第三話 秘密の約束

 朝食後、私たちは後宮の中庭に作られた薬草園へと向かった。日が昇ったばかりで、建物に囲まれた場所は暗い。後宮内の薬草園は五箇所に別れていて、十二名の〝薬園の乙女〟が管理している。

 特に珍しい薬草を育てる一箇所には高価なガラスで作られた温室が設置され、選ばれた者が世話をする。


 私とシュンレイ、ホンファの三人が任されているのは、一番条件が悪い場所。建物の壁に囲まれていて日照時間が少なく、池に近い為か水はけが悪い。私は村で薬草を育てていた知識を少しだけ使って土質を改良し、多くも少なくもない程度に収穫量を調整している。


 薬草園で最初に行うのは、薬草に異常がないか観察すること。葉の色や茂り方、花や実の付き方を丁寧に確認していく。同時に土がどの程度乾いているかを見る。


「あ、花芽が出てるー。このトウシンって、難しいのに私たちだけ沢山収獲してるよねー」

 魔法石を使う魔法灯ランプが一般的に普及したこの国で、もう使われなくなったロウソクに似た実をつける薬草は、さまざまな薬の基礎に使われる。この薬草が無ければ効果が半分以下になる薬もある。


「前に読んだ本には水がたっぷり必要ってあったから、水が足りてないのかもね」

 トウシンは水辺で育つ草。水が大量に必要だし、貝殻を焼いて砕いた粉を土に混ぜることで土質を変えて収穫量を増やしている。この薬草は欠かすことができない。


「カリンって、いつも本読んでるから博識よねー。女官の試験受けたら受かるんじゃない?」

「えー、女官の仕事って決まり事多くて大変そうじゃない。絶対合わないもの」

 本を読むのは何の趣味もないからとは言えない。幼い頃からずっと薬草や香りの勉強ばかりしていたから、趣味と言えるものがなかった。


「あら? カリン、ここ、ひび割れしてるの。水が足りてなかったのかしら」

 しゃがみ込んだホンファの視線の先、地面がひび割れている。

「ホンファ、それ、もうすぐ葉がでると思う。水は腕を限界まで伸ばして、遠くからやって」


「ああ、ここに植えたのはタジイモだったわねぇ」

 ホンファが柄杓を使い、遠くから水を撒いた途端に地面から勢いよく音を立てて手のひら大の分厚い緑の葉が立ち上がった。雨の多い場所で育つダジイモは、雨が降ると葉が地面から顔を出す。その力は女子供を転倒させるくらいに強い。


 薬草の世話をして、土の匂いを感じているとほっとする。気の合う友人との何気ない会話も楽しい。ただ一つ、嘘を吐いていることの後ろめたさだけはどうしようもなかった。


 まさに薬草に仕えるような丁寧さで世話をしていると、太陽の光が中庭全体に差し込んで様々な濃淡の緑が瑞々しく美しい光景が広がる。

「はー。いつも思うけど、僕たち元気ですーって感じよねー。何か単純だけど、嬉しくなっちゃう」

 シュンレイの明るい笑顔も輝いていて、可愛らしさが倍増しているように思う。


「シュンレイは薬草のこと、男性だと思ってるのねぇ」

「だーって、そう考えたら楽しいじゃない。可愛かったり、色男だったり、一つ一つ表情が違うしー。ここでは私も超モテモテよ! よりどりみどりよ!」

 知られていないだけで薬草にも性別はある。そのことを知らずに言っているのは驚くしかない。シュンレイは時々、知識ではなく直感で本質を見抜くことがある。


「じゃ、その色男さんたちを収獲しましょうか。トークルとエファの葉と根、リカジの根の注文が医局から来てるの」

「ああ、私のトークル様っ。お別れの日がやってきちゃったのねっ」

「あらあら。そんなふうに言われたら、引っこ抜くのに躊躇しちゃうわねぇ」


 冗談を言い合いながら、私たちは今日も楽しく薬草園での仕事に没頭した。


      ◆


 昨日ほとんど眠れなかったからか、私はいつもよりかなり早い時間に眠りについた。魔法灯が煌々と部屋を照らし、侍女仲間がまだおしゃべりをして思い思いの時間を過ごす中でも問題なかった。


 ふと目が覚めたのは、深夜のこと。消灯時間は過ぎていて皆は寝静まっている。もう一度眠ろうと思えば思う程、目が冴えていく。

 数回寝返りを打ってみても眠れない。仕方なく半身を起こすと昨日の男のことを思い出した。


 後宮を通り道にしていたことを私に目撃されて、今夜は道を変えているかもしれない。そうは思っても、もしかしたら会えるかもしれないという妙な期待があった。深く考えることもなく、白い夜着に淡い茜色の深衣を羽織って部屋から出る。


 裏庭にたどり着いても、誰もいなかった。ただ白い月の光が寂しい庭を優しく照らしているだけ。その光景を見ながら、何故か酷く落胆している心を感じる。気分を落ち着ける為、緑の葉が茂る木の一本に近づいて幹に手をあてて心を静かに集中すると、木の脈動を手のひらに感じて心が整っていく。


