第9話 新婚旅行は、宇宙

「そこに座って」

 先輩に言われて、ぼくは、テーブルを挟んだ差し向かいで座った。

「これなんだけど」

 そう言って、見せてくれたのは、あの時の婚姻届だった。

確か、お守り代わりにいつもカバンに入れて持ち歩いていたはずだ。

それが、いつの間にかなくなっていたのだ。それを先輩が持っている。

不思議だ。そして、あの時と同じように、そこに、先輩の名前が書いてあった。

「あの時は、まだ書かなくてもいいって言ったけど、アレからずいぶん日にちが経ったし、キミもいろいろ考えたと思う。どうかしら、甲児なりに結論は出た?」

 もちろんだ。あの時、先輩がいきなり目の前からいなくなったときから、

ずっと考えていたことだ。

そして、ぼくは決めていた。いっしょに置かれたペンを取ると、ぼくは、迷うことなくサインした。

「これでいいですか?」

「うん、いいわ。ありがとね。これで、あたしたちは、正式な夫婦ということね」

「ハイ。何度でも言います。ぼくは、アッコさんについて行きます。

愛しているんだから、ぼくがアッコさんを守ります。必ず幸せにします。宇宙でもどこでも行くし、地球侵略のお手伝いをさせてください」

 今は、ハッキリ言える。ぼくは、先輩を愛している。絶対、幸せにして

みせる。そう心に誓った。

先輩は、満足そうに婚姻届をみながら、明るく笑った。

「だけど、甲児より、きっとあたしのが強いよ。守るのは、あたしの方よ。甲児が大事だから、必ず守ってあげるね」

 確かにそうだ。ぼくは、何の力もない、普通の地球人だ。守ってもらうのは、男としてどうかと思うけどそこは、仕方がないのだ。

「でもね、甲児の気持ちは、よくわかるわ。あたしも甲児のこと大好きだから。きっと、幸せにしてね」

「任せてください」

 ぼくは、胸を張って見せた。

「今日は、疲れたでしょ。いろいろあったし、お風呂に入ってきたら、寝ようか」

「それじゃ、先にお風呂に行ってきますね」

「ゆっくり入ってきていいわよ。あたしは、明日の準備をしておくから」

「あの、準備って……」

 ぼくが不思議に感じて聞くと、先輩は当たり前のように言った。

「決まってるでしょ。明日は、川北役場にこれを出したら、新婚旅行に行くのよ」

「ハイィィィ!」 

 ぼくは、余りのことに、声が裏返った。

「だって、地球人は、結婚したら、ハネムーンとかに行くんでしょ」

「イヤ、まぁ、だいたいそうですけど……」

「だったら、いいじゃない。それとも、甲児は、あたしと新婚旅行に行きたく

ないの?」

「トンでもない。行きたいです。行きます、行きます」

 先輩と旅行なんて行ったことがない。それも、初めての旅行が、ハネムーン

なんて、幸せすぎる。

「ホントは、結婚式が先なんだけどね。順番が違うけど、いいわよね」

「もちろんです」

「帰ってきたら、正式にキミのご両親に挨拶して、結婚式の日取りを決めなきゃね」

「あの、ホントに、式を挙げるんですか?」

「そのつもりだけど、甲児は、イヤなの?」

「イヤイヤ、とんでもないです。そのときは、ちゃんとやります。

でも、どこで……」

「もちろん、キミの世界よ。甲児のご両親は川北町には来られないからね」

 確かにそうだ。この街に自由に行き来できるのは、ぼくだけだ。

「それと、来週から、出版社に復帰するから、よろしくね。これからもビシビシ鍛えてあげるから」

「えーっ!」

 先輩は、ぼくと別れてから、出版社の人たちは、先輩のことを忘れている。

記憶から消去されたように、最初からいなかったことになっているのだ。

「そんなに驚くことないでしょ。ちょっと、彼らの記憶を戻しただけよ」

 やっぱり、宇宙人だ。この程度のことは、簡単なのだ。ぼくは、ほとほと感心するしかなかった。

「それで、キミは、明日から出版社は、一週間の有休ってことになってるから」

「ハイ? どういうことですか」

「だって、新婚旅行に行くのよ。仕事休まなきゃ無理でしょ」

「だけど、そんな勝手に……」

「あたしの手にかかれば、その程度、どうってことないの、わかってるでしょ」

