週末インスパイア

Kazundo

カフェ「Anima」

第1話 見えるの

 暦の上ではもうすぐ秋だというのに、空一面に広がった入道雲とアスファルトのコントラストが織り成すその景色には、揺ら揺らと水に溶けたガムシロップのような陽炎が、まだ夏は終わっていないと言わんばかりの主張をしている。神宮寺彩じんぐうじあやは友人の白石咲しらいしさき千葉紗香ちばさやかと共に、教室の一番後ろの窓側で話をしていた。授業が終わり、帰り支度をしている彩のところに、午後の相談をしに集まってきたのだ。学校側の都合で午前中にすべての授業が終わり、人が減りはじめた教室は、金曜という事もあり、不思議な高揚感に包まれていた。


「マル、ちょっと待って」


狭間累はざまるいが教室を出ていこうとしているところを、彩は見逃さなかった。彼は恐怖が襲ってきた猫のように、一瞬ピタリと止まったかと思うと、ばつが悪そうに、笑っているのか困っているのかどちらともつかない笑みを浮かべ、あははと言いながら教室を出ていく。


「咲、紗香、ごめん。今日はちょっと予定があるんだ」


そう言って彩は累の後を追うべく、帰り支度を早める。


「そっか。残念。それにしてもさっきの狭間君だよね。彩よく気が付いたね。狭間君って存在感が薄いわけではないんだけど、ふっと現れたり、ふっと居なくなったりするから謎なんだよね。特定の友達と一緒にいるところとかもあまり見ないし。でも待ってと言ったのに引きつりながら出て行ったね。何かしたの?」


咲には完全に困っているように見えたらしい。


「マルって呼んでたけど、何でマル?」


紗香はTVドラマなどで探偵が考える時に見せるような仕草をしている。


「その話はまた今度するね。ちょっと彼に聞きたいことがあるの」


と彩は言い、また誘ってねという約束を交わし、急いで教室を出た。しかし彼の姿はない。急いで下駄箱まで降りると、彼はもう靴を履き替えて校門へと歩みを進めている。


「マル、ちょっと待ってってば」


ローファーに履き替えて、短い距離ではあるが小走りで駆け寄り、累の腕を掴んだ彩の呼吸は軽く肩を上下するくらいには乱れていた。彼はまたもやピタリと止まると、観念したように肩を落とし、彩の方を振り向いた。


「さっきの無視は結構ショックなんですけど」


彩は自分が何か悪いことをしたのか心配そうにしている。


「すみません。神宮寺さん。僕、あまり人と関わることに慣れてなくて、どう接していいか分からないんですよ...すみません」


どう接していいか分からないという言葉に嘘はないと言わんばかりのへどもどとした累の言葉は、逆に彩を安心させた。


「何か悪いことしたか心配したよ。でも、待っててくれてもいいじゃない」


彩の笑いながら発する言葉は、感情がこもっているものの下品な抑揚はなく、不思議と落ち着かせてくれる。高校二年生の二学期ともなるのに、彼女のローファーやカバンは汚れや傷ひとつなく、新品同様の光沢を見せている。黒く艶やかな髪は肩の先まで伸びており、風が吹けば一本一本まで綺麗にばらけ、そして定位置があるかのように元に戻り、再び艶やかな輝きを発している。美人という言葉がとてもよく似合う。向き合って言葉を交わしただけなのに、彼女の性格、出で立ちが手に取るようだ。学年一、二を争う人気は伊達ではない。


「今日は絶対に話を聞かせて欲しいの。ちょっと歩きながら話しましょう」


彩は累の腕を掴んだまま歩き出す。累は「う、うん」と言い従うも、まるで腕を組んで歩いているかのような状況に少し落ち着かない。それに、周りの同じ学年の男子の視線が痛く突き刺さる。


「あの、神宮寺さん」

「さっきもだけど、彩って呼んでって言ったと思うんですけど?」

「いや、さすがにそれは...」

「彩って呼んで」


累は一呼吸おいて恥ずかしい感情を滲ませながら続ける。


「あ、彩さん...」

「はい。なんでしょう」

「僕この後、お店の買い出しをしないといけないんですが...」

「けやき通りにあるカフェだよね?今日もバイトなの?」

「いえ、あの店は土曜日しかやってなくて、今日は買い物だけです」

「分かったわ。私にも買い物手伝わせて」

「いや、それは悪いですよ。それに予定があるってさっき教室で...」

「ちゃんと聞こえてたんじゃない。それに、"これ"がその予定なの」


累は折れるしかなかった。理由はおおよそ見当がついている。それは先週土曜日の夕方、累がバイトしているカフェ「Anima」に彩が一見さんとして来た事に起因する。


「私、あの日マルに肩を払ってもらった後、本当に肩の荷が下りたというか、憑き物が落ちたというか、体がすごく軽くなったの。でもね、その代わりに、見えるようになっちゃったのよ。たぶん、幽霊が...」


累は瞳孔が見開いた猫のように目を丸くして困惑していた。「あれは除霊だったんでしょ?」とでも言われるだけかと思ったのに、そんなことはあるはずが無いのだ。

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