39 白蛇神社 二

「お主たちは不思議に思うたことはないか? 何故太陽を封じたはずのこの世界で、作物が育つのか。あるいは極寒の地獄にならず、多くの生き物が生き永らえることができるのか」

 巨大な白蛇は荘厳な声を発した。

 圧倒的な存在感に、辰也は生き物としての格の違いを実感する。

「……確かに奇妙でした。桃源島で過ごした身としては、光を閉ざされているのに作物が取れる今の状況は異常に見えます」

「そうだ。しかしそれは黒蛇が配慮したわけではない。あやつの懐はそれほど広くないのだ」

「では、なぜ?」

「太陽の神、天道。あやつのおかげよ」

「天道様が? しかし光は……」

「うむ。だが完全に防がれたわけでもない。この社然り、常世桜然り。それからお主らは知らぬであろうが、この世で最も巨大な山、トスベ山は黒蛇よりもなお高くそびえ立ち、太陽の光をもたらせている。遥か西の国にある巨人を祀る神殿においても、未だ激しい抵抗を続け光を確保し続けている。他にも数は少ないが、太陽の光を浴び続けられる場所はあるのだよ」

「他の国……。話に聞いたことはありましたが……」

「知らぬのも無理はない。ジャジャのせいで桃源島より外に出ることは叶わなかったのだからな。せいぜいが蛇傀列島。それも口で伝えられた程度。しかし己らが想像しているよりも世界は広く深い。ジャジャと戦っているのは桃源島だけではないのだ。

 だがそれも全て、天道のおかげ。あやつが強い日を放ち、狭き口より陽の気を注ぎ続けることで、世界は未だ日の恩恵を受けられるのだ」

「そういうことでございましたか……」

 辰也は驚嘆を隠せない。人々が生きていけるのは天道のおかげ。ならばなおさらに、ジャジャによって太陽を完全に封じられるのは防がなければならない。

「あの、一ついいですか?」

 と、ハナが聞いた。

「言うてみい」

「天道様が地上に現れて、ジャジャを征伐して頂くわけにはいかないのでしょうか」

「ふっふっふ」

 と白蛇は笑う。

「な、なにか?」

 ハナは戸惑った。

「なに。美也子もかつてお主と同じ質問をしたでな。懐かしくなったのじゃ」

 見れば美也子の顔が恥ずかしそうに紅潮している。

「だがな、残念ながらそれはできぬのだ」

「と、言いますと」

 辰也が促すと、白蛇は幼子に言い聞かすように応える。

「あやつがこの地に降り立てば、この星の一切合切が燃え尽きてしまう」

「なっ……」

「あやつは言うてみれば太陽そのものぞ? その力は強力だが、強力すぎるのだ。ただいるだけで力を放出し続ける。抑制が効かぬのだ」

「天道様は、陽の神様ではありませんか? それなのに、そんな破壊の神様のようなことを?」

 ハナが問うた。辰也も同意見らしく肯いている。

「……ふむ。お主らは何やら勘違いをしているな。だがまずは、天道についてだ。天道は正確には陽の神ではない」

「え?」

「なっ」

 一人と一刀は同時に驚いた。

「かといえば、陰の神でもない。陰と陽、その両方の性質を持つ神なのじゃ。確かにあやつの持つ太陽の力は命を育む陽の性質がある。しかし近寄れば、あらゆる物を燃やし尽くす隠の性質となる。言うなれば、天道は陰陽の神と言えるじゃろう」

 茫然として、言葉を失う辰也とハナ。しかし言われてみれば、確かにと肯く他にない。

「それから、陰の神と言うのは、悪しき神として扱われるのが通例じゃった」

 過去形なのは、ジャジャによる支配によって、その価値観が劇的に変化しているせいだろう。

「お主ら桃源島の人間もそうであろう? ジャジャが陰であるが故に、仕方ないとも言えるが」

 辰也は頷いた。

「しかしこの星が成り立つには、実際には、陰と陽。その両方の気の均整が取れている事が必要なのだ。光あらば影あり。朝が来れば夜が来る。重要なのは、均整が取れているということ。どちらかに偏ってはいかんのじゃ。だがジャジャは、陰陽の均整を破壊してしまった。あやつは陽の神を駆逐しただけに飽き足らず、陰の神さえも滅した。神は己一人あればよい、とな。しかしその結果を見よ。世は暗黒に包まれた。そうして、ジャジャも気づいておらぬが、この世界は徐々に死滅へと向かっておる」