 さすが、侵略宇宙人だ。やることに抜かりはない。

「だけど、あたしたちが結婚したことは、出版社には、ないしょなのは変わらないからね」

「それは、わかってるけど、有休は、どうやって取ったんですか?」

「どうせ、有休なんて取ってなかったんでしょ? だから、まとめて取ったのよ。

早めの夏休みってことでね」

 何から何まで先輩のやることに卒はない。ぼくは、先輩の掌で転がされているようだ。

「あの、ところで、新婚旅行って、どこに行くんですか? 一週間も休むということは、世界一周とかですか。そこまでの貯金は、ぼくにはないですよ」

 いきなり新婚旅行を一週間といわれても、そんなお金はない。

情けないけど、まだまだ給料も安い、編集部の若手社員という立場では、

結婚資金はもちろんのこと新婚旅行の費用など、逆さにしても出てこない。

「心配しないで、ただだから」

「えっ? ただって、どこに行くんですか」

「決まってるでしょ。宇宙よ」

「えーっ!」

「だって、甲児、地球を見たいって言ってたじゃない。この目で地球を見たことないんでしょ。だから、見に行くの」

 ぼくは、驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになった。口をパクパクさせるだけで、言葉が出てこない。

「行きたくないの?」

 ぼくは、返事をする代わりに、首を左右に忙しく振った。

「だったら、いい機会でしょ。もちろん、ロケットとか、ジェット機とかじゃないからね」

「あの、ぼくは、地球人だし、宇宙飛行士でもないし、そんな無理ですよ」

「大丈夫よ。あたしが乗ってきた、宇宙船で行くから」

 今度こそ、ホントに椅子から転げ落ちた。

ぼくは、腰が抜けたようにその場にへたり込んだまま、起き上がれない。

「ちょっと、大丈夫。そんなんじゃ、宇宙に行けないわよ」

「イヤ、でも、その、あの……」

 先輩は、ぼくを助け起こして、椅子に座らせてくれました。

「宇宙船て、どこにあるんですか?」

「ここよ、ここ」

 そう言って、部屋を指差しました。

「ここって?」

「楽しみにしててね。行くときに、見せてあげるから。それより、早くお風呂に入ってきたら」

 ぼくは、フラフラしながら浴室に向かった。足元がおぼつかない。

まるで、おとぎ話か夢の話を聞かされたようだった。

ぼくが、宇宙船で、地球を見に行くなんて、夢にも思わなかった。

こんなことは、小説かマンガの世界だけだと思っていた。

 頭がまだ、先輩の言ったことに追いつかず、ぼくの脳みそは、パンク寸前

だった。イヤ、すでにオーバーヒートしていたかもしれない。

 ぼくは、気持ちを落ち着かせようと、久しぶりに岩風呂に入った。

一年ぶりに入った温泉は、気持ちよかった。体がとろけそうだ。

お湯に使っていると、やっと気持ちも落ち着いて来た。

 そのとき、お風呂のドアが開いて、誰かが入って来た。

また、カブトムシの宇宙人が入ってきたのかと思って、振り向くと、そこには、信じられない物体がいた。

「おや、山岸さんも入ってたんですか。ここの温泉は、体にいいらしいですね」

 そう言って、入ってきたのは、巨大なセキセイインコだった。

青と黄色の羽に全身を包まれて、長そうな羽を丁寧に折りたたみ、ピンク色の嘴を尖らせ、まん丸の黒い目をギョろつかせ、2本の足でチョコチョコ歩いている。

その足の先には、鋭い爪が光っている。ちなみに、指の数は、三本だ。

 その巨大なセキセイインコは、岩風呂に浸かると、気持ちよさそうに息を

ついた。

「噂どおり、いいお湯ですね。これから、毎日、これには入れると思うと、このアパートに来て、ホントによかった」

「あの、もしかして、青山さんですか?」

「だから、その名前で呼ぶのは、やめてくれって、さっき言ったでしょ」

「すみません。それじゃ、鳥さん」

「うん、それでいいよ」

 そう言って、長い翼をバサバサさせると、頭にタオルを乗せて、うっとりしている。まるで、温泉に使っている、地球人と同じだ。カブトムシの次は、インコと風呂に入ることになるとは……

