に縛られずとも、彼とは公私ともに支え合う良いパートナーになっているからだ。


「お買い上げありがとうございました!」


 私は先ほどのお客様を玄関まで見送った。


「また売れたの? 麗華はやり手だね~」


 彼が私の後ろに立った。私は、『巧の絵が素晴らしいからだよ』と誇らしげに答えた。


「麗華、最近自分の顔を鏡で見た?」


 彼が突然そんなことを言い出すので、私は顔にシミでもできたのかと焦る。


「いや、マジマジとは見てないけど……。なんで?」

「再会した時はすべて諦めたような顔をしていたけど、今は生き生きしてる。

 ねぇ、麗華? 麗華は今幸せ?」


 彼のその問いに私は迷うことなく笑顔で答えた。


「うん! 心の底から幸せだよ!」



               完

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再燃 元 蜜 @motomitsu

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