2.日常は砂、あるいは薄氷の上に 3/3

 こんな二人に甘酸っぱいイベントなど起こるはずもなく、レイトショーまでのミッションはつつがなく終わりを迎えてしまった。

 途中、燈理が「あれ?」とか、「なんで?」とか言っていたが、鷹揚は気にしないことにしていた。


 鷹揚も恋愛経験は皆無だが、アホではない。 なんとなく感じていることもあるのだ。

 ただ、この外装がクールな暴走機関車にそれらしいことを言ったら、いや、そう思われた段階で、どうなるか予測ができない。 相手に、段階を踏むという思考があるかどうか確認するには、あまりにもリスキーすぎる。


 地雷は避けるものなのだ。


 さて、クイックデリバリーは優れた車だが、いかんせん車高が高い。 よって、映画館併設の立体駐車場には入れず、少し離れた平面駐車場への駐車を余儀なくされている。


 今は既に土曜日になっており、そろそろ街も店仕舞いの雰囲気を纏い始めている。 それでも、そんな街の空気に抵抗する人達も、未だに多少の勢いを残している。

 柔らかな喧騒が残っている高架沿いの歩道を、二人は駐車場へ向かって歩いていた。


「タカちゃん気付いてる?」

「うん。食事の時からだよね。車を降りたときはいなかったと思うよ?」

「本当に心当たりはない? 最近、私が把握しきれない行動をしてる時があるわよね?」

「触れていいのか分からないワードが聞こえたけど、あえて訊かないよ? アカ姉のお客さんじゃないの? 最近、思うままに辛辣な事言っちゃったりとかしてない?」

「私は空気が読めるもの。 KY活動は得意なんだから」

「わざとだろうけど、KY活動は知活動の略だからね。 めじゃないからね」


 突然、鷹揚と燈理は二手に分かれて歩き始めた。

 追跡者は迷わず鷹揚の方の追跡に移る。


 そして、追跡者は自分も尾行されていることには気づいていなかった。



 五分ほど歩いたところで、メッシュフェンス沿いに進む鷹揚がフェンスの切れ目から向こう側へ入っていった。

 そこは平面駐車場のようだ。 なるほど、高架下のスペースを利用しているのだろう。


 追跡者は完全に油断していた。


 追跡者がフェンスの反対側の様子を確認している間に、鷹揚が消えた。 鷹揚を見失ったことに気付く前に、既に鷹揚が視界から外れていたと言った方が近い。


 気づかれていた? 追跡者がそう思ったとき、同時にギョッとした。


 フェンスを挟んで反対側の鷹揚と目が合った。彼はニコやかな表情で気さくに片手を上げ、親し気にこちらへ歩いてくる。


 訳が分からない。


 そう思った時には、百九十センチ近い鷹揚の体が頭上にあった。二メートルを超えるフェンスの上を、跳び上がる勢いのままに、フェンスの天辺で逆立ちをして乗り越えたのだ。


「捕まえた!」


 追跡者は自分の上を飛び越えた鷹揚に肩を掴まれ、フェンスに追い詰められていた。




 静寂の中鷹揚の耳に、息を飲む音がやけにハッキリと響いた。

 その音は追跡者とは反対側から聞こえてきた。


「何をしているの?」


 燈理の声に鷹揚は振り向かずに応える——追跡者から目を放すわけにはいかない。

 

「あ! アカ姉、捕m「壁ドン? 今日、私にはしなかったじゃない!」……えぇっと?」


 少々痛い沈黙が広がっていく。 沈黙を破ったのは燈理の咳払いだ。


「とにかく、落ち着きましょう。タカちゃん、その娘はどこのどなた様かしら? 別行動をとっている間に随分と手が早いようだけど?」

「違う。 違うんだ。 誤解だよ。 まずは話し合おう?」

「浮気を疑われた人のテンプレセリフじゃないの? やっぱりタカちゃん……」

「ちょっと待って、浮気って、僕はまだ誰とも付き合ってないよね? そもそも、アカ姉の方が落ち着こう?」


 追跡者は思った。 今、目の前の男は女の方を見ている。 今なら逃げれるのでは?


