08_闘走

 目の前にあったはずの扉がいつの間にか、奥の方に移動している。春野は、転んでしまい、体力の限界に来ていた彼女は、立ち上がる力すら残されてはいなかった。


 呼吸は乱れ、心臓が狂ったように鼓動してやまない。そこに追い打ちをかけるようにヤミヤミがすっと迫ってくる。


 闇に飲まれる……。


「俺がお前を背負って扉に連れて行く!」


 目を覚ますと春野は倉内に背負われていた。


 転んで動けなくなっていた春野を咄嗟とっさに倉内は、背負って走り出していた。春野は、背負われながら、倉内の背中の温かみを感じていた。


「私を背負って、助けてくれたんですね。倉内さんもヤミヤミに飲まれてしまうかもしれないのに」


「なーに、大したことはない。そんなことより、ヤミヤミが迫っている速度を上げていくぞ!しっかり掴まってろ!」


 ゾワゾワゾワゾワゾワゾワ。


 春野が不気味な気配を感じ取り、後ろを見るとすぐそこまで、ヤミヤミが迫っている。


 キャーギァーキィイーヒャヤー。


 ヤミヤミからは、人の悲鳴のようなものが絶えず耳に流れ込んで来る。


「何なの、この悲鳴」


 春野が、思わず呟くと、今野が言った。


「ヤミヤミに閉じ込められた人々の悲鳴よ。出られなくなって叫び続けているの」


 倉内ととともに走る今野が答えた。


「ずっと、聞いていたら頭が変になりそう」


 春野は、止めどなく聞こえる悲鳴に、耳に両手をやった。


「今野、一気に扉まで突っ切る。俺について来い!」


 倉内は前方に見える扉から視線を逸らさず今野に言った。


「分かった」


 今野が頷いた直後、倉内は足に力を入れて、床を思いっきり蹴ると、凄まじい勢いで扉に向かって走った。


 めちゃくちゃ速い!!


 あまりの速さに、前から風が押し寄せて、倉内の背中から吹き飛ばされそうになる。飛ばされないように、春野は、しっかりと掴まり、なんとか耐える。


 倉内の俊足しゅんそくに、今野も負けずとついてきていた。人並み外れた二人の走りに、春野は驚きを隠せなかった。 


「すごい。二人とも、こんなにはやく走れたんですね」


「ああ、だが、はやく動けたのは、俺たちだけじゃないみたいだぜ」


 春野は嫌な予感がして後ろを振り返ると、ヤミヤミも、速度を上げて春野たちに迫っていた。先程までの速度とは比にならないほどの速度だ。


「あのヤミヤミ遊んでたのね。全然、いつもより速度が出てなかったし。私達をじんわり恐怖させた後、やる気だったのかもしれないわね」


 今野は、ヤミヤミが速度を上げ猛追する様子を見て落ち着いた口調で言った。


「面白くなってきたぜ!ヤミヤミと俺たち、どっちが速いかの勝負だ!」


 倉内は、ヤミヤミに飲まれて永遠の闇に閉じ込められるかもしれない絶望的な状況にも関わらず、心弾ませながらそう言った。


「嘘でしょ……」


 春野は、倉内の様子を見て思わず言葉を漏らす。彼女の心は震えていた。未知の化け物に、未知の場所で襲われ、不安と恐怖で押しつぶされそうだった。でも、この人は、恐れるのではなく、この極限の状態を楽しんでいる。そのことがにわかに彼女には信じられなかった。


「こいつはこういう男。絶望的な状況でわくわくしてしまう超絶変態野郎なの」


 今野が、相変わらず淡々たんたんと春野にそう言うと倉内は、声を荒らげて言った。


「おい!誰が超絶変態野郎だ!事実だけどな」


「否定はしないんだ……」


 春野は、倉内の言葉を聞いて、思わず呟く。


 ーーその直後。


 春野たちが通路に異変が起こった。春野の視界に映ったのは、常軌じょうきを逸した光景だった。春野は、唾を飲み込み、ぎゅっと手に力が入った。


 何が起こっているの。とても奇妙な感覚。


 通路が……じれている。


 私達、床じゃなくて、今、天井を走ってる。

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