第20話 日歴122年 社交界 上

「アザミ様は独身でいらっしゃるのでしょうか?」

「ええ、まあ……」


 ツァイリーの返事に、貴婦人は笑みを深め、隣の女性に目配せした。女性はすっと前に出てきて、美しく礼をする。

「お初にお目にかかります。ヤオトメ家長女のカヨと申します」

「……はじめまして」

「仲の深い御令嬢がいらっしゃらないのであれば、どうぞ私の娘とお話しする機会を設けていただく」

 柔らかく言い切ったヤオトメ夫人に、ツァイリーは返答に迷った。


 わかりやすく縁談である。


 ギオザには「話すな」とだけ言われていて、こう言う時にどう対処すればいいのか教わっていない。きっぱりと断るのも角が立つだろうし、断る上手い言い訳も思いつかない。

 しかし、了承してもいけないような気がする。


 ツァイリーは今、御三家の一つ、ヨコバ家主催の晩餐会に参加している。王族からの出席はツァイリーとリズガードのみで、それ以外の参加者は貴族である。

 基本立食だが、ツァイリーとリズガードは特別席が用意されていて、そこに食事が順に運ばれてくるという形式だ。

 ツァイリーとリズガードの席は会場の左右に分かれていて、言葉を交わせる距離ではない。それも、2人に挨拶したい貴族が列になることを想定しての配置だった。


 実際晩餐会が始まって以降、貴族たちがひっきりなしにやってきており、ツァイリーは疲弊していた。

 最初の方は上位の貴族が様子見として一言二言交わしていく程度だったのでまだよかったのだが、後になるにつれて、ツァイリーから何とか情報を聞き出そうとしたり、今後の繋がりを求めてきたり、と厄介な相手が多くなった。


 今の相手もそうである。続く列を見ても、母と娘という組み合わせが多く、どうやらこのヤオトメ家だけではないようだった。

 ちなみにリズガードの方にも女性が多いが、あきらかに女性たちはそわそわして順を待っているし、話終わると赤面してそそくさと立ち去るので、純粋に彼と話したいのだろうと思われる。


そんな状況を俯瞰しながら、ツァイリーはどうしようかと悩んでいた。孤児院育ちのツァイリーは貴族社会のことがよくわからず、こうなる可能性を全く念頭に置いてなかったのである。

 突然あらわれた王の義弟にこうも迅速に取り入ろうとしてくるなんて、ますます考えが及ばなかった。


「ご都合のよろしいお時間、場所で、ほんのわずかな時間でも構いません」

 話しているのは母親の方で、当人のカヨは伏し目がちに佇んでいる。

 ツァイリーはいよいよ困った。どんどん断りづらくなっていく。


「だめよ」

 その時、その場にはっきりと声が響いた。ツァイリーはすぐ横にあらわれた人物、リズガードに視線を向けた。

 リズガードは背が高い上に、ツァイリーは座っているので、かなり見上げる格好になる。

 リズガードはそんなツァイリーを一瞥すると、何を思ったのか彼の頭をつかむように、片手を乗せた。


「この子はねえ、ギオザのだーいじな弟よ。ギオザの認めた女じゃないとだめなの。アザミの前にギオザに話し通しなさい」

「……それは、大変失礼致しました」

 ツァイリーは頭を動かせないので見えないが、気配的にヤオトメ夫人とその娘は去ったようである。リズガードは2人を見送ると、やっと手を離した。


「あんたも、はっきり言いなさい」

 そう言ってリズガードは自分の席に戻っていった。

 ツァイリーは、「はっきりって言われても」という言葉を飲み込んだ。


 リズガードは公の場でもギオザのことを呼び捨てにするし、どんなに注目を浴びていようと物怖じしない。いろいろなことに雁字搦めになっているツァイリーとはまるで違う。

 ツァイリーとギオザには、これ以上ないほど明確な上下関係がある。何せ命が握られているのだ。なので、ツァイリーはこういう咄嗟の場面で、ギオザの名を出していいのか判断できない。


 同じ城、同じ空間でもう数十日も過ごして、食事も共にしている。ツァイリーはギオザと関われば関わるほど、最初に感じた冷徹無慈悲な人物像が損なわれていくような気がしていた。