しかし、ホントに青山さんは、鳥だったとは、思わなかった。

「それで、アッコとは、うまくいってるの?」

「まぁ、ボチボチと……」

「隠さなくてもいいじゃない。新婚旅行に行くんだって?」

 なんで知ってるんだ? このことは、ぼくと先輩だけしか知らないはずだ。

「一度、自分の目で、自分の星を見てくるといいよ。きっと、感動するから」

 青山さん…… じゃなくて、鳥さんは、そう言って、丸い目を細めた。

「驚くことないでしょ。だって、アッコの宇宙船で行くんだろ。だったら、このアパートの住人に了解を取っておかないとダメでしょ」

「あの、了解って……」

「このアパート自体が、宇宙船の一部だから、飛び立つときは、アパートの屋根を開けなきゃいけないでしょ」

 もう、声も出ない。この人は、何をいってるのかも、理解できない。

もはや、ただの地球人のぼくには、理解不能だ。こうなれば、なるように

なれだ。先輩を信じて、付いて行くしかない。

「それで、アッコのこと、抱いてやったの?」

「えっ! な、な、なにを言ってるんですか?」

「その顔じゃ、まだなんだ。夫婦になるんだから、さっさと抱いてやったら。

それが、地球人の男女の愛なんだろ。だったら、今日がチャンスじゃないか。

キミの男としての決意とけじめをアッコに見せてやんなよ。それが、地球人の

覚悟ってやつじゃないの。それとも、キミは口だけなのかな?」

「そんなことは、ありません」

「だったら、アッコを抱いてやれよ。大事に思っているなら、口だけじゃなくて、態度で示すのも大事じゃないのかな」

 そう言われると、返す言葉もない。だけど、先輩とは、キスすらしていない。手を繋いだり、腕を組む程度だ。

ぼくは、それだけでも十分幸せだったし、愛を感じていた。先輩もそうだと

思っていた。

「どうした、地球人。しっかりしろ」

 宇宙の渡り鳥の巨大インコは、濡れた羽で、ぼくの背中を叩いた。

ちっとも痛くないけど、そのために羽が少し抜けてお湯に浮いていた。

「いつまで温泉に入ってんだよ。さっさと、行ってきたらどうだい」

 ぼくは、インコの羽に押されるようにして、温泉から出た。

少しのぼせたみたいで、体から湯気を出しながら部屋に戻った。

 すると、すでに先輩は、お揃いのピンクのパジャマに変身していた。

「ずいぶんゆっくりだったのね」

「イヤ、その、青山さん…… じゃなくて、鳥さんと少し話をしてて……」

「そう。それじゃ、寝ようか」

 ぼくたちは、揃って寝室に入り、大きなベッドの中に潜り込んだ。

横を向くと、先輩の顔がすぐ近くに見えた。ぼくは、久しぶりのことで、

緊張してドキドキしていた。

「甲児。あたしを抱いてくれない?」

「えっ!」

 ぼくは、いきなりのことに、仰天して、思わず飛び起きた。

「あたしのこと、好きなんでしょ。だったら、抱いてよ。だって、地球人の夫婦って、そーゆーことするんでしょ」

「あの、その、えーと……」

「あたしは、イヤ?」

「そんなことないです。絶対、そんなことはありません」

「それじゃ、いいでしょ」

 そう言うと、先輩は、ぼくを抱きしめて、唇をぼくの唇に押し付けた。

憧れの先輩とキスをした。初めてのキスだった。その相手が、先輩なんて……

ぼくは、反射的に、先輩の背中に腕を回して、強く抱きしめた。

「好きよ、甲児。キミと出会えてホントによかった。地球に来て、正解だったわ」

 そう言って、見詰めあいながら言うと、ぼくは、夢中で先輩を抱きしめた。

その晩のことは、死んでも忘れないだろう。

先輩と、初めて結ばれた夜のことを……


 翌朝、目が覚めると、ぼくは裸だった。そのまま寝てしまったのだろう。

慌てて床に放り出したままの服を着て、ベッドから起きた。

すでに先輩は、隣にいなかった。ぼくは、急いで寝室から隣の部屋に行くと、

そこで信じられない光景を目にした。

「おはよう。よく眠れた?」

「おはようございます。あの、アッコさん、なにをしてるんですか?」

「見ればわかるでしょ。朝ご飯を作ってるのよ」

「それは、わかるけど、なんで、アッコさんが……」

「だって、あたしは、甲児の妻でしょ。朝ご飯くらい、あたしが作るわよ。毎日は、無理だけどね」

 先輩のエプロン姿を見て、朝から鼻血が出そうだった。

それより何より、昨夜のことを思い出すと、顔が熱くなった。

「もうすぐ出来るから、顔を洗って来たら」

「ハ、ハイ」

 ぼくは、パジャマ姿のまま廊下を歩いて、洗面所に向かった。

そこで、顔を洗って、ぐしゃぐしゃの髪を整えた。

鏡を見ると、なんとなく一人前の男になったような顔の自分が映っていた。

「おはよう、地球人」

 後ろから声をかけられたのは、地球人の姿になった、巨大インコだった。

「おはようございます」

「その顔は、男になった顔だな。昨日とは、顔つきが違う。やったな、地球人」

 そう言って、ぼくの背中を叩いた。それは、昨夜の羽と違って、少し痛かった。

部屋に戻ると、テーブルの上には、おいしそうな朝食が並んでいた。

白いご飯に味噌汁、焼いた鮭とお新香に納豆と、和食のオンパレードだ。

ぼくの記憶が合っていれば、昨日は、スーパーで買い物をしていないので、

冷蔵庫の中には、何もないはずだ。

「あの、これ、どうしたんですか?」

「スーパーの朝市に行って、キミが寝てるときに買ってきたのよ」

 そんなことまでしてくれるとは、ぼくは、なんて幸せ者なんだろう。

朝から、感激だ。

だけど、先輩は、自炊をしたことがないはず。料理は出来るのだろうか?