 他人の名を騙るような男に私は何を期待しているのだろう。見目麗しいからではないと考えて気が付いた。あの男から感じた墨と竹の香りが気になっているからかもしれない。今日一日、何度も思い返していた。


「こんばんは。カリン」

「え?」

 男が唐突に現れたように感じたのは、気のせいだろうか。書庫から歩いてきたのなら、足音や衣擦れくらいは聞こえるはずなのに全然聞こえなかった。


 濃灰色の短髪に赤茶色の瞳。怜悧な印象が強い美貌を凝視しても火傷の痕は全く無い。まさか化粧で隠しているのかと観察しても、どうみても素肌。

「おや。睨まれるようなことをした覚えはありませんが」

 不躾な私の態度も気にすることなく微笑む男に、私は疑問をぶつけた。


「……あの……貴方の本当の名前を教えて頂けませんか?」

「本当の名前? ルーアンで間違いありませんよ。私に他の名前はありません」


「侍女仲間が言っていました。ルーアンという文官には顔に火傷の痕があると。貴方の顔にはな……!」

 周囲の温度が一気に下がり、両肩を掴まれた私は木の幹に押し付けられていた。顔を近づけたルーアンは無表情で私の瞳を覗き込む。


 ルーアンの赤茶色の瞳の奥、不思議な光が煌めく。周囲の景色が夜の空で塗りつぶされ、輝く星々が流れ去る。恐怖よりも綺麗だと思う気持ちが心に広がった。

「何が視えますか?」

「……夜空に……星が」


「夜空に星? ……まさか本当に私の幻影魔法が効いていない?」

 両肩からルーアンが手を離すと周囲の景色が戻った。あごに指をあてて軽く首を傾げたルーアンが、まるで観察するように私の足先から頭まで視線を動かす。月灯りの中、瞳が赤く見えるのは気のせいだろうか。


「ああ、理解しました。魔力持ちですか。しかも私と同等の」

「あ……あの……魔力なんてありません……」

 ルーアンも魔力保持者と聞いて、一気に血の気が引いていく。


「今更隠さなくてもいいですよ。私が魔力を隠しているように、貴女も隠す理由があるということでしょう? 詮索されるのも面倒ですからお教えしましょう」


「私が魔力を隠すのは、文官になって官位を上げる為です。ご存知ないかもしれませんが、魔力があると知られれば医官か武官に配属されてしまいます。どちらも官位は低いまま。飼い殺しは嫌ですからね」

 それは私も知っていた。王宮の医局に務める顔なじみの医官も微量の魔力を持っている。文官が到達可能な官位は高く、平民出身でも大臣や宰相になった例もある。一方で医官や武官の地位は低い。


「自慢ではありませんが、この顔を晒せば物好きな女性たちがまとわりついてくるでしょう。下手に騒がれたり問題を起こされたら、私の官位も危うくなります。素顔を見せるのは官位が安定してからです」

 あまりにも自信たっぷりな表情を見ていると毒気が抜かれた。確かにかなりの美形だとは思っても、そこまで騒がれる程だろうか。王宮には美形が多数いて、特に見目麗しい者を揃えた皇帝陛下の近衛兵は侍女たちの話題に頻繁に上がる。輝くような美形たちと比べると地味に見えてしまう。


「何か言いたげな顔をしていますね。何です? 正直にどうぞ」

「……自意識過剰ではないでしょうか」

 ちらりと見下すような視線にイラっとして、思っていたことがぽろりと口から零れた。私の一言を聞いて、ルーアンは口を引き結ぶ。明らかに機嫌を損ねたとは感じても、正直に言えと言われたのだから仕方ない。


「とても大人しく控えめな性格と聞きましたが、どうやら貴女も私と同じで本性を隠しているようですね」

「どなたに聞いたのですか?」

「同僚の文官たちですよ。陛下のお気に入りだから絶対に手を出すなと言われましたけどね」

 皇帝陛下のお気に入り。第三皇子の婚約者候補から外れ正妃の侍女から離れても、まだそう言われているのかと小さく溜息を吐く。陛下は幼い頃の思い出を懐かしむ為に、祖母に似た私を呼び寄せただけなのに。


「カリン、貴女に興味が湧いてきました」

「興味を持たれても困ります。私はあと一年でいなくなりますから、そっとしておいてください。貴方の秘密は絶対に口外しません」

「一年? 何故です?」

「陛下から、私が十八になれば外に出ることが許されています」


「おや。女官にならないのですか?」

「はい。……もう女性の中で働くのは懲り懲りです」

 心の底から本当にそう思う。数名の気の合う友人以外は、関わり合いになりたくない。

 十八歳になれば侍女の職を辞して王宮を去り、行方不明の姉を探すという名目で旅に出る。どこか遠くの街か村で薬師として働くつもりで、給金にはほとんど手をつけていない。


「まぁいいでしょう。お互い、秘密を守ると約束しましょう」

 ルーアンは口の端を上げた意地悪な笑顔を見せ、私は溜息を吐いて頷いた。

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