 実際のギオザは、表情こそあまり変化はないものの、ツァイリーを蔑ろにするような言動はとらない。利用されていることはわかっているが、どうしても憎みきれないのだ。

 ツァイリーは段々と、ギオザのことがわからなくなっていった。

 最初は生き残るために従わなければいけない、とだけ考えていたのに、上手く関係を築けるのではないか、と思いはじめていた。


「お初にお目にかかります」

 ツァイリーの思考を遮るように、軽やかな声が彼の耳に入った。

 目の前に立った女性は、白を基調とし桃色の花の模様が入った着物を着ていた。礼をする彼女の亜麻色の髪がふわふわと揺れる。


「ヒメノ・マツライと申します」

 顔を上げた彼女が名乗った瞬間、ツァイリーは彼女の瞳にとらえられた。

 これまで挨拶に来た人と何かが違う、とツァイリーは直感した。

「はじめまして……あの、髪飾りが」

「あらあ、お恥ずかしいですわ……」

 マツライ夫人は礼をした時、そのはずみで髪飾りが取れかかってしまったようである。ツァイリーが指摘したことで気づいたマツライ夫人は、髪飾りを直そうとするが、あまり慣れていない様子で手間取っていた。

 諦めて髪飾りを取った彼女は、まるで何事もなかったかのように手提包にしまい、ツァイリーと再度目が合うとふふふと笑った。


 ツァイリーは違和感の正体を見極めようとしたが、マツライ夫人は全く穏やかな表情を崩さず、彼女の邪気のない様子に毒毛を抜かれてしまった。

 マツライ夫人は柔らかな雰囲気で可愛らしい女性だが、ツァイリーより10は年上に見える。この年代の女性が、子や夫を伴わずに1人でこういう会に参加しているのは異様だった。


 しかし、孤児院育ちのツァイリーはそれに気づかない。


「先程のリズ様のお言葉、アザミ様は陛下ととても仲がよろしいのですね」

「陛下はとても良くしてくださるので」

 これは台本マニュアル通りである。ギオザとアザミの兄弟仲が良い、というのは、反現王派にツァイリーを担がせないために必要な設定なのだ。


「アザミ様はかの作戦の責任者でいらっしゃいますよね」

「はい」

 これまで挨拶に来た貴族達は示し合わせたようにライアン奪還作戦について話題に出さなかった。この場にいるのは貴族だけとはいえ、作戦のことは他国に漏れないよう箝口令が敷かれているというし、腫れ物には触らないようにしているのかもしれない。


「ライアンの奪還は我がマツライ家の悲願なのです」

 その言葉に、ツァイリーはハッとした。マツライ家、なぜすぐに気づかなかったのだろう。

 30年前のライアン侵攻の際、被害を最小限にとどめ英雄と謳われたのが、当時アサム王国軍軍団長であったカブキ・マツライである。

 そして、ギオザから、気をつけるようにと言われていた家名でもあった。

 かつて英雄と民衆から支持を得たマツライ家に何故気をつけなければならないのだろう、とツァイリーは疑問に思っていた。


「カブキ・マツライのことはご存じですか」

「もちろんです」

「私の義父にあたります。彼は、英雄と呼ばれましたが、今でもかの地の制圧を許したことを悔いているのです。どうか、お義父様の無念を晴らしてください」

 再び深く頭を下げた彼女に、ツァイリーは表情を曇らせた。

 ツァイリーはお飾りの責任者である。ヤオもいるし、作戦において実際に自分が何かをする場面などないのかもしれないのだ。


「頭を上げてください」

 マツライ夫人は頭を上げると、まっすぐにツァイリーを見つめた。その青い瞳は吸い込まれそうな不思議な力があった。


「全力を尽くします」

 どこか罪悪感を覚えながらツァイリーはそう言い切った。マツライ夫人は微笑んで、丁寧に礼を言うと去って行った。


 それから先は特に問題も無く、すべての貴族が挨拶を終えて、晩餐会はお開きとなった。この晩餐会は王族と貴族の交流がメインのようで、主催者のヨコバ家当主セダルとは最初に挨拶した程度だった。

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