イヤ、宇宙人だから、それくらい出来るのかもしれない。

「さぁ、いただきましょう。今日は、忙しくなるからね」

「それじゃ、いただきます」

 そう言って、味噌汁を一口飲んでみる。味は、ものすごく薄くて、ほとんど

味がしない。次にご飯を食べてみたけど、かなり柔らかい。鮭も生焼けみたいだ。やっぱり、先輩は、初めて自分で作ったんだ。

「どう、おいしい?」

「おいしいよ」

 ぼくは、そう言って、笑って見せた。

「ウソね。やっぱりダメだったか。昔、甲児が作っていたのを思い出して作ってみたけど、失敗だったね。

今度、料理を教えてね。次は、うまく作るから」

 先輩は、ぼくの心の中を覗いたらしい。

それでも、せっかくぼくのために作ってくれた、初めての朝食だ。

残すわけがない。

ぼくは、全部、食べた。味とかは関係ない。先輩のその気持ちだけで

充分だった。

 食事を終えたぼくは、片付けはやることにした。

作ってくれたお礼に、洗い物くらいは、ぼくがやらなきゃと思ったのだ。

「それをやったら、いっしょに役場に行きましょ。これを出しに行くのよ」

 そう言って、昨日の夜にサインした婚姻届を見せた。

今から、ドキドキしてきた。二人で婚姻届を出すなんて、一生忘れない記念日になるだろう。

「それと、帰ったら、ハネムーンね」

 そうだった。その後もあったんだ。てゆーか、宇宙船で行くって言ってたけど、どこにあるんだ?

