エピローグ 田舎の風景

「行ってきます」


 大学卒業後すぐ出版社に勤めて三年目になる徳田は、威勢よく会社を出る。

 今日は、田舎の風景を取材するためにある地方へ向かう。


 十年ほど前に話題になったあの地。


 かつて、安藤財閥のお膝元と呼ばれた場所である。


 電車で都心から数時間。


 段々と山ばかりになる車窓を眺めながらじっと待つと、ようやく目的の地へ到着した。


「ああ、空気が澄んでていい場所だ」


 と、電車を降りて駅を出てすぐに間延びしたとき、街頭演説が聞こえる。


「えー、どうかこの町の発展のため、妃を、妃をよろしくお願いいたします」


 広場で人に囲まれながら、手を振る女性の姿があった。

 

 とても美人な人だ。

 それに、まだ二十代だろう。

 

「え、あの人が市長選に?」

「なんだ知らないのか兄ちゃん」

「え、あなたは?」

「妃さんの後輩だよ。今は妃さんが市長になるかどうかでこの街は賑わってるとこさ。美人で若いリーダー気質の彼女に、みんな期待してる」

「へえ」


 妃に見惚れていた徳田に、後ろから声をかけてきたのはこれまた自分と同い年くらいの青年だった。


「ま、あの人なら同じ失敗は繰り返さないだろうな」

「同じ失敗?」

「なんだ兄ちゃん、何も知らないのか? 安藤財閥がやらかした話だよ」

「あ、ああ。それなら僕も知ってるよ。なんでも、息子さんのいじめの隠ぺいとか、社長自身も色々やってたとかって」

「そうそう。権力っていう贅肉と脂肪でブクブクになった人間の憐れな転落劇だよ。でも、あれのおかげでこの町は随分いいところになった。元々商店街とかも昔の街並みを残していたし、観光地として評判にもなった」

「お若いのにしっかりされてますね。この町の観光関係の方、ですか?」

「いや、ただの当事者だよ。そんで、妃さんにお世話になった人間ってだけだ」

「はあ」

「ま、ここの取材がしたいなら、俺なんかじゃなくここに行ってみるといい。昔は隣町だったんだけど、今は合併して同じ市内だから」


 そう言って青年が徳田に渡した名刺には『カフェK.K』と書かれていた。


「そこにいる店主に俺の名前を出せばいいよ」

「ありがとうございます。ええと、お名前は?」


 徳田が頭を下げながら訪ねると、さっさと先を行きながら一言。


「安藤」


 と。


 その名前にハッとしたが、再び顔を上げた時彼の姿はもう、人混みに紛れて見当たらなかった。



「いらっしゃいませ」


 徳田は、先ほどもらった名刺を頼りにカフェK.Kを訪れた。


 すると、実に美人な、髪の長い女性が笑顔で出迎えてくれた。


 店内には数組の客。

 そして、カウンターにはパスタを食べる幼い子の姿もあった。


「ごめんなさい、今この子のお昼ご飯も食べさせてて」

「いえ、大丈夫です。男の子ですか?」

「ええ、主人に似て不愛想なんですけど。ね、あっくん」

「ママ、この人誰?」

「あ、ごめんよ僕はこの町の取材にきた徳田ってもので」

「パパー、取材だってー」


 子供が大声で奥に呼びかけると、少し目つきの悪い同い年くらいの若者がエプロンをつけたままこっちにやってきた。


「取材? そんな話聞いてないぞ」

「あ、すみません勝手に押し掛けたもので。ええと、安藤さんって方から紹介を受けて」

「安藤が? あいつも、勝手なことばっかするやつだな」

「ふふっ、パパったらそう言いながらちょっと嬉しそうだね」

「からかわないでくれよママ。ええと、今ちょっとお昼時なんで、待っててもらってもいいですか?」

「はい、それじゃここのおすすめランチを一つ注文いいですか?」

「かしこまりました」


 と、奥に再び引っ込んでいく男性に、女性もついて行く。


 仲睦まじい夫婦のようだ。

 

