第3話:コンセプト・ギャップ








「...一番、弱いだと...?」


「ああ。アタシの本領は、毒やら生き物やらを使った魔術だからね。アタシ個人の単純な戦闘力となると、最弱さあね。」


彼女は、そう言って笑いながら食器を片付け終え、風呂に入りに行ってしまった。


俺は、すっかり静かになってしまった部屋の中で、魂を失っていた。


「...あの強さで、最弱...!?何という化け物たちなのだ、この国の魔女というものは...!?」


狭い廊下をこだまして、風呂に入りに行く彼女が鼻歌を歌う声が聞こえてくる。

自分より弱い使い手を見つけたせいか、随分とご機嫌な様子だ。


...俺は、あの自称最弱魔女にさえ敵わなかった。いや、最後までやったわけではないから、実際はどちらが強いのかは知らない。しかし、ルール無しの殺し合いなら、間違いなく負ける。


ならば、やるべきことは一つだろう。

およそ半刻後、妙にゆったりとした、柔らかそうな服を着た彼女が風呂からあがってくると、俺は必死に頭を下げながら、開口一番に言った。


「霜葉の魔女。俺から一つ、頼みがある。」


「ほう?改まってどうした。」


「...この俺を、弟子にしていただきたい...!!」


「...ふむ。」


「何か要求があれば、もちろん飲もう。...頼む、俺には魔法しか取り柄がない。俺がこの世界で生き残る方法は、おそらくこれしかない...!」


彼女はしばらく無言で目を瞑っていたが、悲しそうな短いため息を漏らすと、ほんのりと笑顔を浮かべて言った。


「...いいのかい?君は今、最弱に教えを乞うているんだぞ。」


「構わない。お前が...、いや、貴方が最弱を称するなら、俺は最弱以下でいい。」


「おやおや、何とも思い切りのいいことで。」


彼女は、呆れたのか負けたのか、苦い顔でため息をつくと、俺に何やら長い布を突きつけて言った。


「まずは風呂に入ってこい。その間に、考えてやらんこともない。」


...これは、認めたと認識してよいのだろうか。

苦い顔はしつつも、そこに嫌悪の感情はなかった。

俺は黙って一礼すると、風呂に入りに行くために玄関から出ようとした。


「ちょ、待て待て、どこへ行くつもりだ!?」


「どこへって、風呂に入りに行けと言ったのはお前だろう。」


すると彼女は、先ほどより一層長く、濃いため息をついた。今度のは、「面倒」という文字が顔に浮かび上がって見えるようなため息だった。


その後、俺は彼女から衝撃的なことを聞かされた。

なんでも、この世界の人間は基本的に毎日風呂に入り、石鹸やそれに類似したもので体を洗うんだとか。

さらには、安い集合住宅などを除けば、基本的に全ての家に、屋内の風呂があるとのことだった。


...毎日、備え付けの風呂に入り、さらには石鹸が使える...。

そんな特徴をもつ国は、王立図書館の地図にすら載っていなかった。貴族の屋敷や王城になら備え付けの風呂があると聞くが、石鹸は使えないらしい。マリユスでも一時期、曙国から石鹸を輸入したことがあったらしいが、使おうとすると石鹸が水中で泥状に固まってしまい、使えなかったんだとか。