「その、行くのはいいんだけど、宇宙船てどこにあるんです?」

「この部屋が、そのまま宇宙船になってるのよ。後で見せてあげるわね」

 後のお楽しみが、まったく想像できない。考えてみたけど、結局、全然思い

浮かばないので考えるのをやめることにした。

 そして、ぼくがお皿を洗っていると、ぼくの耳元で先輩がこう囁いた。

「昨日の夜は、よかったわよ」

 そう言って、ぼくの右の頬にキスをした。ぼくは、持っていたお皿を落としそうになった。

一気に、頭に血が昇って、顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。

「でも、勘違いしないでね。それも、実験台のデータを取るための行為だから」

 先輩は、あっさりそう言った。ぼくのテンションが一気に下がる。

「なんて、ウソよ。もう、甲児を実験台になんてしないから。だって、あたしの大事な旦那様だもんね」

 そう言って、また、頬にキスをしてくれた。下がったテンションが、

V字回復した。


 着替えて二人で婚姻届を手に川北町の役場に向かった。

だけど、この街に役場なんてあるのか? 行ったことがないので、場所が

わからない。ぼくは、先輩の後に付いて行くしかない。

 いつもの中心地を抜けて、路面電車やトロリーバスの駅を抜けて、スーパーの横を曲がると川北町役場が見えた。見るからに昔ながらの田舎の役場という

感じだった。

 二人で中に入ると、朝から以外に混雑していた。ここにいる人たちは、

全員宇宙人だ。当然、そこで働いている役場の人たちも宇宙人なはず。

そんな宇宙人同士が、役場なんかに用事があるのか、ぼくにはサッパリ

わからなかった。見るからに、ぼくの世界の市役所とまったく変わらない。

 先輩は、受付に行って、婚姻届を提出した。もちろん、ぼくもいっしょだ。

しばらくすると、受付の女性に呼ばれた。

「確かに、受理されました。ご結婚、おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます」

 ぼくは、そう言って、頭を軽く下げると、その女性がこう言った。

「皆さん、アッコさんと地球人が、正式に結婚しました」

 すると、役所の人たちもその場にいた人たちが、一斉に拍手をしたのだ。

「おめでとう」

「やったな、地球人」

「アッコ、よかったな」

「おい、これから、アッコを頼むぞ」

「早く、子供を作れよ」

「地球人とアッコの子供なら、絶対、いい子に決まってるな」

 などと、口々に言われて、恐縮するやら、訳がわからずに、ただペコペコするしかなかった。

その隣で先輩は、笑顔で話をしている。

もしかして、これって、先輩のサプライズかも? ぼくは、そんなことを

思っていた。

「それと、あなたは、正式に川北町の住人として、登録されました。おめでとうございます」

「えっ? どういうことですか?」

 思わず聞き返した。

「アッコさんと結婚したことで、婚姻届が受理されると自動的に、この街の住人として正式に登録されることになっているんです」

「そうなんですか……」

 ぼくは、一瞬、何のことかわからなかった。

すると、ぼくの肩をポンと叩かれた。振り向くと、知らない人がぼくに言った。

「よかったな、地球人。これで、正式に俺たちの仲間だ」

「そうだぜ。これから、いっしょに、地球を侵略しような」

「頼りにしてるぜ、地球人」

 などと言われると、うれしいやら、恥ずかしいやら、変な気持ちになった。

横を見ると、先輩は、そんなぼくをニコニコしながら見ていた。


 役場を後にしたぼくたちは、アパートに帰った。

なんだか、まだ、ドキドキしている。

「ビックリした? あたしも、ビックリしたわ。でも、よかったわね。みんなに祝福されて」

「そうですね。なんか、うれしかったですね」

 そう言いながら、ぼくたちは、手を繋いで歩いた。

そして、部屋に戻ると、いよいよお楽しみの時間だ。

ぼくは、着替えて、カメラを忘れずにカバンに入れた。

「さて、それじゃ、いよいよね」

 ぼくは、胸の高鳴りを抑え切れなかった。

先輩は、機械の前に立つと、スイッチを押した。

すると、その壁一面の機械が、音もなくゆっくりと壁ごと下がっていった。

ぼくは、声もなく、その様子を見ているだけだった。

 機械は、壁ごと後ろに動くと、次第に奥が見えてきた。

ポッカリ開いたそこから見えたのは、別の部屋だった。

まさか、隠し部屋だったのか?

 人が通れるくらいの空間が出来ると、先輩が中に入っていった。

「入っていいわよ」

 言われたぼくは、先輩の後について中に入る。

すると、それと同時に薄暗かった部屋が、急に明るくなった。

六畳くらいの広さの部屋一面に、見たこともない機械に囲まれていた。

先輩は、その機械を触って、スイッチを入れたりいろいろしている。

 なにか音がしたので、後ろを振り向くと、壁が閉じていった。

四方を機械の壁に囲まれた部屋の中に二人だけになった。

「ここに座って」

 先輩に言われたけど、テーブルなどはどこにもない。

先輩は、なぜか、壁の隙間からあるものを取り出して床に置いた。

それは、丸いちゃぶ台だった。あの時、青山さんのうちで見たのと同じで、昭和時代の折りたたみ式のテーブルだった。

 ぼくは、床に胡坐をかいて座るしかない。そのときわかったのは、

こんな最新式の機械に囲まれているのに、なぜか、床は、畳だった。

「どう、なんかいいでしょ」

 先輩は、うれしそうに同じように畳みに座った。

丸い小さなちゃぶ台をはさんで向かい合うと、ものすごく違和感を感じる。

「そろそろ出発するから。そうだ、何も見えないと不安よね」

 そう言うと、先輩は、ちゃぶ台に手を置いた。すると、ちゃぶ台が突然透明になると外の景色が見えた。

見ると、天井がゆっくり開いて、その隙間から空が見えた。

「あの、どうなってるんですか?」

「この部屋が丸ごと宇宙船になってるのよ。飛び立つには、屋根を開けないと

出られないでしょ」

 昨日、温泉に入ったときに、鳥さんに言われた、住人の了解を取るってこういうことだったのか。

ちゃぶ台がスクリーンになっていた。見ると、屋根が完全に開ききると、

部屋全体がゆっくり上に上がっていった。

空がどんどん近くなっていく。ぼくは、ちゃぶ台から目が離せなかった。

 この部屋が、宇宙船になっているとは、思いもしなかった。

そのまま、空に向かって、飛び立っていく様子をぼくは、食い入るように見詰めていた。

 夢中になっているぼくを尻目に、先輩は機械をコントロールしている。

「もうすぐ、宇宙だからね」

 そんなにすぐに宇宙に行けるのか? いくらなんでも早すぎないか?

