52 蛇剣衆頭領堂島豊 八

 堂島豊は、地面に転がっている剣宮辰也を見下ろしている。

 辰也は様々な場所からたらたらと血を流しているが、気を失っていない。愛刀も握られたままである。

 堂島は牧田を殺した後も剣の修行は欠かさなかった。それから数百年後に空の境地も会得することもできた。

 千年以上積み上げた剣の技は、今や憧れていた桜花一刀流の使い手を圧倒するまでになってしまっている。それも、元服を迎えたばかりで空の境地を会得したと言う天才と言っても過言ではない使い手に対してだ。

 もしも、自分にそのような才能があれば、ジャジャを復活させずに済んだのだろうか。

 ちらとそんな考えが頭をよぎったが、自嘲して頭から追い出した。

 今となってはどうしようもないこと。玲を助けようと、玲を生かそうと、今まで必死になって生きてきたのだ。憎きジャジャの下で。吐き気を催すような配下を従えて。

 それはこれからも変わらぬこと。今更生き方を変えることはできない。

 

「辰也!」

 桜刀ハナの声に押されるように、辰也は再び立ち上がった。刀を正面に構え、堂島と対峙する。その目にはいささかの曇りもない。




 蛇巫女は悠然とした足取りで村の中を歩いている。周囲は血生臭く、蛇剣衆や修験者の死体が錯乱していた。

 ほとんどの戦闘は終わっているらしく、前方から剣戟の音が聞こえてくる以外は静かだった。

「玲よ」

 不意に背後から声をかけられて、蛇巫女は振り返った。

 蛇辻蛇道がそこに立っている。

「ふむ。なるほど。お主、死ぬ気だな」

 蛇巫女は肯首することも、首を横に振ることもしない。

「……思えばお主とも長い付き合いであった。冥土の土産に遥か昔の質問に答えてやろう」

 蛇巫女は目を見開いて、蛇辻を見返す。よもや今ここに至って回答を聞けることになるとは思いもしなかったのだろう。

「儂の目的は、龍となること。古来より強大な蛇は龍に神化してきた。故にまずは、龍へと近づきつつある蛇を喰らい、この身を蛇へと近づけてきたのだ。ジャジャを復活させたのは、奴を強化させて龍へと近寄らせ、食らうためであった。もっとも、奴はつまらぬ。星を滅亡へと至らせるほどの支配を見せたが、その力は龍とは似ても似つかぬもの。もはや食らう価値はない。ほどほどのところで殺すつもりであったが、剣宮辰也という面白い男が現れたのでな。その行末を見物しようと思うたのじゃ」

