第4話:向こうの話







今日も今日とて、アウラが枯れるまで多嘉子と格闘していた。...そのままの意味で。


全く、本当に女なのかと思うほどに、この女は強い。スキル持ちや冒険者などの一部例外を除けば、マリユスではこれほど強い女というのは滅多にいない。おそらくあの国の魔女が全員寄ってたかって攻撃しても、この女一人に返り討ちにされるのではなかろうか。


「難しい顔して、何をぶつくさ言ってんだ?ほら、夕飯できたぞ。運べ。」


「分かった。」


ほくほくと湯気をあげる、茶色っぽい色の飯の入った茶碗を二つ、テーブルに運ぶ。

立ち昇る湯気が顔にかかると、程よい塩気と芳醇な旨味を含んだ香りが、腹の虫を鳴かせる。


他にも、塩の効いたソースで皮がパリッと焼かれた鶏肉だとか、青菜を薄切りの肉と炒めたものだとか、細切りにした野菜を、酸っぱいタレで和えたものだとか。


どれもこれも、今すぐ口に入れたいくらい美味そうだ。


席につき、いつも通り謎の挨拶をしてから食事を始める。


茶色っぽく色づいた、具の入った飯を口に入れる。すると俺はたったの一口で、その虜になった。

口の中に、豊かな旨味と程よい塩気が広がり、醤油というソースの独特の香りが鼻に抜ける。どの具の食感も、ふっくらと炊かれた米に馴染んでいた。

もう一口、もう一口と箸が勝手に動き、気づけば茶碗の中は空になっていた。


これにとどまらず、彼女の料理は概して美味い。この女、戦闘だけに飽き足らず、このような才能も秘めているとは...。



ふと多嘉子の方を見ると、俺が食い終わった時には、彼女は既に皿を空けた後だった。

どれだけ大口で食ったらその速さになるんだ。飯の旨さに感嘆したのも早々に、またもや女であることを疑わされる。


彼女は手早く食器を洗って片付け、湯気を立てる緑色の茶をゆっくり啜ると、頬杖をついて俺を見つめた。


「そろそろ、いいんじゃないかな。」


何の脈絡もない一言に、思わず突っ返す。


「そろそろって、何がだ。」


すると彼女は椅子から腰を浮かせて俺の顔に近寄った。そして口角をクッと上げて、威圧的な笑みを見せて言う。


「なーにが『何がだ』だよ。契約内容忘れたのか?アタシがお前にエサと住処をやる代わりに、お前は何をするんだったっけ?」


俺はハッとして、先程の返答に申し訳なさを感じた。


「...すまない、修行に夢中で、すっかり忘れていた。」


「全く、女との約束を反故にするとは...。本当にキミは魔法だけでできたような人間なんだね。」


「う、うぅ...。」


ニヤニヤとした顔で詰め寄ってくる彼女に、俺は何一つ言い返せずに、ただただ縮こまる。


彼女は満足げな顔で椅子にストンと座ると、足をぶらつかせて再び頬杖をつき、ニマニマと笑いながら俺の方を見つめた。

笑っているのに急かされているような、妙な圧力の中で、俺はどこから話したものかと思案し、まずは生い立ちから話すことにした。

まあ、話の種になるほど面白い生い立ちというわけでもなかったが。








俺が物心ついた時、たった一人の肉親であった父は、俺の元に一冊の本を残して失踪していた。


俺は孤児院に預けられ、父からもらった、というか半ば押し付けられた本を手に、食事と就寝の時間以外は一人で過ごした。


そしてその本の表紙こそが、俺がこの世で最初に読んだ一文だったのだ。






『見えない世界を信じるか。』




当初五歳だった俺は、この言葉の意味を知る由もなかった。


だが、ある程度文字が読めるようになり、何気なくその本を開いてみた時、俺の運命は、大きな分岐点を越えたのだった。





『生きとし生ける者は皆、魔法が使える。精霊や魔生物のみならず、人も動物も、虫も草木も。生命を有するものであれば、おしなべて魔法を使うことができるのだ。』




その先も難しい言い回しが多く、読むことはできても理解はできなかった。


だが、子供ながらに時間の経つのは案外短く感じられるもので、数年もすると、大体の内容は読み取れるほどになっていた。

そして、俺は魔法の使い方を覚え、魔法を発動させるために、魔生物の一種であるカエンドリと戦った。

魔力を操作する感覚は魔生物に触れないと解らない、と本に書いてあったからだ。


カエンドリは鋭い蹴爪をもつ、全長1メートル以上の鳥型の魔生物。

全身に傷を作りながらもなんとか仕留めると、カエンドリに触れた時に感じた温かいそよ風のようなものが、身体中を巡っているのを感じた。

