第57話 日歴123年 メルバコフにて

「あの日と逆ですね」


 メルバコフ王国、王城の地下牢にて、ギオザは幽閉されていた。神力シエロを封じる手錠をつけられ、足も鎖でつながれている。

 ラミヤ大森林で捕まってから今日で4日。


 牢の中で大人しく過ごすギオザのもとへ、ある男が面会に来ていた。


「……」

 ちらりと見てから、興味なさげに顔をそむけたギオザに、ゾイ・マツライは青筋を浮かべた。

「信頼していた部下に裏切られ、死刑囚となった気分はいかがですか」

「……イズミもお前の仕業か」

 やっと声を発したギオザに、ゾイは口角を上げた。


「仕業、とは? 彼が、あなたよりも妹を選んだというだけですよ」

 妹、という言葉に、ギオザは腑に落ちた。

 最初に会ったときから、イズミはずっと家族のために生きていた。


「可哀そうに、誰かが起こした爆発で死んでしまったようですが」

 その言葉に、ギオザは俯いたまま拳を握りしめた。ゾイからはその様子は見えなかったが、彼は悠々と言を募る。

「あの場にいた人間は全員死んだそうですよ。メルバコフの犠牲者は300を優に超えると。もう、言い逃れはできませんねえ」

 今にも笑い出しそうなゾイに、ギオザは沈黙を守る。


 あの場にいた人間は全員死んだ。

 そうだ、当たり前だ。あの爆発で生きていられるわけがない。そのつもりで、力を使った。

 もう後戻りはできない。


「あなたの最期を、私も見守りますよ。残り3日、大切に過ごしてくださいね」

 その牢の中で―。

 そう言い残してゾイは去っていった。



「手錠の鍵のありかを教えろ」

 ハレル司教の凛とした声が響いた。声をかけられたメルバコフ兵は焦点の定まらない目をしている。

「……1階の角部屋の金庫にあります」

「金庫の鍵は?」

「隊長が持っています」

「そいつはどこにいる」

「2階の仕事部屋です……」

 一連の流れに、ツァイリーは呆気にとられた。最初は自分たちに襲い掛かってきていたメルバコフ兵が言いなりである。


 精神を司る白の神力シエロ。わかりやすく言えば相手を洗脳することができる。かつて大陸一の軍事的強国として恐れられた所以である。

 ツァイリー達は、ギオザ・ルイ・アサムの処刑を見届けるという大義名分でメルバコフに入国した。何か問題になるといけないということで、ツァイリーは荷物に紛れて身を隠した。

 もともとギオザの確保を目的にしていたエルザイアンを警戒したメルバコフは、ハレル司教率いる一行に見張りをつけ、国内での行動も制限した。しかし、ハレル司教がその強い神力シエロで軽々とその見張り達を懐柔し、ついにはギオザにつけられている手錠のありかまでも聞き出してしまったのである。