 蛇巫女は目を細めた。

「もはや興味はない、か。そうさの。お主の豊に対する想いは昔と変わらぬ。ならば最後の花向けに」

 老人は、口を大きく開けた。その喉の奥底から、青緑色の蛇が顔を出す。蛇巫女はその蛇に見覚えがあった。それはかつて、蛇巫女から声を奪い取った蛇だ。

「声を、返してやろう」




 辰也は堂島に斬りかかった。しかし堂島には通じない。いかに強い力を込めても、からみによって逸らされてしまう。

 もはや辰也の実力では、あのからみを超えることはできない。

 だが辰也は決して諦めなかった。

 刃を鞘に収めて体勢を整える。

 またも居合。しかし辰也が編み出した最速の居合はすでに防がれている。もう一度試すつもりであろうか。

 堂島は油断なく辰也を見据える。またあの居合、春嵐が来てもからみによって防ぐ。その決意が見て取れた。

 辰也が駆けた。しかしその速度は春一番ではなかった。

「桜花一刀流居合」

 迫り間合いに入ると同時、辰也は膝を折って体勢を極限まで低くし、刃を抜き放つ。

「燕!」

 刃は地上すれすれを走り、まるで餌を求める燕のように襲った。

「む!」

 瞬間、堂島は飛び上がった。からみを使えない低空であるからこその判断。そうしてその判断は正しく、居合は空を斬った。

 間髪入れず辰也は踏ん張った。空振りに終わった刃を返し、堂島を追うようにそのまま上空へ跳ね上がる。

 堂島は瞠目した。空中では逃げ場がない。加えて下からの攻撃にからみでは対応できない。しかし堂島は少しも慌てた様子が見当たらなかった。

 堂島は刃先を下に向けてそのまま突く。股先から裂こうとしていた辰也の刀の切っ先と寸分違わず衝突する。

 二人の力は均衡し、空中で刹那の間静止した。その直後、お互いに弾かれて、着地する。

「くくく」と堂島は笑う。「今のはすこし面白かった。だが、貴様との剣戟も飽きた。そろそろ終わらせて貰うぞ」

 じり、と堂島は近づいてくる。今まで受け身だった相手は、一転して攻め手に回るらしい。

 辰也はそのまま受ける心算だ。相手のからみを突破できない今、攻撃を防いで反撃する他にない。

 そうして、間合いに入った。

 瞬間、放ってきたのは袈裟懸け。

 辰也は己の心算が甘かった事を思い知る。

 その袈裟懸けは、あまりに基本に忠実だった。

 ただそれだけの剣だ。

 蛇剣術の独特な技ではない。蛇気は刀が元々備えているものを僅かに感じるだけで、堂島自身の蛇気は一切乗っていない。剣を嗜む者なら誰もが修めるごくありふれた基本の振り方。

 だが、凄まじく速く鋭い。

 辰也はハナで受け止める。それで精一杯だった。払い除けることもできない。

 重さがある。

「ぐ」

 呻く。

 辰也は内心で舌を巻く。

 その一撃に至るための全ての動作に無駄がない。体重が余すことなく刀に乗っている。堂島の体は刀を振るうことに最適化されているかのようだ。途方もなく長い年月を、毎日欠かさずに刀を振るって研鑽し続けなければこうはいかない。

 そう辰也は理解してしまった。

 才能や天才程度では辿り着けない境地。狂気じみた努力と執念でなければ結実しない剣だ。

 桜花一刀流の師範、藤堂雅和の剣であってもこの男の前では児戯に等しい。

 さらに、堂島は刀を振るってくる。

 辰也はそれを受け止める。空の境地を会得してなければ、防ぐことも敵わなかったろう。それでも防御に徹するだけで手一杯。

 反撃が出来ぬほどの一撃である。予断を許さぬ連撃である。

 相手の方が全てにおいて遥か上だと、辰也は認めざるえない。

 それでも、やはり辰也は諦めない。諦めるわけにはいかない。

 黒蛇ジャジャは目と鼻の先にいる。この男を乗り越えた所にいる。

 すぐそこにあるのだ。

 皆が求めて止まなかったもの。

 青空が。

 そのために、降り掛かる嵐のような連撃を耐える。耐える。耐える。

 圧倒的な圧が、数十数百と襲いかかる。一瞬でも気を抜けば終わる。

 絶え間なく響く剣劇の音が豪雨のように襲い続ける中で、辰也は刮目した。

 連撃の最中、垣間見える僅かな隙。左の脇腹にあるまるで針の穴みたいにか細い隙。

 受けながら、力を込める。

 堂島の絶望的な斬撃を、辰也は払い退けた。弾かれる黒い刃。

 藁にもすがるように、逆胴を薙ぐ。

 と、同時だった。辰也は、はっとした。

 これは、罠だ。

 堂島の刀は辰也にわざと弾かれたのだ。その証拠にすぐに刃が返った。渦を描くようにハナと絡む。

「からみ」

 吸い寄せられる。抵抗できない。

 かっ、と音を立てて、ハナが辰也の手から呆気なく離れた。

 くるりくるりと宙を舞う。

「辰也っ!!!」

 ハナが叫んだ。

 堂島の刀が振り下ろされる。

 胸元を、裂いた。

 ハナがからりと地に落ちる。

「辰也っーーーーーー!!!」

 辰也はくずおれた。

 胸から血が流れている。




 桃源島でも死闘が繰り広げられていた。

 常世桜の結界にできた穴からジャジャの分体たる黒蛇たちが襲撃している。

 迎え撃つ桃源島の雄志たち。

「清志!」

 槍を持って戦っていた一人が噛み殺されて、共に戦っていた男が泣き叫んだ。だが、体の動きは止まらない。斧で友を殺した黒蛇を断ち斬った。

 黒蛇たちの物量は圧倒的だ。

 一匹を倒しても終わりは見えない。

「くっ」

 涙を流しながら、斧を持っている男は次から次へと襲ってくる黒蛇たちと戦う。

 周囲には他にも、同じように戦っている仲間たちがいる。

 彼らもまた、同じように、友を殺されようとも諦めずに立ち向かっている。

 全員が勝利を信じているのだ。

 剣宮辰也が黒蛇ジャジャを討つと。そのためにも、ここは死守しなければならない。

 血みどろになりながら、戦う。

 叫び声が聞こえた。また誰か仲間が死んでしまったのだろう。

 今日だけでそんな絶叫を何度聞いたのか男には分からない。

 分かるのは、時間が経てば経つほど仲間たちが殺されていく現実だけだ。

 次に死ぬのは己かもしれない。それでも、男は戦う。

 斧を振りながら、横目で剣宮家の担当場所を見る。彼らは精鋭だ。実力は島内でも指折りで、それは誰もが認めている。それ故に、最も激戦地になる場所を彼らだけで受け持っている。人数だけでいえば、ここの半分にも満たないだろう。なのに誰一人欠けることなく防いでいるようだ。

