4-12 新しい朝

 翌朝ギジェルミーナは、自分の寝室のベッドで目覚めた。


(そういえばもう、グラユール王国にいるんだった)


 イェレの寝室を出た後は手紙を書いて祖国に送り、ご馳走をお腹いっぱいに食べて早めに寝た次の日の朝は、初めての場所でも気持ち良く起きることができた。


 ベッドの上で背伸びをして立ち上がり、朝日が差し込む窓から景色を覗いてみる。

 そこからほど近くに見える山岳と城下町が陽光に照らされていく様子は美しく、ギジェルミーナはこれからの季節の移り変わりが楽しみになった。


 そして侍女を呼んで着替えようと考えたそのとき、ドアの外から物音が聞こえた。何かが落ちて転がったような、そんな音だった。


(朝から一体何なんだ)


 ギジェルミーナは部屋を出て、様子を見ようと思った。

 しかしギジェルミーナがドアノブを回すよりも先に、外から勢いよくドアが開く。


「ギジェルミーナ、ここにいた」


 入ってきたのは寝間着のガウンを着たままのイェレで、イェレはギジェルミーナを見るなり抱きついた。


「え、何。何かあった?」


 いきなりの抱擁に、ギジェルミーナは動揺した。


 イェレは行動は子供っぽくても背丈は十分に大人なので、抱きしめられればそれなりに圧迫感がある。


 開いたままのドアから廊下の様子をうかがうと、床にはおそらくイェレがぶつかって落としたのであろう花瓶が転がっていて、その横には侍女の一人がいて申し訳なさそうにこちらを見ていた。


(とりあえず、花瓶が割れてなくて良かった)


 侍女に適当に目配せをして、ギジェルミーナはそっとドアを閉めた。イェレに抱きつかれている姿を見られるのは、まだ何となく気恥ずかしい気がする。


 イェレはしっかりと抱いてギジェルミーナがそこにいることを確認すると、真っ直ぐに顔を覗き込んだ。


「ちゃんとやくそくしたのに、どうしてどこかにいっちゃうの。ぼくのこと、きらいになった?」


 そう尋ねたイェレの青い瞳は、涙で潤んでいた。


 ギジェルミーナは何もしないなら二人でいても意味はないと思って自分の寝室で寝たのだが、どうもそれはイェレにとってはとても不安な出来事だったらしい。

 そのことに気づいたギジェルミーナは、慌てて嘘にならない程度の好意を伝えた。


「いや、好きです。多分」


 そう答えると、イェレは泣きそうな顔のまま、ギジェルミーナをもう一度抱きしめる。


「じゃあずっと、そばにいて」


「はい。そうします」


 半ば問答無用の形で、ギジェルミーナはイェレの要求を受け入れ、その細い身体を抱きしめかえす。


(となると私は、これからは一人じゃ寝られないのか)


 ギジェルミーナは一人で好きなときに寝て起きるのが好きだったので、その機会が失われたのが残念だった。

 しかしイェレがあまりにも自分を好きでいてくれるので、それくらいのことは我慢してあげるべきだと思った。


 ◆


 その後ギジェルミーナは、侍女を呼んで着替えを済ませ、朝食をとった。


 朝食はイェレの寝室の隣の部屋に並べられ、二人は食卓を挟んで向かい合う。


「それでは、いただきます」


 ギジェルミーナは簡単に祈りをすませて、ナイフとフォークを手にとった。


 レースで縁取られたクロスのかかったテーブルの上の陶磁器には、焼きたての白パンにじゃがいものパンケーキ、穴あきのチーズ、生ハム、ゆで卵にアプリコットなど、丁寧に仕上げられた料理が盛り付けられている。


(この料理は知らないな)


 ギジェルミーナはまず見慣れない料理だったので、こんがりとした黄金色が綺麗なじゃがいものパンケーキにナイフを入れた。平たく丸い形に固めて焼いた細切りのじゃがいもは軽快な音をたててフォークに刺さり、口の中に運ばれる。


 するとまずかりかりに焼けた部分に染み込んだ豊かなバターの香りが舌の上に広がって、その中からほくほくと甘いじゃがいもが姿を現しほどけていった。


(すごく単純な料理なのに、美味しいなこれは)


 ギジェルミーナはその素朴だが良い匂いのする朝食を前にして、ここに来るまでの朝の慌ただしさを忘れて夢中になった。


 丸い白パンはやわらくちぎれてほの温かく、ゆで卵は絶妙な半熟。

 野性味のある赤色をした生ハムはしっかりとしたしょっぱさが食欲をそそり、新鮮な牛乳で作られたであろうチーズはまろやかな味がした。


(きっと牧畜が盛んな山の国だから、まず牛が良いんだな)


 素材の良さが引き出された品々に感心しつつ、まんべんなく味わって食べる。

 昨晩も満腹になるまでご馳走を食べたギジェルミーナであるが、朝になればもうお腹はすいていた。


 しかしふと見てみると、イェレはギジェルミーナと違ってまったく朝食に手をつけていなかった。

 その様子を見て、給仕をしている侍女がおそるおそる声をかけた。


「食べやすいように、お切りいたしましょうか」


 侍女の視線は、まだ一度も握られていないイェレのナイフに向けられている。

 しかしイェレは寝起きで不機嫌であるらしく、むくれ面で拒絶した。


「あさごはん、たべたいきぶんじゃない」


「だけど何か一口だけでも、お召し上がりになられた方が……」


 侍女は食い下がり、薄く切ってあるチーズを小皿に載せて勧めた。

 それが気に入らなかったのか、イェレは牛乳が入っている杯を手にとり投げようとする。


「いらないって、いってるでしょ」


 そう怒ったイェレは、駄々をこねる子供の顔をしている。

 せっかくの朝食を台無しにされては困ると、ギジェルミーナは急いで立ち上がった。


「陛下、このパンがすごく美味しいですよ」


 ギジェルミーナは自分の皿に残っていた白パンをちぎり、身を乗り出してイェレに差し出した。

 癇癪を起こしているイェレをじっと見つめて、にっこりと微笑む。


 そうしてやっとイェレは機嫌を少しは直したらしく、仕方がなさそうにギジェルミーナが手にするパンに顔を近づけた。


「じゃあ、ちょっとだけね」


 イェレは小さく口を開けて、ギジェルミーナが手にしているパンにかぶりつく。二口目以降もそのまま食べ進めたので、イェレのくちびるはギジェルミーナの指にふれた。


(侍女じゃなくて私が相手だと、大分態度が違うみたいだ)


 小鳥がついばむようにパンを食べるイェレの相手をして、ギジェルミーナは親鳥のような気分になる。


 難を逃れた侍女は、ほっとした顔をしてギジェルミーナにお辞儀をした。

 事情を察するとギジェルミーナは、これからイェレの面倒をたくさん見なければならないようだった。

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