第15話・ブレーキ

 氷の線路は、合議の席で計画したとおりの平坦な経路で敷設ふせつされている。


 このEH500型電気機関車は、いくつも存在する東北本線の急勾配を越えているし、かつては青函トンネルの連続勾配にも耐えていた。

 だが、ここは検査はおろか、まともな点検整備が出来ない異世界。何かあっても、俺には簡単な処置しか出来ない。部品は汚れ、摩耗し、朽ちていく一方だ。

 ちょっとやそっと頑張っただけで、へこたれるような機関車ではないが、あまり無理はさせたくない。


 だからこの旅が、この貨物列車にとって最後の仕業、最初で最後の異世界運行となるだろう。


 氷の線路が行きつく先を祈祷師様が指さした。

「サガ、見えました。あの城壁がピグミスブルクです」

 語感のとおりの、とても小さな町が目に映る。先を尖らせた丸太をギッシリ並べて、それを城壁にしている。真ん中にヒョコッと飛び出す大屋根が、乗っ取られてしまった領主の館なのだろう。


 まだ国力が強くなかったヴァルツースが、一番最初に侵略した町だという。なるほど、勝てる国を足掛かりにして、徐々に軍事力を強めていったというわけだ。

 今度は俺たちラトゥルスが、この町を救済の足掛かりにする。ヴァルツース兵の少ない小さな町から攻めていき、解放した住民から兵士を募り、少しずつ兵力を増やしていく作戦だ。

 あと、ちょっとだけ待っていてくれ。みんなを助けてやるからな。


 俺は、自弁ブレーキハンドルを強く握った。

 屋根上にはパンタが乗っているし、コンテナの中身にも気を遣うから、ショックを極限まで抑えた遠め長めのブレーキが求められる。

 だから俺は、一番弱い1段だけを投入した。


 ……弱っ!!


 ヤバい。所定停止位置に停まれなければ、信号冒進、分岐器ポイント破壊、最悪の場合は先行列車に追突だ、普通なら。

 しかし、今回は違う。

 貨物列車がピグミスブルクに突っ込む。いや、小さな町だから貫通し、もっと最悪な事態が待ち受けている。

 ヤバい、それはヤバいぞ。俺はまだ、人身事故はやったことがないんだ。


 ……あ、ブレーキを2段に入れればいいのか。

 後ろに連なるコキ100系列コンテナ貨車は電磁自動ブレーキが装備されているから、割とすぐにブレーキが効いてくれるんだった。積み荷に気を取られて、変な気になっていた。

 じゃあ、2段投入。


 ……効いてきた効いてきた! 幸いなことに、ショックもない。この様子なら、町の手前で停められそうだ。ちょっと気持ちに余裕が出てきた。


 しかし祈祷師様は、恐ろしいことを言うのだ。

「赤龍の頭を、城門の先まで入れてください」

「えっ!? そうしたら、町の人を跳ねちゃうかも知れませんよ!?」

「城門を塞がれないようにするのです。そのためには、そうするしかありません」


 穏やかに見えて、いや見えるだけじゃなく本当に穏やかなんだけど、祈祷師様は無茶をおっしゃる。珍しく行軍しているからって、変なテンションになっているんじゃないか?


 ええい、相手は人間だ。狸や鹿じゃないから、きっと逃げてくれるだろう。無用な殺生をしないように、出来るだけ速度を落とそう。


 そのとき、城門がゆっくりと閉まっていった。

 当然の成り行きだが、これはマズい。町に突っ込む形で停めようとしているから、このまま行くと閉まった門に衝突してしまう。

 祈祷師様には申し訳ないが、ブレーキを強めて門の手前で停めるしかない。


「サガ! このままでは入城できません!」

 焦った祈祷師様が、俺の右手を掴み取って力行ハンドルを押し下げた。

「ちょっ! 何やってるんですか!」

 今までになく遠いブレーキを掛けたのに、電気機関車は唸りを上げて加速していく。


 力行ハンドルを惰行だこう位置に戻……らない!

 白魚のような指をして、何ていう馬鹿力だ!

 まさかこれも、神への祈りじゃあるまいな。

 ふざけるな、列車は急に停まれないんだ!


 閉まる門をギリギリのスレスレでかわした瞬間、安堵したからか祈祷師様の力が抜けた。

 俺はすぐさま力行ハンドルを惰行に戻し、自弁ブレーキハンドルを非常位置まで回す。ブレーキシューが車輪に噛みつき、列車は急減速をしはじめた。

 衝動のないブレーキ操作なんて、悠長なことを言ってられるか!


「祈祷師様、祈ってくれ! 人身事故なんて勘弁だ!」

「ジンシ……? 何ですか? それは」

「人を跳ねないよう祈れって言ってるんだよ!!」

 ヴァルツースの兵士が逃げ惑い、住民たちが家へ小屋へ倉庫へと悲鳴を上げて身を隠す。

 俺は前方を睨みつけ、町行く人がちゃんと避けているかを注視する。

 次第に迫るのは、大屋根の館。線路はそこまで伸びている。畜生、思いのほか近いじゃないか!


 祈祷師様のお祈りが、あっちこっちにとっ散らかったせいだろうか。キンキンに冷えていた氷の線路が溶け出した。レールが消えるほどではないが、濡れているからブレーキの効きが甘くなり、車輪は滑走をはじめた。

 砂だ! レールに砂を撒くんだ! 砂撒き装置を動作させるんだ!

 少しだけでもブレーキ力を確保しないと、この貨物列車は館に直通してしまう。領主の館だぞ、中に誰かいるに違いないし、そいつを跳ねるのは間違いない。


 ホイッスルを吹こうとしたが、そうすればすぐそばにいるパンタが気絶する。それで済めばまだマシで、最悪鼓膜が破れてしまう。


 あと俺に出来ることは、ただひとつ。

 鉄道の神様に、祈りを捧げることだけだ。


「停まれえええええええええええええええ!!」

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