 さすがだ、と思う。この場所よりも黒蛇が殺到しているにも関わらず、どちらかといえば押している。

 彼らが諦めない限り自分も諦めるわけにはいかない。目の前に広がる黒蛇たちを見てやると、斧を握る手に力を込めた。


「まずいな」

 神楽崎錬太郎は刀を振るいながら呟いた。

「……ええ」

 応えたのは、剣宮流錬気法花冷えで内部から黒蛇を破壊した剣宮敬也。

 ここは守れている。だが他の場所は押されつつあるようだ。見回りに出ていた伝令がそう伝えてきたのである。

 他に問題のない場所は、桜花一刀流の受け持ちだけだ。

 他が瓦解すれば常世桜が犯されてしまう。そうなれば敗北は確実だ。

「ふむ」

 剣宮克也は戦闘を続けながら周囲を見渡す。皆の奮戦の甲斐もあり、ここは余裕がある。

「敬也、それから哲也。何人か連れて他の助けに行け」

「え!」

 驚きの声をあげたのは剣宮哲也。

「……ここは良いのですか?」

 哲也の心配を敬也が口にする。

「ふん。年寄りだと思って甘く見るな。ここは我らだけで十分だ」

 と、克也が言えば、

「そうだ。我らは未だ現役よ」

 錬太郎が応じた。

 敬也と哲也は、目配せをかわし頷き合った。

「分かりました」

「ご武運を」

 二人はすぐさま駆け出した。

 全ては戦いに勝つために。




 辰也は、よろけながらも立ち上がった。

 裂けた着流の胸元に手を入れる。取り出したのは小刀だった。山辺彩の形見である。鞘は堂島の一撃によって二つに割れていた。

「……運の良い奴め」

 と、堂島は呟く。

 彩の小刀が堂島の剣撃を防いだのである。胸から流れた血は小刀の先端が僅かに触れたためだった。

 またも助けられて、辰也はただただ彩に感謝する。

 しかし、危機は去っていない。

「だが、それも死期が僅かに伸びただけのこと」

 堂島は一歩一歩近づいてくる。

 辰也は横目でハナを探した。

 すぐに見つかるも堂島の背後にある。この男をかわしてハナを手にするのは至難の技だ。当然、堂島も警戒しているだろう。

 辰也は小刀を堂島に向けた。

「その小さな刀で俺と戦うと? 本当に諦めることを知らぬようだな」

 不愉快な様子を隠すことなく言う。


 ハナは辰也がまだ生きていたことにほっと安堵した。だが危機は去っていない。そればかりか、辰也の危機に自分が彼の手の中にいないことが、悔しくて悲しかった。今の自分はただの刀でしかなく、こうなっていまえば無力な置物でしかない。

 案の定、堂島は、止めを刺そうと一歩一歩油断なく近づいていく。

 しかしその時、ハナは奇妙な気配を感じ取った。

 この気には覚えがある。これは、この神気と蛇気が一緒にある独特の気は。

「……蛇巫女?」


 堂島は刀を振り上げる。

「今度こそ、終わりだ」

 冷徹な声。

 小刀で対峙している辰也は、どう対処するかを考えている。このまま戦っても小刀では万に一つも勝ち目はない。となれば、いなし、かわし、走り、ハナを手にする他にないだろう。それでも絶望的な勝率なのは間違いない。何しろ辰也の技量で堂島の一撃をいなせる自信がないのだ。それが小刀であればなおのこと。

