第29話 日歴122年 虐殺の日 下

 姿見の前で物思いにふけるツァイリーを見て、ヤオは不思議に思った。


 どうしてそんなに真剣になれるのだろう、と。


 ヤオはツァイリーを誘拐した。ツァイリーがここへ来るまでの流れも全て知っている。ヤオはギオザの味方だが、ツァイリーがギオザを恨む理由はわかる。

 たしかに、メルバコフの行動は想定外で、アサム側からすれば、ほぼ作戦完遂というところで水を差されたような感じだ。

 しかし、アザミが気に悩むことだろうか、とヤオは思った。仮に自分がアザミの立場だったら、「ざまあ」くらいに思ってる。


「ギオザのこと、嫌いだろ?」

 ヤオは一言そう聞いた。

 ヤオが1番よくわからないことだ。

 ヤオはツァイリーがいた孤児院のことを知っている。ツァイリーの死に泣き暮れていた人たちのことも知っている。ツァイリーはあの場所から離れたくなかったはず。

 しかし、ツァイリーがギオザを恨んでいるようにはあまり見えないのだ。


「嫌い?」

 ヤオの予想外の質問に、ツァイリーはすぐに答えることはできなかった。好きか嫌いか、なんてあまり考えたことがなかった。

 捕らえられて、牢屋に入れられ、最初は反体制派と繋がっているとして拷問を受けた。その時の鞭の痕は未だに残っている。


 しかし、今考えれば、それも無実の証明のためだったのかもしれないとも思う。肉体的苦痛を与えられるのは数日ほどで終わり、その後はひたすら監禁されていただけだ。


 ギオザに誘拐されなかったら自分はどうなっていたのだろう、とツァイリーはたまに考える。自分の血筋はどうやったって変えられない。

 いつまでもセゾンにいることは、どの道叶わなかったのではないか。それこそ、反体制派に持ち上げられてギオザと敵対する未来もあったのかもしれない。殺されていたっておかしくはない。

 そう考えると、今の状況は比較的マシではないかとも思えるのだ。

 セゾンの園がどうなっているかだけが気がかりだが、少なくとも今自分は生きているし、主人かいぬしは言葉の通じるギオザで、衣食住が与えられている。


 1年もの間監禁され、退屈さや孤独さに苛まれていたツァイリーは、たとえ自由は制限されていようとも、王城での生活が楽しく感じられてしまったのだ。


 リズガードもイズミも良い人だ。ヤオも憎めない性格をしている。城下町で会ったアサムの人々は、皆親切にしてくれた。この国に住んでいるのは悪魔じゃない。自分と同じ、人間だった。


 ツァイリーは、自分の中にアサム王国への恨みの感情を見つけることができなかった。


 ギオザに対しての感情は、よくわからない。

 逆に、ギオザは自分のことをどう思っているのだろうか。ただの道具、犬、はたまた自分の地位を脅かす存在、だろうか。

 ギオザは感情を表に出さない。だからわからないのだ。

 ギオザ自身の気持ちも、自分がギオザにどんな感情を向けるべきなのかも。


 嫌い、と即答しないツァイリーに、ヤオはやっぱり変なヤツだ、と思った。そしてそれをそのまま口に出す。

「ほんと、変わってるよな」

「ヤオには言われたくない」


 ヤオはツァイリーの言葉の意味がわからなかった。なんで自分には言われたくないんだろう、と本気で考える。しかし、特に理由は思い当たらず、考えてる隙に小指がカードの塔に触れてしまった。


