第36話 シュタインガルド

『案内役を付けられないのは逆にラッキーだったな』

「そうね。銃の安全装置を外して人に平気で向けるような奴と一緒だったら、まともに探索なんてできたものじゃないわ」


 シュタインガルドの街の中は鉄と油のニオイが充満していた。……鼻をつくいやなニオイが街の中に充満していた。


「なんというか、空気がまずいわね。ここで深呼吸とかは遠慮したいわ」

『土の中に染み込んだ鉱毒が原因だろうナァ。アレは土を腐らせ、作物を育たなくさせる呪いみてぇなモンだ』


「えっ……毒って……。それって、この街に暮らしている人は大丈夫なの?」

「直ちには問題ねぇ。ただちに……、はな。鉱山が雨風に晒されると鉱毒が流れ出て。土壌を汚染する。まあ、小娘は長期間滞在する訳じゃねーから、心配するほどのことはネェぜ』


「つまり、それって長時間滞在していれば問題があるってことじゃない……。全然大丈夫じゃない」

『……微量の毒が体内に蓄積されて子々孫々引き継がれ、少しずつ体を蝕む。言ってみれば悪質な呪いのようなモンだ。更に悪いことに治癒魔法でもどーにもなんネェ。ここで暮らしている奴は、それを理解した上で、ここ以外に暮らすすべのない奴ら。そういうことだ……』

「…………」


 私に言えることは何もない。……これは今代のロードがこの街に就任する以前から存在した問題だ。


『小娘、余計な事は考えるな。おめぇは英雄じゃネェ。優先順位を間違えるナ』

「わかってる」


……言われなくても分かっている。私の目的は、悪しき竜を滅すること。そう誓い、それだけを目的に黒竜騎士になった。脇目を振らず初志を貫徹する。


里を滅ぼされてから目的を忘れたことなど一度も無い。燃える里の光景を忘れたことなど一度もない。……全てを救うなど、傲慢も良いところだ。


(……分かっている。理屈では分かっている……それでも……)


「この国の仕事って本当に傭兵業だけなの? クスリとか作っていたりしないの?」

『その心配は無いと思うぜ。この土地じゃヤクの素材となる麻すら生えネェ。土が腐っているから、発芽しても鼻が咲くまでいかずに腐っちまう』


 麻は荒れ地ですら育つと聞いたことがある。ソレすら育たない場所で暮らすっていうのはどれほど大変なことだろうか。


「じゃあ、上納金は何でまかなっているのよ?」

『傭兵業だな。まあタテマエ上はシュタインガルドが自分の街を自衛するための【自警団】ってことになっているんだけど。明らかな、詭弁だな』


「自警団って。いやいや……。自分の街を守るための兵を、他の地域に派兵するなんてデタラメ、許されるわけ?」

『大人はクソみてぇな屁理屈を次から次へ考えやがるからなァ。【友好関係のある街の危機はシュタインガルドの危機】ってご都合的拡大解釈で無理くり通しているらしい』


「でも、その実態は傭兵業なんでしょ? なんでちゃんと傭兵と名乗らないのかしら?」

『傭兵ってことになると傭兵組合とかの監視下におかれて、好き勝手できねぇから。あくまで街を警護する【自警団】ってタテマエで動いているって感じだな』



『ほらほら、街のあちこちに機兵が突っ立っているダロ? あれらの機兵が、自分の街を守るためだっつーのは、流石に無理があるって話だ』

「そう言って信じるほどピュアな人はいないでしょうね……」


 八メートルを超える巨大な人型兵器、機兵の通称で呼ばれるそれが過剰なほどの数設置されている。相当な年代物なのか、あちこちサビが入っている。きっとこの街の独特なニオイの原因の一つだろう。


「自警団の仕事って儲かるのかしら?」

『仕事には困ってねぇそうだぜ。金次第で弱小国に武力をもって機兵を送り込み、圧倒的武力で制圧する』


 大きな戦争は終わった。それで、世界全てが平和に幸福になったか。そう簡単な話ではないことを私はよく知っている。


(……戦争だけが人を不幸にするのではない……里のみんなは……戦争とは関係なく……突然、その生を奪われた……)


 生きていれば幸福も不幸も等しく頭上に降り注ぐ。気まぐれな神様がサイコロを振るうように。


(……大きな戦争は終わった。それでも……紛争や小競り合いは各地で頻発している……)


 過去の歴史を見る限り、人が生きる限り争いを根絶することは不可能なのかもしれないと絶望的な気持ちになる。


 エルフの里の一件も、ハイエルフの策を未然に防げたから良かったものの……シュブ=ニグラスを完全に開花させられていたら……。


『小娘。おめぇに人殺しは向いてねぇ。おめぇのお師匠様のためにも境界を超えるな。きっと悲しむぞ』

「その名前を出されると私も何も言えないわね。分かったわ。つまりは立場を弁えろってことよね」


 境界を超えるな。一度人を殺す事を選択肢に入れてしまうと、二度と、それ以前に戻ることはできなくなる。


 だから、黒竜騎士は教義で自らを縛る。力を持つ者が簡単にその一線を超えたら、――ただの殺戮兵器と化す。どう取り繕うが否定することはできない。


 黒竜騎士たる資格は力だけでは不十分。その力は他者のためにのみ振るうことが許される。リューが言っているのは、つまりはそういうことだ。


「安心して、戦争屋になるつもりも無いし、自警団や傭兵たちと争うつもりはない。私の旅の目的は悪しき全ての竜の討伐なのだから」


『そか。それが分かってりゃ我が小娘に言うことは何もネェ』

「ねぇ、リュー。私ができることって、少ししかないのね……」


『いーんだよ。ソレで。おめぇは、……その。がんばってる方だと思う。ゼ?』

「リューが褒めるなんて、今日は槍でも降ってきそうね」


『ガァーッ! だからこう言うの苦手ナンだヨォー!! クソがァーッッーッッ!!』

「ふふ、ありがと」


 災禍をもたらす竜を滅ぼすって目的ですら叶えられていないのに、他のことまでどーこーしようなんて、あまりに傲慢だ。それに黒竜騎士が傭兵相手に戦争を仕掛けたらどうなる。決まっている。火種は瞬く間に広がり、国同士の争いにもなりかねない。


 大きな戦争の理由も、そんなちっぽけな火種が原因だったりするのだ。それに傭兵だって最近は自らを律しようという動きがある。その代表的な物が傭兵協会。暴力機関として暴走しないよう管理する組織。冒険者にとっての組合と同じような組織だ。


 一人で世界を変えようなんてのは思い上がり。


 ……正直救われた気がする。そうだ、そのちっぽけな存在が私なのだ。

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