 だが、それでもやるしかない。

 好機は一度だけ。相手が小刀であると侮っていれば、付け入る隙が生まれるはずだ。そこを利用する。

 堂島が刀を振り下ろす。

 即座に小刀を振るう。

 しかし、堂島の狙いは初めから小刀だった。

 がっ、と小刀と黒い刃が衝突する。弾かれたのは小刀だった。

「しまっ……」

 刃を返す堂島。

 反応が間に合わない。

 斬られる。

「豊っ! 止めて!」

 少女の声が響いた。ハナではない。辰也が聞いたことのない声だ。

 しかし意表を突かれたせいなのか、堂島の手が静止している。彼は大きく目を見開いて、声がした方を見据えた。

 辰也も、つられて顔を向ける。

 蛇巫女が走ってこちらに向かっている。

「……玲。声が」

 堂島が呆然と呟いた声が、辰也の耳に入った。

 続いて蛇巫女は、辰也と堂島の間に体を滑り込ませ、両手を広げ、堂島を睨め上げた。まるで辰也を庇っているようだった。

「もう殺すのは止めて」

 蛇巫女は懇願する。今にも泣き出しそうである。

 一瞬の間。

 堂島は再び手に力を込めて、刀を振り上げた。

「そこをどけ……玲」

 苦しそうに言う。

「どかない。もう終わりにしようよ、豊」

「なぜ? 俺は君を生かす。守る。そう心に誓ったのだ」

「そんなこと、私は望んでいない。私は、ううん。私たちはもう十分すぎるぐらい生きた。そのせいで数え切れないぐらいの罪を犯した。死んで償えるものじゃない。だけど、だけど、これ以上豊が苦しむのを私は見たくない」

「俺が……苦しむ?」

 心底理解できない。そう言っているような顔である。

「苦しんでるよ。私には分かる。いつも豊は泣いてる。今だって豊は泣いてる」

 辰也の目から見ても、豊は涙を流していない。

 だがこの二人には、辰也が踏み込めない領域がある。それぐらいは、辰也にも分かる。

「豊の心は蛇気に犯されたのかもしれないけれど、記憶は犯されていない。思い出して、黒蛇村の日々を。あの頃の蛇気に犯されていない気持ちを」

「う……あ」

 うわ言を呟いて、堂島は後ずさった。

「逃げないで。よく考えて」

 蛇巫女は容赦無く距離を詰める。

「お、俺、は……ただ」

 堂島の顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 黒い刀が彼の手から力なく落ちて、からりと音を立てる。

 蛇巫女は爪先立ちになって、両手を伸ばすと堂島の顔を挟んだ。

 そうして顔を近寄らせる。

 堂島は抵抗をしなかった。

 二人は接吻を交わした。


 ハナは感じていた。

 蛇巫女の口から堂島へと神気が流れ込んでいくのを。

 そうして堂島の蛇気が神気とぶつかり合っている。

 蛇巫女は堂島を助けようとしているのだ。

 しかし、果たしてそれだけだろうか。あの接吻には、果てしない愛情が込められているように感じてならない。

 場違いだ、と思いながらも、ハナはため息をつくように吐露した。

「……羨ましいなぁ」


 蛇巫女は手と唇を離した。

 彼女の顔は上気して、うっとりと堂島を見つめている。

 反面、堂島は苦しそうだった。

 ただの接吻ではない、と辰也は見抜いたが、蛇巫女が何をしたのかまでは分からない。

 堂島は、頭痛がするのか頭を抑え、そのままよろよろとしゃがみこんだ。

「豊……」

 蛇巫女は心配そうに呟くと、彼に寄り添って背中を撫でつける。

「もう、終わりにしよう」

 堂島は蛇巫女と顔を見合わせた。

 数瞬の後、彼は頷きで返す。

 蛇巫女は優しく微笑むと、今度は辰也を見た。堂島も追随する。彼の顔は、何やら険が取れて表情が柔らかくなっていた。

「剣宮様。お願いします。私たちを、終わらせてください」

 二人が、辰也を見つめている。

「……分かった」


 辰也はハナを拾うと、二人と向き合った。

 戦いの中で命のやり取りをするのはもう慣れた。けれど無抵抗の者は初めてだ。

「辰也……本当に斬らないと駄目なのかな……」

 ハナが悲しい声音で言った。その答えを辰也は持たない。無言で返すだけだった。

 辰也と一刀の躊躇を見て取ったのか、堂島が口を開く。

「……俺たちはどの道ジャジャが死ねば死する運命にある。だがジャジャと共に死ぬのはご免被りたい」

 彼は蛇巫女を見た。彼女は鷹揚に頷く。

「ならば、桜花一刀流の剣で死ぬのが本望」

「……私は、豊と一緒に死ねるなら、それで構いません」

 この二人が今までどのような運命を辿って今に至ったのか、辰也は知らない。しかし並々ならぬ想いを抱えて生きてきたのだろうと、察することはできた。

「辰也……二人の言う通り、ここで終わらせよう」

 意を決した。

 ハナを振りかぶる。

 なるべく一息で。二人が苦しまぬように。

 辰也はハナを振るった。


 血溜まりの中、倒れた二人の手は、決して離すまいと硬く結ばれていた。

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