1-11 いずれ終わる土地の朝

 包囲を続けていたオルキデア帝国はその後、対岸で攻め込むための船の準備を整え、神殿は数日以内に攻撃されるとの予測が立てられた。


 神殿は食料も武器も不足しており、勝利は非常に遠い状況にあると騎士も神官も思っている。

 しかし状況がどれほど切迫しても、聖女であるシェスティンの食事の量が減ることはなかった。


 シェスティンは居館の食堂で、普段と同じように侍女が運んできた朝食を食べている。

 食後には大きな儀式があるため、シェスティンは金地に緑の葉の刺繍が施された重いローブにビーズを連ねた首飾りを重ね、髪は宝石で縁取ったヘアネットでまとめて席についた。


「神よ、この食事を祝福してください。そして我々の命を支える、聖なる糧としてください」


 古い聖人たちの絵が描かれた壁を背にして、シェスティンは手を合わせて食卓に祈る。

 食堂は何十人も入れるほどに広いが、シェスティンと侍女しかそこにはおらず、木製のテーブルに載っているのもシェスティンの分の朝食だけである。


(他の方々が我慢してくれているおかげで私が食べることができるのですから、感謝をするべきなのでしょう)


 シェスティンは祈り終えると、テーブルの上に置かれた金属の器の中を覗いた。中に入っているのは、たっぷりと盛られたミルク粥である。

 ぐつぐつに白いミルクで煮込まれた麦粥は、中に干しぶどうや胡桃が混ぜられていて、見た目も豪華で甘い匂いがした。


(でも私は、別にミルク粥も好きではないのですよね)


 たいした感動もなく、シェスティンはミルク粥に添えられているカップに入った牛乳をかけた。

 食べやすく冷ますために冷たい牛乳を加えるのが、シェスティンの知っているミルク粥の食べ方である。

 シェスティンはぬるすぎるのは苦手なので、ごく少量の牛乳をかけた。そしてまだ熱いところが残っているうちに、匙で粥を口に運んだ。


(やはり、美味しくはないです)


 熱い粥と冷たい牛乳が混ざり、シェスティンの舌の上を通る。

 噛めば麦はふるふるとやわらかく、シナモンで香り付けされたミルクは淡く甘い。

 そして胡桃の歯ざわりと、ねっとりとした干しぶどうの濃い味が、ミルクの甘さに変化を添える。


 シェスティンの食卓に置かれたミルク粥は、厨房の料理人が聖女のために心を込めて作ってくれた、そうした上質なものである。

 だからそのミルク粥を美味しく食べることができないのは、すべてシェスティンの問題だった。


 シェスティンは食べることが好きではなく、そもそも生きることが好きかどうかも怪しい。

 それでも選ばれた聖女として供物を捧げられ何の苦労もせずに生きてきたシェスティンには、飢える民衆の苦しみも、死にゆく兵士の悲しみもわからない。

 食事も服も住まいも、すべてを与えられすぎたシェスティンには、その幸福がわからない。


 シェスティンは、苦しみのない苦しみの中にいた。


(だからきっと、過剰な不幸が羨ましくなって、クルトに惹かれるのでしょう)


 粛々と器の中の粥を空にしながら、シェスティンはクルトのことを考えた。クルトは他の騎士たちとともに、シェスティンよりも粗末な朝食をとっているはずだった。


 敵に家族を殺されて喪失を知ったクルトは、奪われることを恐れて強くあろうとした。

 しかしシェスティンは与えられたことしかないので、奪われる弱者になりたいと思っている。


 そしてその願いを実現できる破滅のときは、もうすぐそこまで近づきつつあった。


「もうそろそろ、終わりですね」


 シェスティンは昨日と変わらない曇天を眺めて、侍女に話しかけた。


「はい、お粥は足りていましたでしょうか」


 終わるのはシェスティンの食事だと考えた侍女は、ずれた質問を返す。

 間違いを正すのも面倒で、シェスティンは頷いた。


「ええ、十分にありました」


 そう言ってシェスティンは、最後の甘い一口を食べた。


 黄金色の朝日が差す四葉飾りの窓の外では、風が音を立てて吹いている。


 終末を願っていたシェスティンは、オルキデア帝国の攻撃によってすべてが破壊されるときが近づくごとに、逆に神の存在を信じられる気がしていた。


 あまり好きではなかった世界も、そのうち滅びるとわかれば少しは好きになれる。


 敵の兵士が目の前に現れたそのとき、シェスティンは殺されるのか、それとも死ぬよりもひどい仕打ちを受けるのか。今はまだ、考えてもわからない。


 しかし何にせよ、退屈な日常はもうすぐ終わるのだとシェスティンは安心した。

 敵は強大でこちらは弱いから、クルトもきっとシェスティンを守れないに違いないのだ。

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