第五話 薬草の機嫌

 薬草の収穫には適切な時間帯というものがある。夜が明ける前、早朝、昼、夕方、夜。中には白い月が半分になって輝く夜と細かく条件指定されているものも。

 先日降った大雨のせいなのか、春だというのに夜明けの空気は肌を刺すような冷たさを持っていた。澄んだ夜空がほんのりと紺色を帯びていて美しい。


 今朝の収穫はリルトの葉。手のひらの半分くらいの大きさで、眩しい黄緑色の葉は菊の葉の形によく似ている。

「さ、寒ー! 冷たー!」

 シュンレイが素手でリルトの葉をもぎながら、その冷たさに震える。鉄が苦手で繊細な扱いが求められるリルトはハサミも手袋も使えない。もぎ取る方向も決まっていて、葉を茎に対して左へと引き、ぽきりと音がしたら右に強く引いて抜き取ると、茎から伸びる白い糸のような物と一緒に採れる。


「うー。これって面倒よねー。なんで一度でちぎったらダメなんだろー」

「この白い糸みたいなものが重要って本に書いてあったの。そのままちぎるとこれが抜けないでしょ」

「あらぁ。そうなのねぇ」

 葉のみでは薬効が半減してしまうので、香魔の村ではこの白い糸も含めて薬の材料にしていた。王宮の医局では特に重要視していないらしく、昔は葉だけを納品していた。医局ですべて使っているかどうかわからなくても、完全な形で届けたい。


「ザル二杯って大量よねー。何の薬にするんだろ」

「あらぁ、医局からの注文は八杯よ。私たちの割り当てが二杯。聞いてなかったの? シュンレイ」

「聞いてたけどー」

 女性が腕で抱える大きさのザルに八杯。そう聞いただけで、数種類の薬を思いつく。〝薬園の乙女〟は薬の作り方を知らず、自分たちが育てる薬草の効用も大して理解はしていなかった。

 

「あ。そろそろ夜が明けちゃう。急がなきゃー」

 紺色の空の端が徐々に薄れていく。私たちは慌てながらも丁寧に葉をもぎ取り続けた。


      ◆


 早朝収穫した葉を集め、布袋に詰めると三袋になった。王宮の医局から注文があると薬草を届けるのも〝薬園の乙女〟の仕事。一時でも後宮から出られる業務は人気があって、順番制になっている。

 後宮から王宮へと向かう場合は茶色の作業着ではなく、侍女の制服である桃色の深衣を着用することになる。


「この髪型、少し派手過ぎない?」

「平気平気! カリンは艶のある綺麗な髪してるんだから、もっと凝った髪型にしても似合うって!」

「そ、そうかな……ありがと……」

 私は髪を降ろしただけにするつもりが、シュンレイが凝った形に結い上げてくれた。初めての髪型に胸がどきどきしてしまう。


 シュンレイはいつもより派手な髪飾りを使って左右に結い上げていて、ホンファは長い髪を半分降ろし、上半分を結い上げて地味な髪飾りを付けている。

「今日はホンファは大人しいのねー。どしたの?」

「うふふ。シュンレイ、あまり凝った髪型は殿方に受けが悪いそうですわよ」

「げ。もしかして、いつも医局に行くときホンファの髪型が大人しいのって……もっと早くに教えてよー!」

 笑いながら廊下を歩いていると後宮の出口へと近づいた。皇帝陛下が使う出入り口とは異なり、門番がいて厳重な所持品検査が行われる。それは後宮内から美術品や装飾品、高価で豪華な品々を持ち出されるのを防ぐ為。


 三人がそれぞれ持つ手のひらの半分の大きさの木の札は〝薬園の乙女〟を示す花と植物紋様が彫刻されている。

「薬草を医局へ届けに参ります」

「こちらの符と合わせて下さい」

 女性の門番が持つ割符と合わせると、紋様がぴったりと合って門を通される。検査された袋を持ち直して後宮から出ると、空気が清々しく思えるから不思議。


 広大な王宮の敷地を歩いて医局がある建物へと向かう。後宮や皇帝が政務を行う建物は煌びやかな朱色と金色が塗られていて、その他の建物は黒く艶のある色で塗られている。


 医局のある建物は出入り自由。体調不良で相談にきた武官や文官のみならず、下働きにも開かれている。様々な階級の人間が行き交う廊下の奥、階段を上って二階に薬を作る部屋がある。階段を上がってすぐ、黒く厳めしいドアを叩く。

