第15話 第二皇子と貴族

 王宮は巨大な城館を中心とした、いくつかの建物で構成されている。オフィーリア以外の皇族も、この王宮に住んでいた。


王宮ここは五年振りだけど、ちゃんと覚えているものね」


 城館は巨大で中は複雑だ。軍事拠点として建てられている城ほどではないが、万が一を考えて複雑な造りをしていた。いくつかの区画に別れ、侵入された際に守りやすくしているのだ。

 オフィーリアがいま歩いているのは皇族や召使いたちの居室がある区画だった。その後ろにはカークウッドが控えている。


「これからどちらへ?」

「おとう……イルマ皇子に会うのよ」

「弟君ですね」


 オフィーリアが「弟」と言いかけたのを、カークウッドは聞き逃さなかった。第三皇子イルマ。母親を同じくし、オフィーリアにとっては実の弟だ。歳は二つ下になるからいまは十四歳のはずだ。


 しかしオフィーリアの記憶の中にいるイルマはまだ幼い男の子だった。自分を姉と慕ってくれる可愛い弟。アーベル皇子が暗殺されて以来、何かと風当たりが強くなったオフィーリアに、それまでと変わらずに接してくれたのはイルマだけだった。

 母親のアネットですら娘を遠ざけるようになったのに。


「いま、あたしが会える皇族はイルマ皇子だけよ」


 それは王宮での人脈のないオフィーリアにとって、話を聞けそうな唯一と言っていい存在。

 オフィーリアが向かっているのは居住区に用意された談話室サロンだった。バシェルには近衛騎士団だけでなく、イルマ皇子にも会えるように取り付けてもらっていた。


 廊下の向こうから男が二人歩いてくるのが見えた。細身で金髪の青年と、恰幅の良い中年の男性。金髪の青年の方が、オフィーリアに気づき足を止めた。


「おやおや。その顔の傷跡は……もしやオフィーリアか? 珍しい客人がいたものだ」


 尊大な調子で金髪の青年が言う。切れ長の三白眼に大きめの口。中性的で整っている顔立ちだがどこか蛇を連想させる。


「キーラン皇子。ご無沙汰しております」


 オフィーリアは平坦な口調で答える。だがその表情は強ばっていた。

 第二皇子キーラン。今年で十九歳になるこの皇子は、他の者に対しなにかと尊大な態度をとる。特にオフィーリアに対してそれが顕著だった。


「聞いたぞ、賊に襲われたらしいな」


 キーランが舐めるようにオフィーリアの頭からつま先までを見る。その視線にいやらしさはなかった。だが探るような視線とも違う。

 得体の知れない不快感がオフィーリアを襲った。


「なんとか無事に乗り切れました」

「ふん。さすが〝死なずの〟オフィーリアといったところだな。お前もそう思うだろ、マーコム?」

「は、はい」


 恰幅のよい男性が答えた。顔には愛想笑いを浮かべている。


「お初にお目にかかります。クレイグ・マーコムと申します。キーラン殿下には大変お世話になっております」


 そしてオフィーリアの方を向いて貴族式の礼をしてみせた。キーランと二人っきりで歩いているところを見ると、それなりの地位にある貴族なのだろう。


「そちらは?」


 マーコムはオフィーリアの横に目を向ける。そこには軽く頭を下げた状態で控えているカークウッドの姿があった。


「離宮で雇っている執事です。この者のおかげて命拾いをしました」

「ほう」キーランが興味深そうにカークウッドを見る。「執事の分際で賊を退けるとは随分と腕が立つのだな。どうだ俺の元へ来ないか?」

「有り難いお申し出ではありますが、私はオフィーリア様に雇われております。雇い主に不義がなければ、最初に声をかけていただいた方を優先いたしております」


 僅かに顔を上げ、カークウッドが口を開いた。上目遣いにキーランを見ている。


「雇い主に不義ときたか。皇族を相手に随分な口の利き方だな。貴様、名前は?」


 キーランの声が低くなった。自分を前にして畏まった様子のないカークウッドを、目を細めて睨み付ける。


「……カークウッドと申します」

「顔と名前を覚えたぞ。マーコム」キーランは横に立つ貴族の名を呼ぶ。「離宮の警備に顔が利くのであったな?」

「はい。昔の部下が離宮警備の取り纏めをしております」

「ならそいつに伝えておけ。カークウッドという不敬な執事がいるとな。案外、こいつがオフィーリアの命を狙っておるかもしれんぞ?」


 面白がるようなキーランの声と表情。

 オフィーリアは一瞬顔を強ばらせる。キーランは出任せを言って困らせるつもりなのだろう。だが、カークウッドは実際に命を狙いに来た暗殺者だ。彼女は思わずカークウッドの方を見る。

 カークウッドは表情を変えることなくキーランを見ていた。その口元が一瞬緩む。


「なるほど。キーラン殿下はオフィーリア様を狙う暗殺者は私で、先日の賊は警備の目を誤魔化すための囮だとお考えなのですね。本命は別にいると。つまり最初の暗殺者はただの囮・・・・・・・・・・・だったと」

「貴様は何を言っているのだ?」


 キーランは困惑した表情を浮かべていた。威圧したつもりが、恐がるでもなくさりとて反抗的な態度をとるわけでもなく、予想外の反応が返ってきたからだ。


「キーラン殿下。ユスフ殿が待っておりますので、この辺りで」


 尚も何か言おうとしたキーランを宥めるように、マーコムが声をかける。約束の時間が迫っているからか、妙に焦った様子で両手をせわしなく動かしていた。


「おお。そうだったな」


 オフィーリアたちには興味を無くしたとばかりに、キーランはこの場を去っていく。

 マーコムはオフィーリアに頭を下げると、慌ててキーランの後を追って行った。


「貴方、一体どういうつもりなの?」

「なにがですか?」


 オフィーリアの呆れたような物言いに、カークウッドはきょとんとした表情で返す。


「冗談でもあんなこと言って、本気にされたらどうするのよ。キーラン皇子は執念深いの。目をつけられたら大変よ」


 思う所があるのだろう。オフィーリアはしみじみと言う。


「冗談として通用しそうだから言ったんですよ。おかげて一つ情報が手に入りました」

「情報? さっきので?」


 オフィーリアは驚いて軽く目を見開く。何のことを言っているのか理解できないといったふうだ。


「それより、皇女殿下は自分を暗殺しに来た者の心配をしてくださるのですか? 目をつけられた方が殺されなくてすむかもしれないのに」

「別にそういう心配をしてるわけじゃないわ」


 カークウッドのからかうような視線に気づき、オフィーリアは口を尖らせる。まんまと話を反らされたことに彼女は気づかない。


「本当に、貴女は変わった方ですね。いまなら貴女が二重人格であると信じてもいい気がします」

「二重人格じゃないって言ってるでしょ。記憶が二人分あるだけ。そもそも――」

「オフィーリア様」カークウッドがやんわりと言葉を遮った。「貴女もイルマ殿下をお待たせしているのではないですか?」

「ああ、そうだ。行かなきゃ」


 オフィーリアも慌てたようにその場を後にした。

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