...やはり、異なる世界に来てしまったということで間違いないようだ...。


俺は、彼女に何から何まで教えてもらい、やっとのことで風呂に入り終えた。

それにしても、あの「湯船」というのは良いな...。毎日あの心地よさに浸れるとは、まさに夢のようだ。




彼女に、例の弟子入りの件について聞こうとしたが、説明に疲れたのか、すぐにベッドに入って寝てしまった。


まあ、気長に待つか。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




翌日。

朝食を終えて片付けをしていると、彼女が唐突に言ってきた。


「片付けを終わったら、外に出なよ。」


皿を拭きながら、「何をするんだ」と聞き返すと、彼女は呆れたような口調で突っ返した。


「おいおい、自分から弟子入りを頼んどいて、そいつはないだろうよ。修行に決まってるだろ。」


「...!!!」


俺は、彼女に向かって今一度頭を深く下げた。

早く皿を拭けと、その体勢のまま彼女にこづかれたが、その手は優しかった。


どうやら弟子入りが認められたらしい。

俺は皿を拭き終わると、強者に教えを乞えるという期待を胸に庭へすっ飛んでいった。


...そして、その期待は三分後に絶望へと変わる。






「どうした?もうおしまいか。」


「ゼエ...、ゼエ...。こ、この女...!」


「ほう?まだアタシを睨む気概はあるんだねえ。」


「当たり前だ!!やはりお前は嘘をついているだろう!!その強さは異常だ!!」


「おや。まだ本気は出していないんだが。」


「...化け物め...!!」


彼女は、額に少し汗を浮かばせているくらいで、既に肩で息をしている俺と比べれば、圧倒的に余裕だ。


それに何より、魔法を使っている俺に対して、彼女は一切魔法を使わず、体術のみで魔法を受け、俺に反撃してくるのだ。

俺はそれを回避するために、あっちへこっちへと転げ回り、魔力消費も相まって、疲労困憊。


彼女は、手を膝に乗せて息を整える俺を上から見下ろしていった。


「ふむ...。君はどうやら、アウラを上手く使えていないようだね。」


「...アウラ...?」


そういえば彼女が戦う時、全身に朧な白い光のようなものが見える時があるのだが、その光が見えたと思うと、俺が放った魔法が彼女に届く前に消えてしまうのだ。


「君は魔法を使う時、どうやって魔法を放っているんだい?」


「...それは、体内の魔力を練って...」


「はい、違う。どうやら君のいた世界とこの世界では、魔法に関する認識が少々異なるようだね。」


「なっ!?」


彼女は俺の言葉を二秒で遮って、拳を突き出した。そして近くの石を拾うと、それを軽く放り投げ、スタームと思われる魔法で一気に加速して思い切り自分の体にぶつけた。

危ない!という声が出る前に、俺の目は衝撃的な映像を捉えた。


石は、彼女の体にぶつかることなく、少し隙間を隔てたところで粉々に弾け飛んだ。


「...何だ、それは...!!」


体に当たる瞬間に、土属性魔法ガドンを発動したのか...?いや、魔力を練る暇などなかったはず...!

これが、彼女の言っていた「アウラ」と関係があるのか...?


「ミランガ。アタシに触ってごらん。」


「...何だって?」


...女性の体など触ったことは一度もない。修行とはいえ、妙に緊張してしまった。

戸惑っていると睨まれたので、俺は恐る恐る、彼女の肩のあたりを触ろうとした。


しかし、俺の手が彼女に届くことはなかった。どうしても、数センチの隙間を隔てて、それ以上進めない。ぼんやりと白く光る柔らかい何かに阻まれている。

まるで、彼女が見えない鎧を着ているかのようだ。


「どうだい。これがアウラだ。」


「...!?」


俺は、彼女を覆う白い光を見つめる。

心なしか、彼女の「アウラ」に触れると少し暖かく、そよ風を受けているようにも感じる。


「アウラってのは、物質とエネルギーの中間体みたいな存在さ。精霊や神の肉体を構成するものだとも言われてる。」


「物質とエネルギーの中間...!?そんな存在、聞いたことがないぞ....!」


「まあ、こいつは生き物の体から生成されて、空気中にも一定濃度で存在するからね。そこらじゅうにありすぎて、かえって感知できないのさ。例えば....そうさな、君は自分にかかる気圧や、空気の味を知覚したことがあるかい?」


「...無い、な。」


「だろう。だが、君の体の中でも、確実にアウラは生成されている。試しに出してごらんよ。」


「...こう、か...?」


彼女の体を覆っていた、あの光のそよ風を思い出す。


すると、あることに気づく。


「...これは、練る前の魔力ではないか...?」


魔力を練って魔法を放つ時、体の中を暴風のように吹き荒れる魔力。あれがアウラだというのだろうか。...だとすれば、最初級魔法の【魔力弾】とは、まさか...