その前に、そんなに簡単に宇宙に行って、いいんだろうか……

ぼくの頭には、たくさんの?マークが浮かんでいく。

 そんなことを考えているうちに、ちゃぶ台の画面が、明るくなったと

思ったら、すぐに真っ暗になった。

「もう、宇宙空間よ」

 これが宇宙なのか? 真っ暗で何も見えない。星が輝いていると思っていたけど、違うようだ。ぼくたちを乗せた宇宙船は、だんだん地球から遠ざかっていった。

「ほら、アレが、甲児が生まれた星よ」

 ぼくは、ちゃぶ台に目を落とした。そこには、青く輝く星が見えた。

「アレが、地球……」

「そうよ。きれいでしょ」

 ぼくは、もう、言葉がなかった。どんな言葉を並び立てても、該当しない

くらい、地球は美しかった。

地球は、ホントにきれいだった。地球は青いというのは、事実だった。

こんなにきれいな星なら、宇宙人に狙われて当たり前だと思った。

「アッコさん、地球って、きれいですね」

「そうよ。だから、みんな地球が欲しいの」

 宇宙人じゃなくても、欲しくなる。それほど、地球は、きれいだった。

ぼくは、初めて、自分が生まれた星を見て、感動していた。

それと同時に、自分が地球人だと言うことを、初めて自覚した。

 ぼくは、地球人だ。これは、自慢していいことだと思った。

地球に生まれたことは、偶然かもしれない。たまたまかもしれない。

それでも、この美しい星に生まれたことに感謝しないといけない。

「どう、初めて見た地球の感想は?」

「すごいです。感動しました」

「それだけ?」

「えっ?」

「だって、甲児は、その地球を侵略するのよ。あたしたちとね」

 そうか、そうだった。ぼくは、侵略者に協力するんだ。

「こんなにきれいな星を侵略するなんて、なんかもったいないですね」

「そうね。でもね、昔は、もっときれいだったのよ」

 先輩は、そう言って、遠い目をした。 

「ところで、どこに行くんですか? まさか、ぼくに地球を見せるためだけにきたわけじゃないですよね」

「当たり前でしょ。それだけなら、一週間も休むことないでしょ」

「それじゃ、どこに……」

「月に行ってみようと思うの。あそこは、いいところよ。ミレニアム・ムーンて

言う、月の王国があるのよ」

「月、ですか……」

 先輩の一言に、言葉が出なかった。まさか、月に行くとは、思いも

しなかった。

その前に、月に王国があるなんて、聞いたことない。それより、ぼくのような

地球人が無断で月に行っていいのか?

「あの、アッコさんは、行ったことあるんですか?」

「前にね。アソコの女王とは、気が合ってね。仲良くなったんだ」

 月の王国の女王様と仲良くなったという先輩は、やっぱりすごい。話がついていけないけど……

「てなわけで、月に行くからね」

「あの、念の為に聞きますけど、ぼくが行っても大丈夫なんですよね?」

「たぶんね」

「たぶんて……」

「大丈夫だって。あたしがいるから、きっと、歓迎してくれるわよ」

 なんか、ものすごく不安になってきた。先輩がいるから大丈夫だと思うけど、ホントに信用していいのか。

ぼくが知ってる範囲なら、月に地球人が来るなんて、何十年ぶりだと思うし、

これって、ものすごくすごいことだ。

国家レベルの話だと思うが、新婚旅行とか、個人的なプライベートで気軽に

来ていいのだろうか?

ぼくは、ものすごく不安に感じているのに、先輩は、鼻歌交じりで楽しそうだ。

 そんなとき、機械の方からブザーが鳴った。機械にはまったく無知なぼくだけど、これは何かしらの異常を知らせるものではないだろうか? そんな予感がした。そして、それは、的中した。先輩が、急に表情が険しくなった。

