るりと涙

清瀬 六朗

るりと涙

 「合格しました」

 電話が通じてから、息を整えて、整えて、整えて、長い無言の時間のあとに放ったるりの一言が英理えいりの心臓を撃った。

 るりは家庭教師として英理が教えている「教え子」。曇り空の寒い今日が、その合格発表の日だ。

 英理の右の頬を、くすぐったい感じがころころと下っていった。

 「あ、あれっ?」

 時間差があって、左の頬も。

 「あっ……」

 泣いてる?

 気がついたときには、英理のあごから、ぽたっ、ぽたっ、としずくが流れ落ち、白いセーターにあたっている。

 「えっと……あの」

 電話の向こうで、るりがとまどっている。

 「……先生、泣いてる?」

 「そんな、泣くわけないだろ、あたしが、あんたのことなんかで!」

 ――そう言って突き放すのが、いつもの英理。

 「よかった……よかった……うん。るり。嬉しい……」

 出てくることばが、英理の気もちを裏切る。

 いいわけ、ないだろう!

 るりが大学落ちてくれれば、るりの体は、このあと一年、あたしの手の届くところにあった。

 夏のセーラー服の粗い木綿の手触り、冬のセーラー服の緻密で暖かい手触り、そして……。

 るりが英理のところに来るのはいつも学校帰りだったから、るりはいつも制服だった。

 夏、秋、そしてまた冬。もしもう一年あれば、るりはどんな服装で英理のところに来てくれただろう。こっちから手を伸ばして

「そこは違うんだって。何度言ったらわかるかな!」

とノートに直しを入れるときの、るりの体の感触、英理の腕をかすめる息づかい。そんなるりの感触を感じる機会……。

 それは失われた。

 たぶん永遠に。

 るりから、どこの大学を受験しよう、本命の大学は合格ラインぎりぎりなんだけど、と相談されたとき、英理は

「そんな弱気でどうする? いい? ここであきらめたら、かなうかもしれない夢がかなわないんだよ? るりはそりでいいのか?」

と励ました。

 英理の夢をかなえるために。

 大学に落ちて、もう一年、この子が週一回、自分の手の届くところに来てほしい、という夢を。

 「先生も泣いてくれ……先生、ありがとう……」

 るりも電話の向こうで涙を流しているらしい。

 「あたしこそ、ありがとう、だよ! ……あんないい加減な指導で、あんた、本命の大学、受かったんだから」

 英理は、もう、自分がなぜ泣いているのかわからなくなった。

 だから、その一瞬の気分で、英理はるりに伝えた。

 「おめでとう」

 声は、掠れていた。

 たぶんそうだっただろうと思う。


(おわり)

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