「ああー!!」

 無惨にも塔は崩れ去り、カードが宙をひらひらと舞った。ヤオは若干涙目で、ツァイリーをキッと睨む。


「アザミのせいだからな!」

「はあ?」

「もう俺寝る!」

 ヤオはベッドにダイブして、ごろんと布団に包まると、本当に寝息を立て始めた。



「アザミ様、何かございましたか?」

 そこへ、部屋の扉が叩かれた。どうやら、ヤオの叫び声を聞きつけたイズミが様子を見に来たらしい。

 しかし、寝ているヤオを見られるわけにもいかないので、ツァイリーは「なんでもない」と返事をする。


「……疲れが溜まっておられるのでは? 温かいものでもお淹れいたしましょうか」

 いつも事務的なイズミが気遣ってくれたことが嬉しくて、ツァイリーはその厚意に甘えたくなった。しかし、ここではヤオが寝ているのだ。ツァイリーはしばし迷って、口を開いた。


「ありがとう。気分を変えたいから、場所も変えたい……なんて、無理?」

「……そうですね。むやみにこの建物を出るのは危険ですので……広くはないですが、私の部屋でもよろしければ」

「行く!」

 ツァイリーはすぐに部屋を出ると、ヤオを見られないように急いで扉を閉めた。イズミはツァイリーの挙動を怪しみながらも、元気そうな主人の姿に安堵する。

 ライアンに来てから基本的部屋に篭りっぱなしだったし、作戦の終わりがけに厄介な事件が起きてしまって、ついに気でも狂ったのかと思ったのだ。


「あの護衛は一緒では?」

「えっと、武器の手入れしてるから置いてこう。建物内だし」

「……そうですか」

 イズミは、ツァイリーの部屋の中で警備すると言ってきかなかったヤオを思い出すと、釈然としなかった。しかし、ツァイリーがイズミの手首を掴んで、ぐいぐいと先導するので、その考えは一旦隅に置いた。


「イズミも一緒に飲もう」

「いえ、そういうわけには」

「いいからいいから。それとも茶が嫌いなのか?」

「いいえ」

 ツァイリーのしつこい誘いに負けて、イズミも自分用の茶を入れた。初めてイズミと同じ卓についたツァイリーはなんだか嬉しかった。


 イズミはツァイリーの起床から入眠までのあらゆる世話を担っているので、ツァイリーは普段からイズミといる時間が1番長い。しかし、主従という関係、仕事に忠実で事務的なイズミの性格から、今のように向かい合ってゆっくり話せるような機会はない。


「イズミは妹がいるんだっけ?」

「はい」

「何歳?」

「今年で18になります」

「結構歳離れてるんだな。18ならうちと同じくらいだ」

「アザミ様にも妹が?」

「うん、まあ血は繋がってないけど」

 ツァイリーはメリッサのことを思い出していた。ちょっかいを出しすぎて嫌われていたが、しっかり者で、なんだかんだ優しい子だ。元気でやっているだろうか。


「イズミは城に住んでるよな。妹には会えてるのか?」

 ツァイリーの知る限り、イズミは自分と同様ずっと城にいる。休みの日もない。

「1年に数回は会っています」

 相変わらずイズミは淡々と話すので、感情を読み取れない。数回会っているとは言うが、実の妹と1年間に数回しか会えていない、というのは少ないのではないかとツァイリーは思った。


「イズミはいつからこの仕事を?」

「……王城に入って、11年になります」

「11年!?」

「はい」

 イズミの年齢は知らないが、少しツァイリーより年上、ちょうどギオザと同じくらいに見える。

 11年前ということは、イズミはまだ10代半ばの頃に城勤を始めたということではないか。

 ツァイリーは常識がわからないので、それが一般的に早いのかどうかはわからない。しかし、自分がその歳の頃なんて、まだ施設にモーリスがいたので、ただ子どもたちの世話をしながら好き勝手過ごしていた記憶がある。

 ツァイリーはイズミヘ尊敬の眼差しを送った。

 イズミはどこか居心地が悪そうに茶を飲み干すと、スッと立ち上がった。

「茶請けを用意します」

 やはり主人と歓談をしながら茶を飲む、というのは性に合わないらしい。

 ツァイリーは、部屋を出ていく彼を見守りながら、イズミらしいなと思った。

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