第30話 翼の竜とお姫様

 あの後、無垢なメイドさんが泣きながら謝りに来た以外は、いつも通りの毎日が続いた。何日か経つと、お兄さんの襲撃は夢だったのではないかとすら思えてくる。


 そして、あれから一週間が経った。


「できた……!」


 最後のセルペーパーが描き終わった。坊ちゃんに書き直しを命じられた竜退治の筋を変えて、わたしの二作目となる作品が完成したのだ。ぐっと背中を伸ばすと、坊ちゃんが机を覗き込んでいた。


(あ、勉強終わってたんだ)


 最近は勝手に食堂まで行かなくなった。わたしが集中して気づかないときでも、声をかけて連れていくようになったのだ。


 相変わらず、調理が始まる前に行って観察するのは続けている。


(後でいいもの見せてあげるからね)


 この世界にきて、初めて夜を楽しみに思ったかもしれない。



~~~~~~~~~~~~〜〜〜〜〜



 いつもは暗くなったらすぐに寝てしまうのだけれど、今日は図書室からランプを持ってきて夜更かししていた。完成したアニメを坊ちゃんに見てもらうためだ。


(お人形ちゃんたちに見せようと思って作ったけど、やっぱり最初は仕えている相手に見てもらわないとね。外に出していいものなのか確認もしてもらわないとだし)


 とはいえ、坊ちゃんを遅くまで起こしておくわけにもいかない。


 急いで準備を進めた。上映さえ始まってしまえば、わたしの作品は十分程度で終わる。


(準備のほうが時間かかっちゃいそう)


 壁に絵がくっきり映るように、映写機の位置を調整する。あまりにも機能が少ないわたしの映写機で、唯一調整できる部分だ。


 そんなに難しい作業ではないのだけれど、なかなか位置が決まらない。動かすたびに、もっと綺麗に映る場所があるのではないかと思ってしまう。


(そんな細かく気にしたって、坊ちゃんから見た映りはほとんど変わらないかな? わかってても気になっちゃうのは、やっぱ緊張してるから?)


 自分の作品を見せるのは二度目だけれど、一度で慣れるものではない。正直緊張していた。


(前のは推理ショーだったから、実際はこれがわたしの処女作……)


 わたしは音が鳴るほど力を込めて、映写機を置いた。考えれば考えるほど、場所が決まらなくなりそうだったからだ。


(もうここに決めた)


 セルペーパーを確認してセットする。


「よし……始めよう」


 壁を指さすと、坊ちゃんは眠そうな半目をそこに向けた。


 わたしがハンドルを回し始めると、光の中で女の子が動き出す。推理ショーにも登場した、虹色の瞳の女の子だ。


 最初はお人形ちゃんみたいな金髪の女の子にしようとしていたけれど、モデルにしたのがバレバレだと恥ずかしいのでこっちに変えた。


 お話の始まりはこんな感じだ。


『お姫様はかわいらしい見た目と明るい性格で、王様や家来に愛されていました。しかしお城の外には出たことがなく、町や森のことは何も知りません。お部屋からは、町にある大きな看板が見えるだけです。


 ある日、お姫様がお庭を散歩していると、大きな翼をもつ竜が飛んできて、お姫様をつかんでどこかへ連れて行ってしまいました』


  外を知らないのを無音のアニメーションで表現するのは少し骨だった。女の子と町の情景の間に壁を置いてみたりと、かなり工夫したシーンだ。


 そして次は女の子が連れていかれた先のシーンが始まる。


『お姫様はお城から遠く離れた森に降ろされました。翼の竜は去ってしまい、お姫様は一人ぼっちです。


 お姫様は一日じゅう森の中を歩き回りました。お腹がペコペコになったお姫様は、やっとのことで塔のような古びた教会にたどり着きます。


 その教会には修道女のお姉さんがいて、温かい料理でもてなしてくれました。しかし、それを食べるたびに何か一つ仕事をしないといけないというのです。お姫様は掃除も洗濯も、お料理の手伝いだってしたことがなかったので、何をするのも一苦労でした。


 それでも修道女のお姉さんが、まずは掃除から、次は洗濯、最後にお料理と一つずつ根気強く教えてくれたので、ひと月たった頃には身の回りのことは自分でできるようになっていました』


 ここで難しかったのは、言葉を使わずにルールを示すことだ。


