4-22 葬られた者

 ギジェルミーナがイェレを殺さなかった日から数週間後、ギジェルミーナのもとに一通の書簡が届いた。

 それはオルキデア帝国の皇帝アルデフォンソが急な熱病に罹って死んだことを報せる、次兄エルベルトからの書簡である。


 ギジェルミーナは静かに雨の降る午後の書斎で、次兄からの便りを読んでいた。

 窓の外は曇り空で暗いので、部屋は蝋燭の火で明かりをとっている。エルベルトの書く書簡は達筆の名文とは言えないが、文字が大きいので読みやすかった。


(本当に、アルデフォンソ兄上は死んだのだな)


 木製の書記机に紙を広げて、言うほど驚かずに冷静に、次兄の書いた文章に目を通す。


 あの日ギジェルミーナが手にしていた毒薬の効用と同じ症状で、皇帝アルデフォンソはこの世を去った。

 ギジェルミーナがアルデフォンソの死にそれほど衝撃を受けないのは、侍従のカミロに兄を殺せと命令して毒薬の入った小瓶を返したのは、他でもないギジェルミーナだからである。


 不幸なイェレを殺すのは自分の望む王殺しではないと感じたギジェルミーナは、皇帝として本当に権力を握っているアルデフォンソを殺すことにした。

 それはギジェルミーナが幼いころから長兄に対して抱いた嫉妬や殺意に従う、初心に立ち返った選択だ。


(こんなにも簡単に死なれるのも、拍子抜けしてしまうが)


 兄を殺した実感のわかないギジェルミーナは、椅子の背にもたれて格子状の飾りがついた白い天井を見上げた。


 南のオルキデア帝国と北のユルハイネン聖国の戦争が長く続いて終わらないのは、皇帝であるアルデフォンソが父から受け付いた領土拡張の野心を捨てなかったことも大きな要因の一つにある。

 軍事大国であるオルキデア帝国は、武勇に優れた士気の高い人材が揃っていると言われていた。しかしあまりにも戦争が長期化していたため、陰では内心戦争を継続を望んでいない者が増えていたのだろう。


 もしかするとユルハイネン聖国との戦争と関係なしにアルデフォンソの排除を狙う、皇帝の政敵もいたのかもしれない。

 ギジェルミーナがカミロに暗殺の指示を出しただけでその通りにアルデフォンソが死んでしまうのは、ギジェルミーナ以外にも皇帝の死を望んでいた者が大勢いたからだとしか思えない。


 だがたとえどんなに多数の人間がアルデフォンソの死を願っていたとしても、盤上の駒を動かし死なせたのは確かにギジェルミーナだった。杯に毒を入れたのが誰であったとしても、その死を決めたのはギジェルミーナなのである。


(アルデフォンソ兄上は本当の悪人ではなかったが、やはり死ぬべきだったのだ)


 もう生きて会うことない兄の記憶を、ギジェルミーナは何もない天井を見ながら振り返る。


 アルデフォンソは妹であるギジェルミーナに対しては冷淡であったし、非道な所業もそれなりにしてきたが、自身の妻子には優しく君主としても無能ではなかった。

 しかしそれでもギジェルミーナは、アルデフォンソを殺したことを後悔しない。多少望んだものとは結果が違っていたとしても、ギジェルミーナは自分の信じたものを肯定した。


 衝動に従って生きるギジェルミーナは、正義や道徳といった言葉には興味がない。

 考えがまとまったギジェルミーナが目を閉じようとしたところで、書斎の部屋が開く音がする。


「ギジェルミーナ、何してるの?」


 部屋の主に無断で入ってきたのは、一応はギジェルミーナの主であるイェレだった。昼食後の午睡から目覚めたイェレは、目をこすりながらギジェルミーナの元に来る。

 ギジェルミーナは椅子に座ったまま振り向き、イェレを迎えた。


「兄が、死んだのです」


 子供のように駆け寄るけれども、背丈は子供ではないイェレの顔を、ギジェルミーナは見上げる。そして淡々と、兄の死について報告した。


 王妃の身内の死について知ったイェレの反応は、ギジェルミーナが想定していたものとは大分違った。イェレは王妃の身内の死を悼むのではなく、露骨に嬉しそうな顔をした。


「じゃあ、ギジェルミーナにとっても、かぞくはほんとうにぼくだけになったの」


「はい。そうです」


 無邪気に明るい声でイェレに尋ねられ、ギジェルミーナは思わず勢いで頷く。

 実際には次兄エルベルトも、身分の低い腹違いの兄弟姉妹も大勢いるのだが、とっさにそのことは触れずに隠した。


(イェレは、私を独り占めにしたいのか)


 今はっきりと目にすることになったイェレという一人の青年の独占欲を、ギジェルミーナは意外に思う。これまでも薄々感じられる場面はあったのだが、それでも改めて向き合うその表情は見知らぬ人のように見えた。

 イェレはギジェルミーナが自分と同じ孤独な存在になることで、二人の結びつきがより深くなることを望んでいた。


(だけどイェレのことを引き受けられるのは、私だけなんだから仕方がないな)


 自分を見下ろすイェレに手を伸ばして、ギジェルミーナはその顔を引き寄せ口づけをする。もう何度目かわからない、口づけである。


 イェレが可愛らしいだけではない歪な想いを抱えていることを知れば、むしろ逆に愛しさが増す。たとえそのイェレの愛が危険なものだとしても、ギジェルミーナは何もせずにそれを手に入れたのだから、多少の代償は払うべきだと思った。


 世界の王だった兄アルデフォンソは今や死んだ羊と同等の存在と成り果て、イェレはギジェルミーナの手の中にいる王として生きている。ギジェルミーナはその事実がただ、嬉しかった。

 数を重ねるごとに長くなっていく口づけは、やがてはっきりとした感触を残して終わる。


「きっと、やくそくはまもってね」


 イェレはそっとくちびるを離すと、ギジェルミーナを見つめてつぶやいた。


 その言葉にギジェルミーナはイェレに耳飾りを贈る約束を思い出し、結局殺さなかったのだからまた渡す品を用意する必要があることに気がつく。

 ギジェルミーナはエルベルトからの書簡を一瞥して、返書は後回しにすることを決めた。


(全部アルデフォンソ兄上が悪いのだ。イェレを殺せなんて、ひどい命令を私にするから)


 ギジェルミーナは身内だったはずの兄に他人のように責任転嫁して、今度はイェレのやわらかな耳元に口づけをする。

 外は暗く雨が降り続いていて、その厚い雲が去った先にはまた新しい季節が来ているはずだった。

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