故人主人公はお好きですか?

初見 皐 / 炉端のフグ

故人主人公はお好きですか?

 






 ——故人主人公は、お好きですか?




 私は、大嫌いです。主人公は、絶対に死んではいけない。




 これは、そういうお話。







 .                 ❇︎                 .





 最近になって預かった合鍵を使って、マンションの扉を開ける。いつのまにか食い縛った歯の隙間から息を吸う。


 ——|——|——


葵依あおい?制服着替えるからちょっと待っててー」


「んー、お茶淹れとく」


「たすかるー」


 ——|——|——


 ダイニングに続く短い廊下が、やけに長く感じる。喉の渇きは、お茶では潤いそうにない。


 ——|——|——


「葵依、ここちょっとわからないんだけど……」


「三角関数、あたしも苦手なんだけど……」


「マジか……」


「マジだわっかんない……」


 ——|——|——


 お湯を沸かす間、ソファーに座ってテレビをつける。電気や水道がまだ使えることに、違和感を覚えてしまう。

 ニュース番組に映るのは、ただのグルメリポート。一体は、何に期待してテレビなどつけたのだろう。


 ——|——|——


「祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕、着替え終わった?」


「おーけー、入っていいよー」


 ——|——|——|

 ——|——|——

 ドアノブに、手をか̡͎̘け̻̟る̼͚̺。

 ——|——|——

 ——|——|

 —̛̐̀͒̅͑̓̓͒̓́͊—̽̆͑̀̓̈̎̕|̉͋̽̅́̚͡—̍͆́̌͠

 ——|——|——|

 ——|——| |̵͗́́̌͂́̀̆͡—̶҇̄͐̿̌̌̽̐̈́͑̽̓͌—̵͑̽̎͛̏͌͛̉͆͛́̂̂̑̕̚|—҈͌͒̄̂͛̔̋̕̚—










 ——辛うじて、2つのマグカップを勉強机に置く。この部屋にはもう、私しか居ない。


「……どうして、祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕だったんだろうね」


 今まで堪えていたものが、少しずつ溢れ出る気配がした。


「お父さんも……お母さんも亡くなってさ、ようやく……立ち直れたのかな、って…思ってたのにな……」


 そんな折の、不慮の事故だった。


「祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕ってさ、他に親戚、いたのかな……?お葬式とか、遺品整理とか、どうなるんだろう。まだなんにも、わかんないんだ」


 そんなことも、私は知らなかった。


「これから——何もかも、これからなんだって……思ってたのにな……」


 声を絞り出すのも、難しくなってきて。



 その場にしゃがみ込んで、どれだけ泣いていただろう。


「……お茶、冷めちゃったよね」


 なんとか顔を上げてみても、飲み物を口にする気にはなれない。

 両袖は湿り切ってしまって、涙を拭うものを求めて祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕のベッドに突っ伏してみる。なんだか安心するような気がして、そのままずるずると身を引きずるようにベッドに上がる。


「祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕……っ」


 シーツを握りしめる手のひらは、凍える寒さに震えていて。


「やっぱり、私寂しいよ……寂しい……」



 ——取り残された人間は、一体何処に救いを求めればいいのだろう。









        物͚̮̥̘̦͙̱͆̓̇̉̓͆̌̇̽̆̎̏語̜͇̙͈̝̗̱̖̱̌̑̅́͌̓は͚̮̬̩̬̥̠̟͇̖͔͙̀͑̑̽͂̏̉́̀͌、̝̜͖̜̗̘̩̜̏̋̊͋̈́͋͊̓͊͂̚ͅ終̙̬̘͇͓͇̙̑͌̓́̄̉̚わ͚̱̯͖̪̰̠̬̦͎̍̏͒̍̄̔̌ら̟̤͖͎̥̠̰͕͊̓̿͐̅̊͌̅̑̍̔̐な̰̠͈̘͖͉̋͊͗̚̚い͚̤̲̞̖̟̤̯̬͙̮̔̅̋̊́̔̾̑̐̚。̬̩̯̦̙͚͒̑͌̔̔̈́̍ͅ









「葵依、元気でやってるかな……」


 ポロッと溢れたようなその呟き。屋敷の裏手で洗濯物を取り入れながら、言葉を拾い上げる。


「アオイさんって、ユ̵̸̸̷̛҉̸̢҉ウ̴̷̷̴̸̢͞キ̵̷̸̛҉̴̸͢さんの故郷のお友達でしたっけ」


 一度だけ、チラッと聞いたことがある。ユ̵̸̸̷̛҉̸̢҉ウ̴̷̷̴̸̢͞キ̵̷̸̛҉̴̸͢の故郷が一体何処なのかは、頑として語ってくれないが。


「うん、元気な奴でね。いつも『祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕祐҉̧̛͇̄̄̆樹҉̢̞͊̔̕ー!』って、くっついてくる奴だった」


 ——後半、多分嘘ですよね、なんて、声に出せるはずもなくて。


「案外、俺が居なくなってしおらしくなってたりして」


 冗談めかした言葉が、冗談には聞こえない。


 ——彼の瞳は、ずっと遠くを向いていた。



 ——|——|——

 —̴̲̟̙͍͙͚͉͇͕͊̋́̇̔̉͗͒̊͒ͅ—̸͚̠̳͕̖̝̞̅̊̓̾͂͊̀́̾̄ͅ|̴̜̖̗͖͇̱́̾̈́̓̆̇͂̆͂̏—̶͚̮̪͎̀̊̑̊ͅ—

 ——|——|——



 墓石に寄りかかって、拳を強く叩きつける。あまりに不謹慎な所業だろう。それは自覚している。


「クソッ」


 普段は表に出ない口の悪さが、今ははっきりと表出していた。


「なにが『またいつか』ですか……!『いつか』なんて、もうないじゃないですか……」


 もともと死に急ぐようなところがあった彼だ。自殺願望があるようには見えなかったけれど、彼はいつも、約束や予定を作ろうとしなかった。

 ——まるで、いつ死んでもいいように準備していたみたいに。


 噛み締めた唇から、墓の上に血が垂れる。


「アオイさんって結局誰なんですか!?そもそもユ̵̸̸̷̛҉̸̢҉ウ̴̷̷̴̸̢͞キ̵̷̸̛҉̴̸͢さんって何なんですか!どこで生まれ育って、これまでどんな人と暮らしてたんですか!?」


 ——やっぱり、何も知らない。親しいつもりでいた人のことを、私は何も知らなかった。知ろうとも、多分しなかったのだろう。


「結局何にも話さないで……そのくせ時々あからさまに悲しそうな目をして!」


「苦しむなら私の手の届くところで苦しんでくださいよ!私が…手を差し伸べられるところで……っ!」


「そりゃ私なんかじゃユ̵̸̸̷̛҉̸̢҉ウ̴̷̷̴̸̢͞キ̵̷̸̛҉̴̸͢さんを助け出すことはできないかもしれませんよ。でも…でも——」


想い人﹅﹅﹅が自分の手の届かないところへ行ってしまう苦しみを、あなたは知ってるんじゃないんですか!」


 ——わかっている。こんなことを言っても仕方がないと。


「なんで」


 ——でも。


「なんでなんでなんでなんでなんで!」


 訊きたかったことが、あまりにも沢山あるのだ。——聞けなかったことが、降り積もっていく。



「——なんで……」


 ——なんで、私を一人ぼっちにしたのか。

 そんな言葉を口に出すのはあまりにも酷で、口をつぐむしか他に無くなってしまう。



「生きていて…ほしかったな……」


 自分にも聞こえないようなその呟きが、彼女のただ一つの本心だった。

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