 追跡者はしゃがみ込んで逃走を試みるが、肩を掴んだ手が動きに合わせて下がり、同時に足が膝の間に差し込まれ、これ以上は体を下げられなくなった。

 ならば、と顔を引っ掻くつもりで手を伸ばせば、今度はフェンスに突いていた方の腕でいなされる。


「ちょっと! イチャついてないで、真面目に話を聞きなさい!」

「いやいや、イチャついてないよね。 これ、抵抗されてるだけだよね?」

「女の子に抵抗されるなんて、しかも、デートの途中で他の女になんて!」

「デートって! やっぱりそのつもりで、めかし込んでたの?」

「そのつもりって、なんのつもりよ? そもそも、めかし込んでなんてないから!」


 追跡者の彼女は何度も脱出を試みるが、その思惑は鷹揚にことごとく潰されてしまう。

 鷹揚がもう一人の女の方を見てから今までの間、鷹揚が追跡者である彼女を見ることは一度も無かった。

 追跡者の肩を掴んでいる鷹揚の手。鷹揚はこの手から得られる情報のみで、彼女の動きを読んでいるようだ。

 実力の差が大きすぎる。 もう、脱出は諦めて別の手を考えるしかないのだろうか。

 それにしても、アカ姉という人は随分と感情豊かな人だ。 無表情なのに……。


「チョーっとイイですかぁ? あなたはアレをシンジまぁすかぁ?」


 ……ジンバ登場! 好調な滑り出し!

 訳:ジンバが現れると同時に、ギャグらしきものを放ったが、盛大にスベってしまった。


 いたたまれない静寂が、再び場を支配した!

 誰も音を発しない。


「……アレってなんだよ!」

 静寂に耐えられなかったのか、ジンバがツッコミを試みた。

 しかし、スベリ中の一人ボケ、一人ツッコミは悲しい……とても悲しい。


 そして深まる静寂。


「神じゃないのかよ!」

 再びのジンバのツッコミ。

 しかし、ツッコミのやり直しはもっと悲しい……。


 絶望的な静寂の中、鷹揚が言葉を発した——

「ややこしいのが増えた、とか思ってすいません。 場を静かにしてくれて、ありがとうございます。 ジンバさん」

 ……言葉には容赦のない刃が仕込まれていた……。



 ジンバはガードレールの支柱の上で、若干左足を引き、腕を組んで立っていた。 確かにややこしそうな人物である。

 そして、話しかけられたことがよほど嬉しかったのか、次々とポーズを変えながらしゃべり始める。


「はぐれてしまった姪っ子の晶ちゃんを迎えに来たんだよ」

「こちらの混乱した状況に対抗意識を燃やさなくても、ジンバさんは十分に濃ゆいですから大丈夫ですよ? で、晶さんってこの方ですか?」

「そう、君が手籠めにしようとしているその子だよ!」

「なんでみんな……ホント、もう勘弁してよ……」



 鷹揚とジンバのやり取りの間に、燈理も落ち着いたので、とりあえず、晶を宿泊先に送りがてら話をする流れになった。

 浜岡大学自動車部とオートキャンプ部の合作という改造クイックデリバリーは作業班の運搬と整備基地を兼ねた、ナイスなギミックを多数備えている。 そのため、運転手を含めて五人の乗車が可能だ。


 運転手の燈理が、クイックデリバリーが駐車場を出たところで口を開いた。

「この穀潰しに姪御さんがいたなんてね。 あと、こっちに来るなら正規ルートで来てくれないと困るわ。 把握できないじゃない」

「正規の手続きっつっても、それはそっちが勝手に決めた事だろう? 実際に複数のルートで来れるんだから、一番面白いルートを使うサ!」

「ジンバさん……、密入国でもしたんですか? 付き添いますから警察に行きましょう」

「鷹揚君、そんな大それたことじゃないのだよ。 ただ、いつも通り行動したら、ルールから逸れてしまっていただけのことさ」

「……もういいわよ。タカちゃん、内輪の決まりのことだから、タカちゃんが心配するような大きなトラブルじゃないわ。 それより、ジンバさん、晶ちゃんのことを教えなさいよ」

「んー……真ん中のネーちゃんの子供だよ。そういうことになった、これ以上は言わない。嘘じゃないよ?」

「噓つきが嘘じゃないって言ったところで説得力ないわよ? 詳しい話はするつもりはないってことかしら?」

「嘘つきはないよなぁ。 俺は生まれてこの方、嘘なんてついたことは一度もないよ? とにかく一族の話ってことで、詳しい中身はが済むまで黙秘でってのが正確かね。 コトは一週間以内に収めるつもりだから、終わり次第説明するってことで許してよ? 君のお母さんも了解してるからさ」


 不満げな空気を発しつつも燈理が反論しなかったので、その後は世間話と自己紹介をしながら、街を駆け抜けるクイックデリバリーに揺られる。

 川が見えてきたところで、案内役のジンバが「ここだよ」と示し、クイックデリバリーを停止させる。

 見慣れた門の向こうに、これまた見慣れた建物が見える。


「ここ、僕らの宿泊所ですよね?」


 鷹揚の確認にジンバが満足げに頷き、燈理の周りの空気が冷えてゆく。

 鷹揚は明るくなる前に布団に入りたいなぁと、この後に続くであろう状況を諦めとともに受け入れた。

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