今思えば、あれがアウラだったのだろう。


そして俺は目を瞑り、アウラの奔流を思い切り全身から押し出しながら、『ヴォル』と唱えた。


すると、ムッとする熱気がにわかに体を包み、周囲の草が茶色っぽく変色して萎えた。

そして見る間に、落ちていた枯れ草から、ぽっと火が出る。


俺はその火を見つめ、歓喜した。

本の上の文字列でしかなかったものが、目の前に現実として現れた。そのことに異様な興奮を感じ、また、たまらなく嬉しかったのだ。


十二歳の夏。俺と魔法が出会った日だ。




この時を契機として、俺は魔法というものの魅力にとり憑かれ、勉強や仕事の時間以外は、孤児院で過ごす日々の大半を、魔法の練習や研究につぎ込んだ。

その甲斐あってか孤児院を出る年齢になって、国一番の高等教育機関「ハーマス魔法学校」に、数少ない一般枠で合格。


さらに幸運なことに、俺が入った寮のルームメイトは、フェルノー=ライクベートという天才魔法使いだった。彼は、一般枠にして首席で入学し、その後も魔法のみならず、剣術、体術、学問でも首位近くを取り続けるという化け物だった。

俺は彼に追いつこうと、強さの秘密を探るために付きまとった。そうするうちに、なしくずし的に一緒に行動することが多くなり、彼と共に魔術を研究していた、これまた天才アリュ=ラボノックという男とも仲良くなった。


あらゆる分野で学年首位をマークし、ついでに言うと容姿も整った二人に挟まれて、常に劣等感に苛まれる日々だった。しかし面白くなかったかといえば、そうでもない。

二人と共にいれば、大好きな魔法のことを常に考えていられたからだ。


生い立ちこそ不遇だと自覚しているが、その後は何もかもが順風満帆に進んだ人生。二人と切磋琢磨するうちにハーマスでの成績もそこそこ上がり、このままいけば、宮廷魔術師団入りも夢ではなかった。



...だが、現実は時として非情。

俺は何の前触れもなく、その世界に別れを告げることとなったのだ。






そこまで話して、一旦息をつき、ぬるくなってしまった茶を啜る。

話に夢中になっていた頭を、青臭さの無い草の香りが落ち着かせてくれた。


多嘉子は俺の話を、目を閉じて聞いていたが、話終わるとうっすらと目を開け、呟くように尋ねた。


「向こうの世界に、未練はないのか。」


痛いところを突く質問だった。完全に無いかと問われると、そこにはどうしても疑問符がつく。

だが、俺はこうも思っていた。


「俺はこの世界に来たことを、嘆いているわけでもない。なにせ、貴方と出逢えたからな。」


俺は素直に思ったことを言ったつもりだったのだが、彼女はそれを聞いて、呆れたような顔になった。そして、いきなり俺の頬をぐいっとつねった。


「いいいいい!!??な、何を...!!??」


「この遊び人が。一体その口で何人の女を勘違いさせてきたんだ?」


「な...!?俺がいつそんなことを...!?」


「お前、言動に気をつけた方がいいぞ?思ったことを素直に言えるのには感心するが、むやみやたらと言わない方がいい。いつか修羅場に遭遇するぞ。」


ジトっとした視線で、俺を睨みつける多嘉子。

...いい加減、頬を放して欲しいのだが...。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




そして、修行と思い出話で一日を消費すること、およそ一ヶ月。


段々と、彼女との共同生活にも慣れてきて、すでに家事の半分ほどは俺が行っている。

修行の合間を縫って、彼女に勉学の手伝いもしてもらっている。


...というのも、この国では何と、全ての子供が六歳から学校に通い始めるというのだ。そして、文字や言葉、四則演算などは四年以内に習得してしまうとのこと。俺くらいの年齢にもなれば、一般生活では使わないような高度な知識までもを習得し、それらを用いた試験で、次に通う学校が変わるそうだ。


....なんというめちゃくちゃな仕組みだ。学校など、貴族や大商人の家だけのものであり、四則演算もつい数年前に習得したというのに...。


だが、彼女に鍛えられて過ごす時間は、楽しいことこの上なかった。

例えマリユスに帰れなくても、この世界で彼女との一緒に過ごすのも悪くないと思い始めていた。




...だが、俺は思い出すことになる。現実は時に、非情なのだということを。

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