食事のあとは、…… ひと騒動の巻

「おい、天蓬!」

「返事しちゃダメ!!」


 私とイチの声が重なる。


「返事をしたら、その瓢箪に吸い込まれてしまうわ!!!」

「黙れ! 女!」


 イチの妖術で現れた炎をまとった大蛇が口を大きくひらいて飛んでくる。


「あぶない!!」 


 キン(金炉)さんの杖から飛び出した金色の光と大蛇がぶつかり、私の目の前で大蛇が霧散する。同時に、天蓬テンポウさんが、私の前に立った。


「俺が相手だ」

「妖術を使えない天蓬テンポウ殿が、私の相手を? それは、それは……」


 イチがふわりと浮いて……、天蓬さん達の手の届かない場所で止まった。


「さあ、どうします? 剣は届きませんよ?」

「金! 銀!」


 天蓬さんの声と一緒に、キン(金炉)さんとギン(銀炉)さんが同時に金色の光と銀色の光を放った。


「雑魚が……」


 さっきとは比べ物にならないほど大きな炎をまとった大蛇が二匹、壱の背後から現れる。その大蛇は、キン(金炉)さんとギン(銀炉)さんの光に絡みついた。ばりばりっと雷のような大きな音を立てて、光と大蛇が霧散する。

  

 一瞬の隙をみて、天蓬テンポウさんが持っていた剣をイチめがけて投げた。その剣は、瓢箪を持っている右手首にあたり、持っていた瓢箪がどこかに飛んでいく。イチが、手をさすりながら怖い顔で天蓬テンポウさんを睨んだ。


「……まあ、仕掛けがばれているので、……いいでしょう」

「きさまの狙いはなんだ?」

「世界の混乱とでも言っておきましょうか。幸せそうに飯を食べている人たちが大嫌いでね。誰かを妬んでどろどろとした感情に流されて、堕ちていく人を見ていたいんです」

「悪趣味だな。父上の死もお前の策か?!」

「私はただ、羅刹王子に『王子がいながら、王は天蓬テンポウのことしか考えていないのでしょうか。王子は猪にも劣ると言いたいのでしょうか。それではあまりにも王子がおかわいそうです』とお慰めしただけですよ。くっくっく……、劣等感だらけの王子が、王の一言一言に傷ついて苦しんでいる様をそばで見ているのは……くっくっくっ……、本当に、楽しかった……」


 目をつぶっているか、開いているのかわからないくらい細い目が、繊月のように細長い弧を描いた。天蓬テンポウさんがぎりっと歯ぎしりをする。


「ふざけないでよ! 慰めているですって? それって、『王はお前を必要としていない』って言っているんじゃない! お父様の時だってそう。疑心暗鬼になるな物言いをして! 惑わせて、追い詰めて! ひどすぎるわ!!」


 私は、悔しくって、天蓬さんの前に飛び出して、思わず叫んでしまった。


「お父様?」と壱の眉がピクリと動く。そして、急降下すると私の前に立ち、私をぐいっと引っ張った。ふわりと私の体が宙に浮く。


「水蓮!!」


 天蓬さんが私をつかもうと手を伸ばしたけれど、届かず、私は壱と一緒に空に舞い上がった。壱が、私の眼鏡を飛ばして私の顔をのぞき込むと、眉をひそめた。


「スイレン? もしや、おまえ、燦の国の……」

「そうよ。貴方に唆された王の娘よ」

「生きていたのか」

「ええ」


 イチの表情が一瞬大きく揺れたかと思ったのだけど、イチはあっという間に表情を消した。そして、私の首に手をかけ力を入れようとしたとき―――ドンと何かが壱の後ろからぶつかった。その勢いに押されて、壱も私もバランスを崩した。私の首を絞めようとしていた壱の手が私から離れ、私は下に落ちていく…………はずだった。けれど、私は、もふんと柔らかいものの上に落ちた。


 『モーゥ』

 「ハナさん!!」

 「牛が宙を浮いている?!」


 壱が取り乱したように叫んだ。そして、妖術で何匹もの炎をまとった大蛇が出現させると、ハナさんとハナさんの上にいる私を襲おうと大きな口を開けて近づいてきた。

 『モーゥ』とハナさんが鳴く。すると、ハナさんとわたしは透明な膜のようなものに覆われた。それは、シャボン玉のように透明な膜。大蛇はその膜に触れると音もなく消えてしまう。


 ―― Good Job! ハナさん!