「甲児、悪いけど、行き先変更するわ」

「変更って、何かあったんですか?」

「宇宙警察に見つかったの。まったく、こんな大事なときに、最悪だわ」

 先輩は、そう言って、ちゃぶ台の前に座ると、そこに手をかざした。

すると、そこになにかが映った。

「こちらは、宇宙警察。侵略宇宙人に告ぐ、その宇宙船をすぐに停止しなさい」

 聞こえてきたのは、どこかで聞いたことがある声だった。

記憶を手繰り寄せると、思い出した。出版社の前で、ぼくや先輩を逮捕しようとした、あの宇宙警察だ。スクリーンには、あの時の宇宙警察が映った。

「地球侵略者、凝りもせず、また、なにかやらかそうとしているのは、わかっているんだ。すぐにその宇宙船を止めろ。

止めないと、逮捕するぞ」

「ったく、しつこいわね。やれるもんなら、やってみなさい」

「貴様、宇宙警察に逆らう気か?」

「あんたのせいで、雰囲気ぶち壊しじゃない。誰が、止まるものですか」

「それなら、力づくで止めて、お前を逮捕してやる。そこを動くな」

 なんで、これからハネムーンに行くのに、宇宙警察に追われないといけないんだ。

「あの、アッコさん。止まった方がいいんじゃないですか?」

「何を言ってるのよ。あたしたちは、これから新婚旅行に行くのよ。それを、

宇宙警察なんかに邪魔されて……もう、頭にきた。甲児、逃げるわよ」

「逃げるって、どこに……」

「そんなのわからないわ。宇宙警察から、逃げ切るまでよ。そうね、ゲロン星にでも行ってみようか。アソコなら匿ってもらえるから。」

「あの、ちょっと、待って…… ゲロン星ってなんですか?」

「地球侵略を目的とした、カエルの星よ」

「カ、カ、カエル? カエルの星なんてあるんですか」

「あるわよ。アソコの軍曹は、昔から知ってるの」

「イヤ、だから、あの……、やっぱり、やめた方が……」

「しゃべると、舌を噛むわよ」

 そう言うと、いきなり宇宙船が激しく揺れた。今まで、ゆったりとしていたのが、ウソのように早くなった。

スクリーンには、真っ暗な宇宙空間が、目にも止まらない早さで流れていく。

「あの、やっぱり、地球に帰った方がいいんじゃないですか?」

「ダメよ。そうしたら、また、宇宙警察が地球に来るじゃない。あいつらに、

あたしたちの新婚生活を邪魔されたらどうするのよ」

「それは、そうだけど…… あの、地球に帰れるんですよね?」

「もちろん。だって、仕事があるじゃない。でも、その前に、宇宙警察から逃げないとね。話はそれからよ」

 先輩は、機械の前に立って、スイッチやレバーを忙しそうに動かしている。

「このままじゃ、追いつかれるから、フルスロットルで逃げるからね。でも、

安心して、甲児は、あたしが守るから」

 そんなことを言ってる場合じゃない。逃げるって言っても、どこに逃げるつもりなのか? だいたい、カエル星ってどこにあるんだ? カエルが地球侵略なんて、ぼくの思考回路では、追いつかない。

