第39話 来恩寺中尉
◇◇◇◇
「あのー……、あおさん」
呼びかけに応じ、くるり、と振り返った彼は、柳眉を寄せている。
「ここでは、
軍帽をかぶり、白手袋に佩刀の彼は、今夜も軍服姿だ。
夜闇に溶けるかと思う黒は、だが、いたるところに用意されているかがり火を反射し、艶やかに光ってさえ見えた。
驚いたことに、この美貌の軍人は近衛隊の第二小隊長でもあるらしい。
「ら、来恩寺中尉、あの。これ、ばれませんかね」
美月は周囲を見回す。
観蛍会はもう、始まっていた。
庭、といより、最早、美月には公園に見える。
樹齢いくつなのだ、という松や梅、桜が絶妙な位置に配置され、池や川まである。こんもりと見えるのは、丘ではないかと思うのだが、その丘さえ、綺麗に芝が整備されており、この庭の果てはどこなのだろう、と愕然とした。
とにかく、あお、こと来恩寺
「ふむ」
蒼太朗は足を止め、顎を指で摘まみ、右足に重心をかけるようにして、美月の全身をくまなく見つめる。
なんとなく、視線がこそばゆく、顎を引く。ごつり、と顎の下に違和感があり、顔をしかめた。
そうだ。軍服の襟だ。
学生服のように詰襟になっていて、カラーが入っているせいか、首を縦に動かすと、時々当たる。なんて難儀な服だ、と美月も改めて自分の服装を見た。
蒼太朗が、
ちゃんと飾緒まである正式なもので、渡されたとき、美月は仰天した。
『君は、今から、
蒼太朗が生真面目な顔で告げるから、さらに貧血を起こしそうになった。
「女だって、わかりません?」
一応髪はまとめて留め、軍帽の中に入れている。蒼太朗が言うには、長髪の隊員もいるらしく、それで問題ないそうだ。
蒼太朗のように、身体の線が出るほど、ぴたりとした軍服サイズではなかったので、胸や尻まわりは問題ないが、一番懸念するのは、身長だ。
「こんなことを言うのは失礼かもしれないが」
身長に前置きをし、蒼太朗は、眉を下げた。
「どこからどうみても、少年に見える。その……、もともと、凹凸に乏しい体形でよかったな」
「前置きをしたからって、暴言を吐いていい、ってことじゃないですからね」
じっとりと睨み上げると、蒼太朗は、小さく噴き出した。
「すまない。いや、幸之助はまだ、十二歳だそうだから。それぐらいの年齢に見えるな」
「その、久遠様は、問題ないのですか? 私みたいなのが、名前を借りても……」
「問題ない。我が家が古くから付き合いのある家だが、西国の離島にある。めったに上京しないので、面が割れることもなかろう。扇丸からも連絡がいっているようだ。『どうぞどうぞ』と言っていたし」
そんな軽い感じでいいのだろうか、と美月は冷や汗が出るが、平民である自分がここに来るには、そんな曲芸でもしなければ無理だ。
実際、蒼太朗の隣を小姓のふりをして歩いていると、挨拶をしてくるのは、そうそうたるメンバーだ。伯爵に子爵、大臣までいた。
「行こう。扇丸に会って、最終確認をしよう」
蒼太朗に促され、美月は歩く。
扇丸から、『旭、奪還作戦』の全容について、ほぼ聞いていない。
『決行日当日、あおに迎えに行かせる。それまでは、待て。いや、わかるぞ。聞きたいのはな。だが、情報漏洩ということがある。ことは慎重に運ばねば』
扇丸はもったいぶって何も言わず、ただ、うきうきしていた。
大丈夫なんだろうか、と、不安しかない美月だったが、狐が笑って『なんかあったら、助けちゃる』というので、それを信じるしかないのだが。
(
拉致したのだ。
言葉を尽くして、許しを乞うたのでも、説得したわけでもない。
ただただ、力づくで引っ張って行った奴らだ。
旭が無事ならいいのだが。
ほう、とため息をつくと、ぽん、と背中を軽く叩かれた。顔を上げると、蒼太朗が優し気に微笑んでいる。
「後継者として連れてこようとしているのだ。旭殿は無事。不安がるな」
女性と見紛うほどの穏やかな表情に、美月も余分な力を抜き、笑顔で「はい」と返事をした。
「おやおや。第二小隊長殿は、今宵、
不意に、野太い声がかかり、蒼太朗の顔が険しくなる。
美月も目を瞠って、声の主を見た。
「かようなところに連れてこられるとは」
「殿下に浮気が露見すると、叱責を受けるのでは」
三十代半ばか、前半の、美月や蒼太朗と同じ軍服を着た男たちだ。
かがり火だけではなく、ガス灯も使用されているから、庭も随分と明るい。
だからだろう、下品な笑みを浮かべているのが美月にもはっきりと見えた。
「これは……、第一小隊長と、第三小隊長。紹介が遅れましたが、小姓の久遠です」
蒼太朗が冷ややかに、同僚に美月を紹介する。だが、彼の眉間にはくっきりと血管が浮かび上がっていた。
「小姓!」
「なんと、都合の良い役柄か!」
男たちは顔を見合わせ、忍び笑いを漏らす。
(念弟って……)
衆道における、弟分のことではなかったか。
(……あれ。蒼太朗さん、そっちの人……?)
ちらりと視線を走らせるが、どうやらそうではないのは、彼が噴き出す怒気で察する。
美月は、改めてふたりの男たちを見た。
がっしりとした体躯。太い首。広い肩幅。
太い脚に、佩刀は、これみよがしに大ぶりなものだ。
「しかし」
ちらり、と男のひとりが、美月を見た。
「この容姿では、ふたりともネコでは? どっちがタチなのやら。ふたりで、並んで布団に寝転がっているのか」
どっと笑う男の声に、蒼太朗が鯉口を切る音が混じる。
咄嗟に美月は柄を握り込み、男たちを睨みつけた。
「そういうあなたたちは、無駄吠えばかりがひどい野良犬ですか」
まさか言い返してくるとは思っていなかったらしい。
男たちはぎょっとしたように目を剥く。
「粗野や暴言を男らしさと勘違いしているようですね。知性も低いのかな。それとも、犬語をお話ですか? ごめんなさい、そういう言語を学んでいないので」
美月は蒼太朗を見上げ、にっこりと微笑んだ。
「一緒に話をしていると、われわれも同類かと思われそうです。失礼いたしましょう、来恩寺中尉」
あれ、少尉だったかな、と思いつつ、見よう見まねで敬礼をし、蒼太朗の手を引っ張って歩き出す。
「……美月殿。いや、久遠君」
「はい、来恩寺……、少尉でした? 大尉でした?」
心配になってきたせいで、語尾がだんだん小さくなる。ついでに、引っ張っている手を離した。
「中尉だ」
言ってから、蒼太朗は足を止め、手で口元を隠す。なにかお小言でもいただくのだろうか、と緊張していたら、急に笑い始めた。
「君の度胸はたいしたものだな。斬り殺されてもしらないぞ」
「斬り殺すのは、来恩寺中尉の方でしたよ、まったく危ない」
苦笑いをするが、蒼太朗はお腹を抱えて笑っている。
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