 焦ったイチがさらに大きな妖術を使おうと、呪文を唱えようとした時だった。 


「尊師イチ殿~」


 馬の音が土煙と共に聞こえてきた。複数の衛士と馬に乗った人物だ。はっとしたような表情を浮かべると、イチは急降下して地面に降り立った。そして、馬に乗った人物に恭しく頭を下げた。私とハナさんも難しい顔をしている天蓬テンポウさんの近くにおりると、事の次第を見守った。


「これは、これは羅刹ラセツ王子。なぜ、この場所に?」

「雷がいくつも大通りに落ちたと、衛士が血相をかえて俺に知らせに来たのだ。出ていかないわけにもいかまい?」


 そういうと、羅刹ラセツ王子が馬から降りもせずに、天蓬テンポウさんの方を見た。捲簾ケンレンさん達が、天蓬テンポウさんを守ろうと、天蓬テンポウさんと羅刹ラセツ王子達の間に立つ。衛士達も剣を抜き、羅刹ラセツ王子の言葉をまちつつ、こちらを睨んでいる。私はそっとハナさんの背に乗りいつでも逃げられるように身構える。

 

「……、ところで、尊師壱イチ殿」

「はっ。なんでしょう。王子」


 イチが返事したと同時に、イチの体がぎゅうっと引きずられ、あっというまに消えてしまった。イチの「なぜだ???」と言う声だけがその場に残った。

イチ

 羅刹ラセツ王子が、片目をつぶって右手で顎のあたりを触ると、左手に隠していた瓢箪を持ち上げた。

 

 ―― そのくせ! その瓢箪!

 

 羅刹ラセツ王子の顔をもう一度よく見る。私の視線を感じたのか、唇の端がにやりとあがり、よっこらしょっと馬から降りた。


「お師匠様!!!」

『モーゥ』


 私とハナさんが羅刹王子の姿をしていた老人に駆け寄った。お師匠様はなんでも化けることができるのだ。なんたって、の国一の妖術士、美猴ビコウなのだから!


「となると、衛士達も……」

「大当たりじゃ!」


 お師匠様がパンと手をたたくと、今までいた馬も衛士達が一瞬で消えた。お師匠様は自分の白髪を作ってなんでもコピーしてしまえるのだ。だって、の国一の妖術士、美猴ビコウなのだから!


「でも、お師匠様、今までどこにいらっしゃったのですか? もしかして、瓢箪の中とか?」

「おお! さすが我が弟子! 大当たりじゃ。閉じ込められて、本当に退屈で死ぬかと思ったぞお。ん? 随分見ない間に、お前も大きくなったの。胸は相変わらずじゃがな。っほっほ」


 思い出せば、イチが瓢箪の蓋をとったとき、小さな虫が瓢箪から出たっけ。あれが!そうか!と妙に納得する。

 

 何が何だかわからないという顔をしている天蓬さん達に、ことの顛末を説明する。しばらく唸っていたけれど、理解したようで、天蓬さんが大きくうなずいた。


「そうか。それでは、さっきの羅刹ラセツ美猴ビコウが化けたもので、その偽羅刹ラセツの呼びかけにイチが返事をしたから瓢箪に吸い込まれたと」

「そうじゃな。策士策に溺れるとはこのことじゃ。っほっほ」

「そうか。それで、イチはどうなる?」

「わしが蓋を開けぬ限り、この中におる。殺すなら瓢箪から出さねばならぬが、どうする?」

「……、少し考えさせてくれ。王宮の状況を見てから答えを出す」

「かまわぬぞ」

「ところで、美猴ビコウ殿に頼みがあるのだ」

「ほお」

「俺にかけられた呪いを解いてほしい」


「ほお。……構わぬが」と言ってお師匠様は言葉を切り、私の方を見た。


「呪いを解くとな、呪われていた時間、つまり、猪だった時の記憶もなくなるがよいか?」

「そ、それは……」


 天蓬テンポウさんが私の方をみて、捲簾ケンレンさん達を見て、地面を見て、黙ってしまった。捲簾ケンレンさん達も困った顔をしている。

 私も、天蓬さんといた時間が天蓬さんの中でなくなってしまうと考えたら、心臓がぎゅうっと締め付けられるように苦しい。


 ――、でも、私の思い出は私の中からはなくならない。それで十分じゃない?


 私はそっと天蓬テンポウさんの手をとった。金色の目が揺れている。


 ――、水蓮! 唇の端をあげて笑いなさい!


天蓬テンポウさん、何を悩むことがあるんです? 人間にもどって王宮へ戻るべきです。弟の羅刹ラセツさんにも会いたいでしょ? それに、王が不在の今、貴方が国を導かなくてどうするのです? 獣人のままでは押さえきれないものもでてくるでしょ? 」

「そうだな……。しかし、俺は、……」

「私の料理を美味しいと言ってくれて、本当にうれしかった。作ることの楽しさも、誰かと食べる楽しさも教えてくれてありがとう。本当に、天蓬テンポウさん達との旅はとても楽しかった。でも、旅は終わるものです」

「そうだな。……、それでは、解呪を頼む……」


 お師匠様が頷くと、呪文を唱え始めた。呪文の言葉と一緒に、天蓬テンポウさんの姿に虹色の小さな火が覆っていく。そして、小さな火がだんだんその数をまし、重なり合い、溶け合い、膨らんで、次第に大きな一つの虹色の火になり、輝きを一層強くしていった。


水蓮スイレン。お前の作る飯はどれもこれも旨かったぞ。俺はお前の…、す……」






 

 

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