「し、死滅?」

「そうじゃ。いくら天道の力が絶大だと言っても、星が完全な暗黒に没してしまえば力は地上に届かぬ。そうなれば、この星は完全に終わるじゃろう。星は今度こそ極寒の地獄と化し、あらゆる生物は存在しなくなる。今はまだ天道のおかげで保たれているが、すでにその兆候は出ておる。故にジャジャは、死ななければならぬ」

 辰也たちは沈黙していた。桃源島にいた頃は、ジャジャ討伐は人を助けるための使命だと思っていた。けれど今や話は星全体の問題となっている。途方もなく大きな問題に、目眩がしそうなほどだった。

「今日はこれまでにしておこう」白蛇はおもむろにそう言った。「お主の内部に侵食している蛇気は一日二日で治るものでもない。しばらくの間、この社にて安静にしておるがよい。さすれば蛇気も完全に抜けきるであろう」

「しかし……」

「一日でも早くジャジャを討伐したい気持ちはよう分かっておる。だがな。今ここでお主に倒れては困るのだ。それに心配するな。桃源島が黒蛇に犯される日はまだ遠い。お主が休む猶予ぐらいはある。妾とて、常世桜が倒されては困るのだ。これはそのために必要な休養だ」

「……分かりました」

「それから美也子。以前妾が仕留めた境内に入り込んだ猪の肉は余っておるな? それで精のつくものを作ってやれい」

「かしこまりました」


 辰也たちが出て行ったのを見送った白蛇は、ふと後ろに視線を送った。

「良いのか?」

 どこか気遣うような声を白蛇は発した。

 声は返ってこない。

 しかし、白蛇は納得したのか、

「そうか」

 と頷いた。

 それから沈黙が降り立った。




 部屋に戻った辰也は、ハナの手入れを行っていた。

 こうやって磨いていると、ざわめく心が落ち着いていくのが分かる。

 今日はあまりに沢山の情報が入ってきたから、頭の整理が必要だった。

「俺たちは本当に桃源島以外のことを知らないな」

「そうだね」とハナは同意する。「でも、ジャジャを倒せば蛇空が晴れるから」

「ああ。そうだな。落ち着いたらまた旅に出てみるか。今度は世界を見て回ろう」

「うん! それがいいと思う!」

 ハナの声は弾んでいた。己の命と引き換えにジャジャを倒そうとしていた辰也が、その後のことを考えているのだ。これほど喜ばしいことはない。

「あ、でも」とハナは何か懸念があるらしい。「花絵がついてきちゃうかも」

 ははは、と辰也が笑った。

「確かにな。お兄ちゃんたちだけずるい! などと言って無理やりついてきそうだ」

「うん、うん! それで最後まで断ったら、いつの間にか荷物に紛れて船に乗っているの!」

「そうだな。目に浮かぶ」

 辰也は楽しそうに言う。

 思えば辰也が笑っている顔を見るのは随分と久しぶりな気がする。白蛇神社に来たことで、まだ生きている陽の神様がいることを知り、世界が広くなった。そのおかげで島の外に興味が出たからなのだろう。ハナは辰也が笑っている所を見れたのが何よりも嬉しい。

 やがて、とんとんと戸を叩く音が聞こえてきた。

「辰也様。晩ご飯をお持ちしました」

「ありがとうございます。どうぞお入りください」

 そろそろと戸が開いた。

 盆に載せた料理は湯気が立っている。それだけでもう美味しそうだ。

 待ち構えた辰也の手前に料理が置かれた。茶碗に入った真っ白なご飯は暖かく、白い水蒸気が登っていく。小鉢には周辺で取ってきたらしい山菜が入っている。角でお行儀よくも存在感を示すのは、碗に入った汁である。透明な液体の中、椎茸が心地よかそうに沈んでいた。盆の中で最も広く場所を取っている大皿の上には、素晴らしい焼き色の猪肉が、我こそが王様だと言わんばかりに鎮座している。香ばしい肉の匂いが鼻を突き、何とも言えぬ食欲を誘う。