 シスターに食べ物を取り上げさせたり、代わりにほうきを渡したりとさせてしまったから、ちょっとイジワルな感じになってしまったかもしれない。そこはお仕事を覚えた女の子を褒めるシスターの姿で、挽回できたと信じたい。


 次のシーンではお姫様たちは旅に出る。


『ある日、修道女のお姉さんに連れられて、お姫様は教会の塔のてっぺんに登りました。その塔は森の梢から突き出ていて、海のように広がる緑がとても綺麗に見えます。しかしお姉さんが見せたかったのは別のものでした。


 お姉さんが指さしたのは遥か遠く。森の外に見える町の、一つ先の町の、さらにもう一つ先の山の間に見える大きなお城です。そこはお姫様の住んでいたお城でした。


 お姫様はお父さんとお母さんを思い出して泣いてしまいます。お姉さんはお姫様の涙をぬぐうと、手を取って歩かせました。あのお城まで歩いて行こうというのです』


 ここでの背景の描き込みは頑張った。隙間なく木を描き込んで、深く暗い森を表現し、逆に町は密度を低くして森との差を強調した。


 そして次がクライマックスだ。


『お城への旅にも決まりがありました。それは、道中で困っている人がいたら必ず助けてあげるというものです。お姫様はいつも助けてもらう側だったので、その意味がよくわかりませんでした。


 最初に会った人は森で迷子になっている男の子です。町までの道はお姉さんが知っていたので、お姫様は町に着くまでの間、男の子が怖くないようにずっとお話してあげました。お姫様は特別なことをしたつもりはなかったのですが、町でたくさん『ありがとう』と言ってもらえました。


 町にはたくさんの人がいて、困っている人もたくさんいます。お姫様はお姉さんと一緒に皆を助けながらお城に向かいました。お料理屋さんのお手伝いもしましたし、足の悪いおばあちゃんのお使いをしたりもしました。


 薪割りのような苦手なお手伝いも嫌がりません。お姫様は人の喜ぶ顔が大好きだったので、どんなことでも頑張れたのです。お城がお山よりも大きく見えるところに来る頃には、お姫様は町の人からもらったありがとうでいっぱいになっていました。


 あるとき道を歩いているお姫様が顔を上げると、ひときわ大きな看板が目に留まりました。お姫様が両手を広げたのよりも大きなその看板には、翼を広げた竜がはみ出しそうなくらい大きく描かれています。お姫様はそれを見てとても懐かしい気持ちになりました。その看板はお姫様のお部屋の窓から、唯一見える看板だったのです。


 お城の前には王様が待っていました。たくさんの家来もお城の外まで出てきていましたし、町の人もみんなでお城の前に集まっています。こんなにたくさんの人に見られていてはお姫様も泣くわけにはいきません。うれしい気持ちをぐっとこらえて、王様の前までゆっくりと歩いて行きました。


 お姫様は一緒に旅をしてきたお姉さんを紹介しようと思いましたが、お姉さんの姿が見当たりません。お姫様が呼びかけると、その返事は空から聞こえました。


 見上げた空には一匹の大きな竜が飛んでいました。前にお姫様を連れ去ったのと同じ竜です。


 それでもお姫様は怯えたりしませんでした。その竜が優しい心を持っていると知っていたからです。竜はお姫様の前に降り立つと、頭をお姫様に近づけました。お姫様を丸飲みできてしまいそうな大きなお口には、小さな王冠がくわえられています。


 お姫様が腰をかがめて頭を差し出すと、その上に小さな王冠が載せられました。お姫様が本当の「お姫様」になったその日は、みんな大喜びで、国中がお祭り騒ぎだったそうです』


 映像の中で幕が閉じられて、上映の終わりを知らせる。それを見ていた坊っちゃんは微動だにしなかった。


(あれ? 寝ちゃった?)


 そっと坊っちゃんの顔を覗くと、両目の端から涙の筋ができていた。


(え!? 泣いてるの!? 怖かった?)


 坊っちゃんは自分の腕を顔に押し付けるようにして涙をぬぐうと、大きく頭を横に振った。


「――――――――!」


 そして何やら吐き捨てて、ベッドまで行って布団にくるまった。


(え? なんなの? 良かったの? 悪かったの?)


 気になる評価はお預けのようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る