そんなことを思っていると、さらに宇宙船が早くなった。

ぼくは、ちゃぶ台にしがみつくしかなかった。

 ぼくたちの楽しいハネムーンは、どうなるんだろう……

果たして、地球に無事に帰れるんだろうか? 限りなく不安だ。

「見てなさい。あたしたちの新婚旅行を台無しにしてくれる宇宙警察に、一泡吹かせてやるから。甲児、見ててよ」

「あの、そんなことは、いいから、地球に……」

 ぼくが言い終わらないうちに、先輩は、宇宙船を操縦して、さらにスピードを増した。

「行くわよ」

「行くって、どこに……」

「とりあえず、火星あたりに行きましょう」

「か、火星…… えーーーっ!」

 ぼくの声が広い宇宙にこだました。ぼくは、地球に帰れるんだろうか。

やっぱり、先輩は、宇宙人なのだ。結婚してよかったんだろうか……

「もう一息よ」

 先輩の顔に笑みがこぼれていた。なんか、宇宙警察に追われることが、

楽しそうに見えた。先輩の本気の顔って、こんな顔なんだ…… 

やっぱり、宇宙人は怖い。でも、先輩は、きれいだ。

よし、それなら、ぼくも腹を括ろう。ぼくは、先輩についていくと決めたんだ。

だったら、どこまでも付いて行こう。

「アッコさん、ぼくに出来ることはありませんか? ぼくも手伝いますよ」

「ありがと。気持ちだけ、もらっておくから。ちゃんと二人で、地球に帰って、新婚生活を始めるんだものね」

 そう言って、ぼくの右の頬に軽くキスをしてくれた。

「アッコさん、地球に戻ったら、いっしょに仕事をがんばりましょう。楽しく

生活しましょう」

「もちろん。愛してるわ、甲児」

 先輩は、そう言って、スイッチを入れる。宇宙船は、宇宙のかなたに向かって光の速さで飛び続けた。


 ぼくの婚約者は、侵略者だった。でも、ぼくは、後悔してない。

先輩と、いや、アッコさんと、どこまでもいっしょにいられれば、それで満足。

アッコさん、愛してるよぉ~! ぼくは、宇宙の果てに向けて宣言した。

ぼくの新婚生活は、こうして始まった。これからもずっと……


 ぼくたちは、無事に宇宙警察から逃げることに成功した。

何とか地球に帰ったぼくたちは、晴れて、川北町の住民として、先輩と楽しい

新婚生活が始まった。

 まずは、出版社に出勤した。一週間も、有休を使って、休ませてもらったから

一番先にすることは、編集部の部長や同僚たちにお詫びをすることだ。

ところが、それは、大きく間違っていたのだ。

 出社すると、編集部の部長に呼び出されて、ものすごく怒られた。

いきなり、部長からの雷が落ちた。どうやら一週間どころか、十日も休んでいたことになっていた。つまり、三日の無断欠勤だ。そりゃ、部長から叱られて

当然だ。

みんなの前で、ぼくは、たっぷり説教されて怒鳴られた。

ぼくは、ひたすら平身低頭で、謝ることしかできなかった。

その横で、先輩は、ニヤニヤしているのが、納得いかない。

 先輩は、職場復帰した。と言っても、他の人たちには、まるで、ずっと前からいたような、何事もなかったかのように接している。

新婚旅行に宇宙に行ったとか、実は、先輩の記憶を消したとかそんなことは、

微塵も感じていない。どうやら、記憶を戻したらしい。

だったら、ぼくの三日間の無断欠勤も、どうにかしてほしかった。

 昼休み、ぼくは、先輩と社員食堂にいた。いっしょにランチを食べているときに言ってみた。

「アッコさん、何で、助けてくれなかったんですか?」

「ごめん、ごめん。だって、あたしと結婚してることは、ないしょだから」

「だったら、一週間の有休のことだけど、三日分追加してくれるとか、してくれても……」

「しょうがないじゃない。一週間で帰ってくる予定だったんだもの」

 そう言って、先輩は、おいしそうにワンタンメンを啜っている。

「それにさ、宇宙からじゃあたしの力も及ばないしね。恨むなら、邪魔した宇宙警察を恨んでね」

 先輩は、チャーハンをスプーンで掬って、パクッと一口食べる。

「この借りは、返すからね。お詫びに、今夜は、サービスするから」

 なにをサービスしてくれるんだろう? いや、先輩に限って、また、よからぬことを考えているに違いない。

「だから、機嫌直してね。このとーり」

 先輩は、ぼくの前で両手を合わせて拝むようにすると、頭を下げた。

そして、顔を上げると、ニコッと笑った。その素敵な笑顔を見たら、もう、何もいえない。先輩は、宇宙人だけど、ぼくにとっては、神様か天使だからだ。


 昼休みが終わり、午後の業務が始まる。

ぼくは、部長にこっぴどく叱られたので、気分的に落ち込んでいる。

先輩は、他の部員たちに、いつものように指示を出したり、テキパキと業務を

こなしている。

 ぼくのように、いつまでもズルズルとイヤなことを引きずるタイプだけに、

先輩は、上司としてとても尊敬できる憧れの存在だ。プライベートと仕事の

オンとオフの切り替えが、ハッキリしている。

ぼくも見習わないといけない。そんなことを思っていたら、先輩の声が

聞こえた。

「山岸! 青山先生の原稿のチェックは、出来てるの?」

「ハ、ハイ…… まだです」

「まだじゃない。早くしなさいね」

「ですが、鳥さん…… じゃなくて、青山センセは、なかなかぼくの言うことを聞いてくれなくて……」

「しょうがないわね。後であたしから、ビシッと言っておくから」

「ありがとうございます。お願いします」

 ぼくは、そう言って、深々と頭を下げた。そして、先輩にそっと小さな声で

呟いた。

「それより、今夜は、侵略会議の日ですよ」

「そうだったわね。コロッと忘れてたわ」

「それで、ぼく、地球侵略のいいアイディアを思いついたんですよ」

「そうなの? それじゃ、今夜は、楽しみにしてるわね」

 今夜は、何度目かの地球の侵略会議の日だ。ぼくも参加するように

なったのだ。

ぼくは、自分の机に戻って、ペンネームが青山一郎という名の、鳥の宇宙人が書いた原稿のチェックを始めた。

「山岸、ちょっと」

 先輩がぼくを呼んだ。

「なんですか?」

「今夜の夕飯は、しょうが焼きをお願いね」

 ぼくにだけ聞こえるような小さな声で言った。

「ハイ! おいしいの作ります」

 ぼくは、思いっきり大きな声で言った。

「声が、大きい!」

 その途端、持っていた原稿の束で頭を叩かれた。ぼくも先輩も笑っていた。

こんな平凡な毎日の、何気ない日常が、ぼくは好きだ。

これからもずっと、先輩といられる幸せをかみ締めた。

 窓から外を見ると、ぼくの心と同じ、青く澄み切ったきれいな青空だった。 




                             終わり

  

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婚約者は、侵略者。 山本田口 @cmllaaa

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