「これは……」

 辰也は驚きを隠せない。

「すごい」

 とハナも感じ入っている。

「猪肉はともかく」美也子は言う。「他は全て境内で取れた物です。桃源島の品々に比べれば、天と地ほどの差があるかもしれませんが、腕によりをかけて作らさせて頂きました。どうぞ召し上がってください」

「かたじけない。ありがたく頂戴いたします」

 と言ってから、辰也はふと気づいた。

「美也子殿の食事は?」

「はい。辰也様が頂いた後に、自室で食べさせて頂きます」

「ハナ」

「うん」ハナは一拍の間を置いてから続ける。「もしよければ、ここで一緒に食べませんか?」

「え? しかし」

 言い淀んだ美也子は、辰也と腰の刀を見比べた。

「俺もハナも邪魔ではありません。むしろ俺の命の恩人である貴方を邪険にしては、剣宮家の沽券に関わります。もちろん、俺やハナと一緒に食べるのが嫌だと言うのであれば、別ですが」

「いえ! 嫌いだなんて!」

「それなら、構いませんね」

 微笑を浮かべた辰也を見て、美也子はほんのりと頰を赤らめた。

「は、はい」かろうじて返事をしたが、その声量は尻つぼみに小さくなっていく。「……よろしくおねがいします」

 それから美也子が自分の分を用意するのを待ってから、改めて、

「いただきます」

 と二人と一刀が同時に言い、手のないハナ以外が手を合わせた。

「なぜハナも言うのだ?」

 食べないだろ? などと辰也がからかう。

「こうゆうのは気分なの! それに、言わないと仲間外れにされてるみたいで嫌なの」

「誰も仲間外れなどしないさ」

「そうだけど、私はそう思うの」

「それはすまぬ」

 と軽く謝ってから美也子に目をやると、彼女はくっくと笑っている。まるで小さな花が咲いたみたいだ、と辰也は思う。

「どうした?」

「いえ。お二人はいつもこうなのですか?」

「……まあ、そうだな。いつもこうだ」

 嘘だ、とハナは思った。最近は食事中もあまり会話を挟まない。最後にこんな風に談笑していたのは果たしていつだったか。もう思い出せないほど遠くに感じる。

「うん、いつもこうだよ」

 と、ハナも辰也の嘘に乗った。久しぶりの暖かな空気だ。それを壊したくない。それに辰也もなにやら安心しきっている様子だ。ここが安全なのだと本能的に気づいているのだろう。

「さて、せっかくの料理だ。冷めぬ内に頂かなければ」

 そう言ってから、辰也は箸を伸ばした。箸先で器用に猪の硬い肉を切り分けて、口に運んだ。

 久方ぶりの肉である。

 噛むと確かな感触が口に伝わった。滲み出てくる肉汁が舌を楽しませる。

「うまい」

 と辰也は感慨深く呟く。一見するとただ焼いただけだが、そこには幾重にも気遣いがあった。食べ易くするために肉の筋が細やかに切られており、それが火を通りやすくするばかりか、柔らかくする作用をもたらせている。

「良かった」

 美也子は安心したように胸を撫で下ろした。

 彼女はいつも自分のために料理をしてきた。白蛇も獲物や山菜を丸呑みにするだけで、料理の必要性がなかった。

 ただ白蛇が常に言ってきたことがある。「美味しい料理を作れるようになれ」と。美也子はたった一人だけの巫女だ。その気がなくともいずれ相手を見つけて後継ぎを産み育てなければならない。相手を料理で捕まえろ、そう言うのである。

 幸いにもここは太陽が当たる有数の場所で、素材の味は他とは比べるまでもないほどに良い。動物も光に釣られて良く紛れ込むせいか育ちも良い。白蛇も頼べば試食をしてくれる。もっとも、濃い味ばかりを好むため、あまり参考にならないが。早くに亡くなった父と母がもしも未だ健在ならば、そうした悩みを持つ必要がなかったのが悔やまれる。

 兎角美也子は、まだ見ぬ殿方のためにただ一人で料理の腕を磨いてきたのだった。そうして他人に対して料理を振る舞う最初の機会が今この時であったのである。

「これもうまい。よく出汁がでている」

 と、辰也は吸い物を啜った。

 辰也が料理の感想を言うたびに、美也子の顔が次々と変化をする。

 その様子を逐一観察していたものがいた。

 ハナである。

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