 そして残された子供は一人でせっせとパスタを食べていた。


「はい、お待たせしました。オムライスです」


 出てきたのは昔ながらの、くるっと巻かれたオムライス。

 そして食べてみるとこれがまた懐かしい味で、美味だった。


「うまい。君、いいねえ。毎日おいしいご飯をパパとママが作ってくれて」

「うん。でも、パパとママ、仲良すぎて家でもずっとイチャイチャしてるから困る」

「そ、そうなの? 仲いいのはいいことじゃないか」

「うん。ママはすごく優しくて、パパはいつも厳しい。でも、二人とも大好き」

「そっか。うん、いいねなんか」


 子供に話しかけて時間をつぶすつもりが、なんでもしゃべってくれるせいかつい聞きすぎてしまう。


 家では毎日三人で一緒に寝ること。

 休日は必ずどこかに出かけて、家族写真をとること。


 そして、絶対に家族を大切にするんだぞと、毎日父から言い聞かされていること。


「お待たせしました。で、取材とは」


 しばらく子供との話に花を咲かせていると、奥から店主が戻ってきた。


「あの、まずは美味しかったですオムライス」

「それはどうも。ここの先代に教えてもらったものなんですけど」

「お父さん、ですか?」

「いや、父はいません。でも、父の友人がここを経営してて。その人は今、俺の友人が立ち上げた『藤堂支援学校』ってとこで手伝いをしてます。障害のある人や、家庭に問題のある子たちを預かって世話をするNPO法人です」

「そういえば最近できたって聞きました。お知り合いなんですね」

「まあ、狭い町ですから。で、聞きたいのはそれだけ?」

「あ、すみません。ええと、まずは」


 このあと、色々と話を聞かせてもらった。


 10年前の事件で大きく街の雰囲気が変わったこと。

 その後、市長に立候補している妃たちの行動でこの町の浄化が進められたこと。


 そして店主自身は、変わりゆく街に不安を覚える人間たちの相談に乗っていたことも。


「ま、ただ愚痴を聞いてあげてただけですけど」

「でも、お金にならないのに人の為に何かできるって素敵ですよ」

「お金はないと困るけど、ありすぎても持て余すってことをよく知ってるので。自分に見合う分が稼げたらいいっていうか、お金持ちになりたいならそれに見合うだけの人格者にならないと破滅するっていうか。俺には人格者なんて、無理なんで」

「そう、ですか。いえ、色々とありがとうございました」


 取材を終え、お金を払って店を出ようとすると、家族で見送りに来てくれた。


「またいつでも来てください。この町は誰でも歓迎なので」

「はい、いい町ですね。商店街をぶらぶらしてからゆっくり帰ります」

「バイバイおじさん」

「ま、まだおじさんじゃないよ。でも、バイバイまたね」


 手を振る家族三人の姿は、とてもまぶしかった。


 そして、徳田が店を出た後も次々と客が訪れていたが、皆店主の顔を見ると笑顔になって。

 

 頭を下げながら嬉しそうに何かをしゃべっていた。


 そして困った様子の店主をフォローする奥さん。

 抱えられてニコニコする子供。


 何気ない町の風景だけど、この店を見ただけでこの町の人のあたたかさが伝わってくるようだった。


「うん、いい取材だった。今回の特集はあの店だな」


 徳田は足取り軽く、駅へ向かう。


 途中、寄った土産屋でも「桐生君の店は行ったかい?」と。


 メモを取りながら歩いていても、「君、取材なら桐生君のとこ行きなよ」と。


 みな、桐生という名前を口に出す。


 さっきの店主の名だ。


 この町の片隅でひっそりと店を営む彼が、しかし町中から愛されている人物と知る。


 欲がないのか、それとも慕われている自覚がないのか。


 なんにせよもったいないなんて思うのは、そういう立場にいないから思うことなのだろうと、徳田は首を横に振る。


「欲をかいてる俺なんかじゃ、絶対こうは慕われないだろうな」


 と、つぶやいて笑ってしまった。


 桐生蓮。

 

 今度は彼のことについてもっと詳しく知りたいと。


 そう思いながら徳田は、駅へ向かった。



~ fin ~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の青春は嘘で満ちている 明石龍之介 @daikibarbara1988

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画