 ハレル司教はエルザイアンにいる数多くの神官の5本指に入る人物。しかも年若く、神官には珍しい女性である。実力は折り紙付きだった。

 金庫を守っていた男もあっさりと言いなりになり、ハレル司教の手には手錠の鍵が握られていた。


「随分、簡単に済んだ」

「……確かに、人が少ない気がしますね」

 レイディアが同意した。

 ここはメルバコフ軍の基地。裏口から侵入したとはいえ、こんなにもあっさりと事が運ぶと、不安になってくる。

「どうやら、アサム王国が出兵して、そっちに人員を割かれているようですね」

 言葉を発したのはダウト司祭だ。今回はハレル司教に同伴できて嬉しいのか、レイディアに対する嫌味は減っていた。

「まあ、何にせよ明日には間に合わないでしょうが」

 ギオザの処刑日は明日だ。アサム王国と対峙しているのならばなおさらのこと、メルバコフは予定通り処刑を決行しようとするだろう。


 ツァイリーは、ハレル司教から自分たちの目的はギオザの身柄を確保すること、と聞かされた。そして、協力を要請された。

 白の神力シエロ神力シエロ持ちには通用しない。正しくは、神力シエロ量が多い人ほど効果が薄い。よって、ハレル司教を持ってしても、ギオザを懐柔することは難しいのだ。


 その点で、義弟のツァイリーがこちらにつけば、ギオザも多少聞く耳を持つのではないかと考えたのである。少なくとも、メルバコフから連れ出すのは容易になるだろう、と。


 ツァイリーはその申し出を受けた。


 何としてでもギオザを助ける。

 例え、それが彼の望むところではなくても。


「何にせよ好都合だ。目的は果たした。撤退する」

 ハレル司教の一言で、一行は撤退を始めた。


 明日のギオザの処刑には、エルザイアン一行も招待されている。

 現在ギオザの身柄はメルバコフ随一警備が厚い王城の地下にあり、いくら白の神力シエロに長けているハレル司教とて侵入は難しい。よって、処刑場にギオザが連れてこられたタイミングで、ことを起こすという計画だった。

 勝負は明日、失敗は許されない。


 その日の夜、ツァイリーは姿見の前に立って、じっとその先を見つめていた。

「どうした?」

 ずっとそうしているツァイリーを不審に思ったレイディアが声をかける。

「ディア、髪切ってくれないか」

「……いいけど、今?」

「今」

 セゾンにいた時は、ツァイリーの髪を切るのはレイディアの役目だった。

「伸ばしてたんじゃないの?」

「いいんだ。切ってほしい」

 妙に真剣なツァイリーの様子に、レイディアはそれ以上言及するのはやめて、道具を探す。レイディア達は客人用の部屋を割り当てられていて、部屋の中に日用品は大体そろっていた。引き出しの中から鋏を見つけたレイディアは、姿見の前に椅子を置き、その下にはシーツを敷いた。

 ツァイリーを座らせると、髪に触れる。

「さらさらになったね」

 昔に比べて、ツァイリーの髪は滑らかで、思わずレイディアは髪に手を通して何度も梳いた。

「油みたいなの塗ってたから」

「へえ、自分で?」

「いや、イズミが……」

「ああ、この前話してた人」

 どう切ろうかと思案を巡らせていたレイディアは、言葉を止めたツァイリーを気にすることはなかった。ツァイリーはいつも適当でいいと言うが、人の髪を切るというのは大役だ。特に、こんなに伸びた人の髪を切るというのは初めてで、レイディアは責任を感じていた。

「どのくらい切る?」

「前くらい短くていい」

「わかった」


 どんどん短くなっていく自分の髪を眺めながら、ツァイリーは「懐かしいな」と思った。こうしていると、誘拐されてからアサムで過ごした時間がまるで幻だったかのようにも感じられる。

『髪、伸びましたね』

 そう言ったイズミの姿が思い出された。


 毎朝、髪を結ってもらっていた。手際よく髪の束を編んでいく姿を、いつも感心しながら眺めていた。

 アザミ・ルイ・アサム。もう一人の自分。その側にはずっとイズミがいた。

 ギオザと初めて対面したその日からの記憶が蘇る。


 アザミとして、いろいろなことをした。初めて公の場に立った月宴会、責任者を任されたライアン奪還作戦、肩身の狭かった三役会議、笑顔を張り付けていた貴族主催の晩餐会。怒涛の日々だったが、嫌な思い出ばかりじゃない。あんなにも盛大に自分の誕生日を祝われたのは初めてだったし、慕ってくれる人たちもいた。

 リズガード、ヤオ、イズミ、そして……ギオザ。

 彼らと過ごした日々は、決して悪いものじゃなかった。

 でも……。


 爆発と同時に、死んだ。


 アザミ・ルイ・アサムは、もうこの世にいない。


 だから、髪を切る。

 もう、結ってくれる人はいないのだ。


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