「薬草を届けに参りました」

「ああ、入ってくれ」

 扉を開くと薬草の匂いが一気に漂ってくる。努めて匂いをかがないように意識しつつ、部屋の中へと入った。


 広い部屋の壁はすべて小さな木製の引き出しになっていて、部屋の中も多数の引き出しと棚で埋め尽くされている。棚には薬草の束や無数のガラス瓶が並ぶ。

 部屋の中央には巨大な作業机が二台。白い服を着た三名の医官が、薬草をすりつぶしたり切り刻んだりといった作業をおこなっていた。


「ご注文頂いたリルトの葉です」

「ああ、ありがとう」

 袋の中身を確かめる中年の医官は、心なしか疲れた顔をしている。そういえば、この人も文官を目指して試験を受けた時に魔力があると判明して医官に配属されたと聞いたことがあった。

 官位試験の中には神力と魔力を測定する科目があったはずだと思い出し、ルーアンはどうやって逃れたのかと疑問に思う。


 葉の量を確認する間、私は残り二人の作業を見ていた。二人とも配合書に書かれた量をきっちりと量り、説明通りの手順で薬草や藥石を加工している。……これでは本来の薬の効果は発揮できない。薬草も薬石も、その日の気温や気候に影響を受けるし、何よりもそれぞれに感情があって機嫌がある。


 一族の創薬は最初に材料の機嫌を伺うことから始める。機嫌が良いか悪いかを確かめて、その加工方法を変え、配合量を微妙に変化させる。そうして出来上がった薬は、最高の効果がもたらされるとは知らないのだろう。


 手出ししたくて、もどかしい時間を耐えきった私は、無事に納品を終えて医局の建物から離れた。


      ◆


 医局の建物から出ると、シュンレイが元気よく口を開いた。

「先に帰ってていいよー」

「わ、私も少し用が……」

 ホンファもほんのりと頬を赤らめている。納品が終わっても、すぐに後宮へ戻る必要はない。早朝から作業をしたので午後は休みになっていた。


「会いに行くんでしょ。いってらっしゃい」

 シュンレイには恋人候補の武官と文官の友人がいて、ホンファには医官の恋人がいる。相手は勤務時間でも、顔を見て言葉を交わす程度は許される。

 二人を見送って、私は医局から近い書物庫へと向かうことにして歩き出す。


 女性が王宮内を歩いていることは珍しくなくても、後宮の侍女は桃色の深衣が目印になっていて地味に注目を浴びてしまう。女官は朱色や赤といった装束で、下働きは薄茶色の作業着で身分ははっきりとしている。

 目立つことは苦手でも王宮内の人がいない場所は危険。部屋に連れ込まれたりしないように、廊下ではなく建物の窓が多数ある道を選んで歩く。


「ルーアン! 宰相が来月の宴の挨拶を考えてくれって!」

 ばたんと扉が開く音と聞き覚えのある元気な声、ルーアンという名前でついつい聞こえた方向を見た。

「すでに候補を三つ用意しておりますよ。こちらを宰相様に届けて頂けますか」

「よし、預かった!」

 窓際で書類を前にして机に向かっているルーアンの姿を見つけた。乱雑な部屋であることが多い文官には珍しく、書架も机も片付いていてすっきりとしている。


 再度ばたんと大きな音を立てて部屋から出て行ったのは、おそらく宰相付の護衛兵。子犬のように明るく元気な顔を思い出して笑みが浮かんでしまう。


「おや? こんにちは、カリン」

「こ、こんにちは」

 声を掛けずに立ち去ろうと思っていたのに、気付かれるとは思わなかった。ただひたすらに人が良さそうな笑顔に違和感を覚える。


「後宮の侍女が外を歩いていても良いのですか?」

「私は外勤の侍女ですから、王宮内なら比較的自由です」

 月宮に務める内勤と違って、外勤は理由があれば所持品の検査を受けるだけで後宮を出入りすることができる。


 部屋にはルーアン一人だけで机も一つ。個室を与えられる文官は将来を嘱望された者と聞いていた。

「どちらへ行かれるのですか?」

 濃灰色の髪に赤茶色の瞳。緩むことなくきっちりと着こなした深衣はすっきりとしていて、日の光の下で見ると改めて美形だと感じる。とはいえ、あの調子に乗った上から目線を思い出すとムカつくので絶対に褒めたりはしないと心に誓う。


「第三書物庫へ行こうと思っています」

「……私もご一緒しても?」

「あの……お仕事は? お忙しいのでしょう?」

 私の疑問を聞いて、ルーアンは一瞬だけ得意げな表情を浮かべてまた人の好さそうな笑顔に戻る。この人の好さそうな顔がルーアンの仮面なのか。


「二月後までの仕事は終えておりますよ。今はその先を準備している所です」

 微笑むルーアンを何故か拒否することもできず、私は承諾するしかなかった。

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