4-25 羊と王(2)

(これが私の、手に入れたもの)


 目を細めてイェレを見つめて、ギジェルミーナは揚げ物を飲み込む。


 ギジェルミーナは王を殺しても王にはなれなかったが、自分だけの王を手に入れた。

 特別なものを与えられた存在だからこそ奪われ続けたイェレと、特別なものを与えられなかったがゆえに奪う側に立てたギジェルミーナで、二人だけの世界が成立する。


 長過ぎる孤独の中でイェレは、ギジェルミーナを唯一の存在だと錯覚した。

 ギジェルミーナはすべてを奪われた王の、すべてになった。それはきっと王になるよりも、素敵なことなのだと思う。


(だってただの王様は、こんな気持ちにはなれないはずだ)


 二人を照らす燭台の眩しさに視線をずらすと、少し離れたところでヘルベンが忙しそうに給仕に指示を出しているのが見えた。


「この皿は、国王陛下と王妃様のところへ」


「はい、かしこまりました」


 そんな会話が聞こえた後に、ヘルベンから料理の載った皿を受け取った給仕の少年が、緊張した面持ちでこちらに歩いてくる。

 ギジェルミーナとイェレの前にやって来た少年は空いた皿を除け、そこに新しい料理の皿を置いた。


「こちらは国王陛下と王妃様だけにご用意いたしました、ミルクラムの炙り焼きでございます。母乳だけを与えられて育った仔羊の、特別な味をご賞味ください」


 給仕の少年が料理の説明をして、お辞儀をする。

 丁重に置かれた白磁の深皿に載っていたのは、赤みを残して焼かれた小さな仔羊の骨付き肉だった。


(これがミルクラムか。確かに普通のラム肉よりも色が薄いな)


 味が気になったギジェルミーナは、さっそくイェレと自分の分を取り分けた。

 母乳以外の味を知らないまま屠殺された仔羊の肉の、淡く綺麗な薄紅色を見つめれば否応なしに期待が高まる。ここまで幼い仔羊の肉は、あまり食べたことのない食材だった。


「これはぼくとギジェルミーナだけがたべられる、とくべつなりょうりなんだね」


 無垢なようで意外と欲深いイェレが、ギジェルミーナが取り分けた仔羊の肉を嬉しそうに食べ始める。

 ギジェルミーナも焼きたてのうちに食べようと、ナイフとフォークを手にした。


 絶妙な加減で焼かれたミルクラムは簡単にナイフで切れるやわらかさで、ふわりと優しい香りがする。

 皿にかかっていた黄金色のソースに肉をよく浸して、ギジェルミーナはまず一口フォークで食べた。そしてその味の良さに驚いた。


(これは、多少可哀想でも殺す価値がある味だ)


 想像以上の美味しさに、ギジェルミーナは思わず吐息をつく。

 ほの温かい肉は羊の肉とは思えないほどくせがなく、かすかにミルクの味がした。脂身が少なくあっさりとしているのに、甘くやわらかいのが不思議である。


 ソースはスパイスをふんだんに使ったものではなく、羊の骨を煮込んで塩胡椒で味を整えたものだと思われた。しかしそれだけで十分味に奥行きが生まれて、美味しさが引き出されている。

 赤子のまま仔羊を殺すというのは残酷だが、その残酷さに見合っただけの美味しさはあるとギジェルミーナは納得した。


 隣のイェレも、何とも言えないとろけるような表情で、満足している様子である。


 それからしばらくの間、ギジェルミーナとイェレは黙ってミルクラムを味わった。

 二人以外の席には、普通のラム肉を焼いたものが運ばれているようで、客人たちは変わらず歓談していた。


 小さく幼い仔羊の肉は量が少なく、ギジェルミーナとイェレの皿の肉はすぐに最後の一切れになる。


「こんなにおいしいのに、すこししかないんだね」


 残り少なくなった皿を、イェレは残念そうに見た。

 ギジェルミーナも名残惜しかったが、最後の一口まで堪能することにする。


「でもほら、パンにソースをつけても美味しいですよ」


 リエットに添えられていたものとは別の、白くやわらかいパンをちぎってイェレに渡す。

 黄金のソースにひたして食べれば、ミルクラムの骨を煮込んだ風味だけをじっくりと味わうことができた。


「ほんとだ。パンとたべてもごちそうだ」


 イェレが笑って、熱心にパンをソースに浸す。

 その笑顔に、ギジェルミーナは永遠に心を掴まれた。


(仔羊と同じくらい、可愛くて可哀想な私の王様)


 自分がイェレを殺そうとしていたことを思い出し、ギジェルミーナは罪悪感と幸福感を同時に抱いた。


 イェレはギジェルミーナが毒を盛ろうとしていたことを知らずに、一緒にご飯を食べてくれる。ギジェルミーナだけを信じて、ギジェルミーナのちぎったパンを食べてくれる。

 何も知らない家畜のように与えられたものを食べるイェレの姿を見て、ギジェルミーナはその命が手の中にある快感に心を震わせた。


 生かす行為には、殺す行為と同じくらいの権力が宿る。


 だからイェレを殺さなくて良かったと、ギジェルミーナはそのとき心から実感していた。


(イェレが何をどう食べるのか、決めるのは私だ)


 人の人生を左右することのできる万能感に、ギジェルミーナは浸る。


 婚礼から一年を迎えた今日、ギジェルミーナとイェレは二人で一緒に食事をしている。ギジェルミーナが望めば、今日のイェレの食事にも毒を入れることができる。

 だが食事に毒はなく、どれだけ食べてもイェレは死なない。あの日も今日も、最後になることはない。


 実のところ自分にはそれほど統治者としての才能はないことに、ギジェルミーナは気づいていた。

 ギジェルミーナは王ではないし、多分王には向いていない。良い血筋に生まれた、ただの幸運な女である。しかしギジェルミーナは、王を支配する立場にいる。


 王が羊になり、羊が王になる世界にギジェルミーナはいる。

 イェレはギジェルミーナの王であり、ギジェルミーナが望めば羊にもなる。


 いつかは盗まれ殺される日が来るかもしれないけれども、それでもギジェルミーナは育てて屠る側の人間だった。


「ぼくはひつじが、いちばんすき」


 最後のミルクラムの欠片を食べながら、イェレがつぶやく。


 その小声の主張に、ギジェルミーナも同意して囁いた。


「私も羊が、一番好きです」


 イェレとギジェルミーナは、同じ耳飾りをして、同じ肉を食べ、同じ食卓についていた。

 かつての幼いギジェルミーナが好きだったのは、一羽丸ごと焼いた鶏肉である。

 だが今日からは、ギジェルミーナも仔羊の肉が一番好きになることにした。


〈完〉

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お姫様が絶対に死なないおとぎ話 名瀬口にぼし @poemin

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