第16話 五年振りの再会
「失礼します」
少年の方はオフィーリアと同じ亜麻色の髪をしていた。五年ぶりに会う第三皇子イルマだ。イルマはオフィーリアの記憶の中より随分と成長をしていた。当時でも利発そうだと思えた顔立ちは、年齢の割に大人びている。皇族としての責任を自覚している者の顔だ。
実際、グリーンのジャケットに白いズボン。白いシャツにはタイが結ばれた格好をしていると年相応には見えない。まだ背は彼女の方が高いが、それも僅か。すぐに抜かされるだろう。
線が細く、妙に儚げに見えるのが気になるが、その瞳はしっかりとオフィーリアを見つめている。
「ご無沙汰しています、姉上」
よそよそしさを感じさせる声色でイルマは言う。そんな弟を見て、オフィーリアはショックを受けていた。昔のように懐いてくれはしない。年頃ということもあるのだろうが、離宮へと隔離されていた自分と、王宮で暮らしていた弟との差を思い知らされたような気分になる。
「イルマ……皇子もお元気そうでなによりです」
自然、オフィーリアの言葉もよそよそしくなった。彼女の言葉にイルマは一瞬表情を歪める。
「……元気、か」
そしてオフィーリアには聞こえないほどの呟きがイルマの口から漏れた。イルマの側にいた初老の男性には聞こえたのか、視線だけでイルマを見る。それをカークウッドが目ざとく見つける。
「オフィーリア様。マドック・フェランと申します」
カークウッドの視線に気づくことなく、マドックはオフィーリアを真っ直ぐに見つめた。同時に、貴族式の礼で挨拶をしてみせる。
背はあまり高くなかったが、肩幅は広く体格もがっしりとしていた。キーランと一緒にいたマーコムと違い、こちらは若かりし頃にしっかりと鍛え抜いたと思わせる体格の良さだ。
頭には白いものが混じっており、顔にも少なくない皺が刻まれている。だが老いたというのはマドックには似合わなかった。
オフィーリアはその顔に何となく見覚えがある気がして少し考え込んだ。
「フェラン……もしかして近衛騎士団長の?」
「おお。愚息とはお会いになられましたか。あいつはがさつ故、皇女殿下に失礼を働きませんでしたか?」
「いいえ。大変よくしてくださいました」
にこやかな笑みを浮かべてオフィーリアは言う。親子であればいずれは尋問室でのやりとりがマドックの耳にも入るかもしれない。だが、いま多くを語る必要もないだろう。
「それはよかった」
マドックは破顔して見せる。その顔に強い既視感を覚え、オフィーリアの動きが止まった。
「……どうかなさいましたか?」不思議そうにマドックが訊く。
「あ、以前どこかでお会いしたような気がしたので。
マドックとは初めて会ったはずだった。ならばオフィーリアとしての記憶ではなく、
マドックは最初、驚いたような表情を浮かべる。そしてすぐに懐かしそうな表情へと変わった。
「皇女殿下とは一度だけ、お会いしたことがございます」
「……いつですか?」
オフィーリアは小首を傾げてみせた。彼女が王宮にいたのは十一歳のときまで。それ以降は離宮へと追いやられた。離宮に住み始めてから目の前の男に会ったことはない。
「八年前です。あの時はオフィーリア様も大けがを負っておられましたし、てっきり覚えておられないかと」
八年前――それはアーベル皇子襲撃事件の時だ。
――オフィーリア様。しっかりしなされ! もう大丈夫ですぞ!
「あ」
突如、オフィーリアの頭の中に映像が浮かんだ。アーベルの暗殺に巻き込まれ、大けがを負ってしまったあの時。従者によって物陰に隠されたオフィーリアを見つけてくれた騎士がいた。
「あの時の騎士殿」
「大きくなられましたな」
もしあの時、マドックに見つけて貰えなければ、オフィーリアは今頃どうなっていただろうか。変わった体質だから死ぬことはなかったかもしれない。だが皇族としてこの場にいれたかどうかは分からない。
「ありがとう」
オフィーリアは近づくと、マドックの手を取った。マドックが驚いた顔をする。それは横にいたイルマも同じだ。突然の姉の行動に呆気にとられたようだった。
「……姉上は、随分と変わられましたね」
「え?」
「随分と明るくなられた。よほど離宮での生活が肌に合っていたのでしょうね」イルマの表情が冷ややかなものへと変わった。「さぞ脳天気に暮らされていたのでしょう」
「殿下!」
窘めるようにマドックが言う。イルマが我に返る。
「失礼。言葉が過ぎました。姉上も命を狙われたのでしたね」
「姉上
イルマの言葉に不穏なもを感じて、オフィーリアが聞き返した。イルマはしまったという表情になる。
「貴方も命を狙われたの!?」
オフィーリアは思わずカークウッドの方を向いた。顔を向けられたカークウッドが眉をしかめてみせる。その意味に気づいたオフィーリアは慌ててイルマたちに顔を戻した。
「違う……」
イルマが言う。幸いにもなぜオフィーリアがカークウッドを見たのか、理由までは気にしていないようだった。
「失礼ですが、もしかしてイルマ殿下はご病気であられますか?」
突如、カークウッドが口を開いた。
「何をいきなり」マドックがカークウッドを咎める。「そもそも貴様は何者だッ」
先程オフィーリアに見せたのとは別の、歴戦の強者の表情でマドックが問うた。過剰とも思える反応だが、睨まれたカークウッドは涼しい顔をしている。
「失礼いたしました。私、オフィーリア様専属の執事をしております、カークウッド・マルロと申します」
「カークウッドは賊からあたしを助けてくれたのです」
オフィーリアが慌てて、庇うように言う。マドックはしばらくカークウッドを睨んでいたが、ふと表情を緩めた。
「それは失礼をした。オフィーリア様を守ってくれたことは感謝する。だが、先程の言葉は聞き捨てならんな」
「先程?」
「とぼけるな。なぜイルマ殿下を病気だと言った?」
もしマドックが帯剣をしていたなら、剣を抜きはなって切っ先をカークウッドに突きつけていただろう。それくらいの気迫がマドックにはあった。
「……オフィーリア様が『元気そうだ』とおっしゃった時、イルマ殿下はなにやら不服そうに呟いておられました。拝見するところ顔色もよろしくないようですし、ご病気なのかと思いまして」
「目ざといな執事」苦々しそうな表情でマドックが言う。「だがそれだけで〝病気〟などと口を挟むとは思えぬ。貴様、何か知っておるのか?」
「え?」
オフィーリアが驚いた声を上げた。マドックの台詞はカークウッドの言葉を肯定しているようにも取れる。イルマから妙に儚げな印象を受けるとは思っていたが、まさか本当に病気なのだろうか。
「マドック、もういい。姉上の前だ」
「しかしイルマ殿下――」
尚も言い募ろうとしたマドックを、イルマは手を上げて黙らせた。そしておもむろにタイを外し、シャツの首もとをはだけた。
「っ。それは!?」
オフィーリアが驚いた声を上げる。イルマの胸のあたりから首もとにかけて、赤黒い痣が覆っていた。
「これが全身に広がりつつある。実はこうして立っているのも……辛いんだ」
イルマは自嘲気味に笑うと――その場に倒れた。
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