4-13 謁見室での政務

 イェレが王としての職務を問題なく果たせる状態ではないので、ギジェルミーナが政治に関わる機会は思った以上に多い。


「私もこれまで同様に補佐を続けますが、今後は王妃様が陛下を支えていくことになります。よろしいですか?」


「オルキデア帝国の皇女として、私も少しは政治を学んできた。だからまあ、何とかなるだろう」


 謁見室での政務が始まる婚礼の儀式から数日後の午前中に、ヘルベンがイェレの部屋の前の廊下でギジェルミーナに確認する。


 ギジェルミーナは特に根拠はないが楽観的に、胸を張って答えた。自分が政治に携わることに不安はなく、むしろ普通の妃以上に権力を握れることを楽しみにしている。


「それは心強いですね」


 ヘルベンはギジェルミーナの自信家ぶりに苦笑して、内心では馬鹿にしているような表情をする。

 顔が正直な男だと、ギジェルミーナは思った。


 やがてイェレの準備が出来たらしく、部屋の扉が内側から開く。


「ギジェルミーナがいる。だからきょうは、おしごともうれしい」


 そう言って部屋から出てくるなりギジェルミーナの手を握ってきたイェレは、儀礼用の衣装に比べれば質素な黒いラシャの外衣ルッコを着ているが、国王らしく白銀の王冠を被っていた。


「はい、陛下。私は謁見室でも、喜んで陛下をお支えします」


 ギジェルミーナはイェレの白く細い、しかし確かに大人のものである手を握り返す。イェレの黒い服とお揃いになるように、ギジェルミーナもまた黒いドレスを選んで着ていた。


 そして二人は謁見室に移動し、イェレは深緋のベルベットの張られた金色の玉座に座って、ギジェルミーナはその横の玉座よりも飾りは少ないが立派な椅子に腰掛けた。

 謁見室は網状細工の丸天井が優美な広々とした部屋で、壁は白く大きな窓があるので昼間は明るい。


「まずはユルハイネン聖国との国境近くの都市に住んでいる領主の報告です」


「わかった。会おう」


 横に控えているヘルベンがこれから謁見にやって来る人物について説明をしたので、ギジェルミーナは頷く。何をどう理解しているのかわからないが、イェレもこくりと首を縦にふった。


 やがて開かれた扉をくぐり、石の床に敷かれた絨毯の上を歩いてやってきたのは、古びた礼服を着た小太りの中年の男だった。

 男はイェレとギジェルミーナに跪き、がさついた声で挨拶をはじめる。


「国王陛下と王妃様におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げ……」


 男の挨拶はまわりくどく長かったので、イェレは早速集中力を切らして眠そうな顔になる。

 ギジェルミーナも意味のない言葉を最後まで聞けるほど悠長な性格ではないので、半ば挨拶を打ち切る形で質問をした。


「で、国境はどうなんだ」


「はい。ユルハイネン聖国は近年不作続きで、流民がこちらの領土に大量にやって来ています。中には匪賊の類もいて、非常に危険です」


 頬づえをついたギジェルミーナが声をかけると、男は緊張した面持ちで慌てて本題に入った。


「そのため国境の警備隊を増員する許可と予算を頂ければ、と考えている次第です」


 男はギジェルミーナとイェレに深々とお辞儀をして、領主として希望を伝える。


 ユルハイネン聖国は、ギジェルミーナの祖国であるオルキデア帝国が長年戦争をしている大国であるが、ただ国土が広いだけで強国というわけでもない。

 戦争でも不利な状況に置かれ、そのうえ不作が続いているとなると、逃げ出す民が多いことも納得できた。


「なるほど。流民か」


 ギジェルミーナは領主の願いよりも、その前提にある状況に関心を持った。


 グラユール王国はユルハイネン聖国と直接戦をしているわけではないが、ユルハイネン聖国の敵であるオルキデア帝国から皇女を王妃に迎えて関係を深めている。

 だから流民の流入も単なる流入ではなく、戦争と関わる事象として考える必要があるのかもしれなかった。


 しかしイェレはそうした事情を理解できるはずはなく、ギジェルミーナの服の袖を引っ張り無垢な顔をして尋ねる。


「これはうなずいてよいこと? だめなこと?」


 イェレは判断のすべてを、ギジェルミーナに任せている。

 何もわからない人間に頼られるというのは気持ちが良く、ギジェルミーナは優しい声で答えた。


「この国に敵が入ってこないようにするためのことですから、良いことだと思います。『許可する。仔細は追って決定する』とお伝えするのはどうでしょうか」


 隣国との関係が緊張しているなら、国境の防衛に力を入れるのは間違いではない。具体的にどれくらいの予算を割くかは財務に詳しいものに決めさせるとしても、承認するべきである。

 そう考えたギジェルミーナが大雑把に対応を提案すると、イェレは何の疑いもなく従順な返事をする。


「うん。わかった」


 素直に頷いたイェレは、ギジェルミーナの服から手を離し、領主の男の方を向いて澄んだ声で受け答えた。


「きょかする。しさいはおってけっていする」


 他者の言った言葉を繰り返すイェレは、自分が何について話しているのかわかっていない。

 イェレは傀儡の王であり、ギジェルミーナは操る側にいる。ギジェルミーナはイェレの損になることをするつもりはなかったが、その関係には多少の罪悪感と快感が伴った。


 領主の男も、自分の目の前で行われていることの意味をよくわかっているようだった。

 しかしそれでも男はさらに深々とお辞儀をして絨毯の上で跪き、くどくどしいお礼の言葉を述べる。 


「ご適切な判断をしてくださり、誠にありがとうございます。国王陛下と王妃様の治世は必ず素晴らしいものになり、我々臣下は限りない幸せを生きることでしょう」


 ギジェルミーナは領主の男が薄く禿げた頭を下げているのを一瞥して、それから隣のイェレをじっと眺めた。

 黒瑪瑙オニキスを使った白銀の王冠を被り上等な生地の外衣ルッコを着たイェレの横顔は絵画のように整っていて、黙っていれば賢そうな大人の国王に見える。


(ときどき忘れそうになるが、イェレもアルデフォンソ兄上と同じように王なんだ)


 一人では何もできない存在であったとしても、イェレはギジェルミーナよりも美しく、ギジェルミーナは持っていない王冠を被っている。

 その事実を直視すると、かつて兄に対して抱いた、より多くのものを与えられた存在への嫉妬を思い出すところもあった。


 しかしイェレは王冠を与えられてはいても、王冠だけでは釣り合わないほど多くのものを奪われていることを、ギジェルミーナは知っている。だからその嫉妬や殺意のことはすぐに忘れて、ギジェルミーナはイェレの弱さを愛した。


(たとえ私よりも偉い王様だとしても、イェレは可哀想で可愛くて、私を好きだと言ってくれるから)


 ギジェルミーナがイェレの横顔を見つめていると、視線に気づいたイェレがこちらを向く。そしてイェレは、ギジェルミーナの言った通りに振る舞ったことを、褒めてもらいたそうに微笑んだ。

 その純真な好意を得る立場にいられることに、ギジェルミーナは満足していた。

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