きみの海

大塚

第1話

 次どうする? 水族館に行く? と彼女は問う。それもいいな、水族館は好きだ、と応じながらも俺はマカロンをつまむ彼女の左手から目を離せずにいる。

「どうしたの? 食べたい?」

「いらない」

「水族館行く? ペンギン見る?」

「ペンギン……」

「ペンギン嫌いだっけ?」

「あのさ」

 平日限定120分制のアフタヌーンティー。アルコール以外の飲み物はフリー。俺と彼女は時折こうしてふたりきりになる。

「その指輪外してくれるなら、水族館行く」

 左手の薬指。鈍色に輝くシンプルな指輪。彼女は既婚者。俺は年下で、彼女に会うまでアフタヌーンティーとスイーツビュッフェの違いも知らなかったただのガキ。

 小首を傾げた彼女は眼鏡の奥の両目を大仰に見開いて、

「そんなに気になるの」

「なる」

「それじゃ、返したくなるまで持ってなさい」

「えっ?」

 マカロンをふた口ぐらいで食べ終えた彼女は空になった左手から指輪を抜き取り、ぽいっと投げた。慌ててキャッチする。良く見るとただの平たい指輪じゃなくて、波みたいな模様が入ってる……。

「あのね、それ、結婚指輪じゃないから」

「は?」

「なんできみとデートするのに結婚指輪してくるの? 変じゃん」

「え、?」

「それは、きみ専用の海」

 なに? 何言ってんの?

「ほらー、水族館行くぞー。ペンギンが待ってるぞー」

 何が入っているのか分からないぐらい小さな鞄を片手に彼女が席を立つ。慌てて追いかける俺の手の中の海は、数分前までとは違う意味で、ずっしりと重い。

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きみの海 大塚 @bnnnnnz

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