そう思いながら、【魔力弾】を全身から優しく放出するイメージで、魔力、もといアウラを解放する。


すると、体から白い光が蒸気のように揺らめいて立ち上り、柔らかいコートを着ているように、暖かく包まれているような感触が、全身を覆った。


「これがアウラか?」


半分戸惑い、半分歓喜しながら聞くと、霜葉の魔女は目を丸くして首を縦に振った。


「あ、ああ...。すごいじゃないか、そんなに早く操れるなんて...。」


そこから先は、ハーマスのニ年生の授業を思い出せば、そこまで難しくなかった。初級魔法の【魔力弾】と【防御魔法】というのが、アウラによる攻撃と防御のことだと分かれば、全てはその二つの応用だ。


彼女の言うままに、アウラを出したり抑えたりし、彼女の攻撃に合わせて、受ける部分のアウラを増強してダメージを軽減する。繰り返すうちに、どんどん慣れてくる。さらに、彼女は楽しくなってきたのか、どんどん打つ手を強めてきた。


「はは!!楽しいな!そらそらどうした!!アウラを上手く使わないとォ、腕がへし折れるぞォっ!」


彼女は、実に楽しそうに拳や脚を振るってくる。

いくらアウラの鎧を纏っているとはいえ、あまりに強い攻撃を受ければ鎧の上から骨を折られるし、関節も外れるかもしれない。


しかし、彼女は攻撃を緩めるどころか、更にどんどん強く打ってくる。


...まずい、何か手を打たないと、本気で骨を折られる...!!


そう思って、咄嗟に体内でアウラを練る。しかし彼女の拳の方が一瞬早く、放出が間に合わなかったため、アウラを纏わず素手で受けてしまった。


手の表面に凄まじい痺れが走り、腕の芯を、ドンという重い衝撃が貫く。

受けた拳の勢いそのままに、よろめいて二、三歩後退する。少し遅れて、痛みとも痺れともわからない感覚が、右腕を支配する。


折れた。さっきのは確実に折れた。

心の中でそう言いつつ、びくつきながら腕を見たが、手の表面の薄皮が焦げて剥がれているくらいで、骨や関節、筋肉に損傷は無い。


確実に折れる一撃だったのに、何故...?


その時、彼女の反撃がないことに気づき、前方に目を向けた。すると彼女は、口を引き攣らせて軽く笑った。


「...ハハッ、なんてこった。まさか、こんな短時間で内強化まで使うとはね。」


「内強化...?」


彼女の言葉を反芻するように口に出すと、その意味がおぼろげに分かった。


「アウラを体に満たし、強度を上げるということか?」


「そういうことだ。攻撃の威力は風属性魔法スタームで、防御力はアウラの放出で上げられる。だが、体の強度がその衝突に耐えられなければ意味がないだろ?だから...」


「肉や骨をアウラで満たし、過度な変形を防ぐということだな?段々分かってきたぞ。」


俺の調子は、右肩上がりだった。

それもそうだ。魔力など、物心つく前から玩具おもちゃのように使っていた。正しい使い方を知らなかっただけで、思い通りに操ることなど造作もない。


その日は終始彼女との格闘戦だったが、修行を開始して数日が経つ頃には、彼女も魔法を使い出した。

魔法といっても、彼女が使っていたのは拳や蹴りの速度を上げるためのスタームだけなので、結局は殴り合いの様相を呈しているのだが、これがただの喧嘩でないことは、その攻防の速度を見れば一目で分かる。


「よし、いいぞ!!乗ってきた!!」


そう言いながら、正面から軽いジャブを四、五発打ってくる多嘉子。俺はそれを片手で止め、空いた方の拳で殴りかかったが、彼女は体勢を斜にしてそれをいなし、懐に飛び込んだ俺の上体に、美しさすら感じる軌道で回し蹴りを叩き込んだ。


しかし、俺は彼女の踵を胸で受けると、その足を掴んで投げ飛ばした。

投げ飛ばすと言うよりは、強引に引っ張って地面に叩きつけるような雑な投げ。だが仕方がない。今まで喧嘩も武術もまともにやったことがないのだから。


案の定彼女は受け身をとって衝撃を和らげ、地面をもう一回転して俺から距離をとった。

俺に向き直った彼女の体から、一段と力強くアウラが発せられ、落ち葉が舞い上がる。


と、その瞬間、舞い上がった落ち葉が円状に取り残され、彼女の像が一気に近くなった。

そのまま流れるように繰り出された拳を、内強化と外強化を発動した両腕をクロスさせて受ける。


遅れて落ち葉を含んだ暴風が吹きつけ、一瞬目を瞑った隙に、彼女の右足が脇腹に叩き込まれた。凄まじい痛みと、肺を圧迫される苦しさに続いて、反対方向からの衝撃が襲う。どうやら、何かに叩きつけられたようだ。


俺は立ち上がろうとしたものの、頭を打ったのか、くらっと視界が傾いたと思うと、そのまま目の前が真っ暗になった。




そして目を覚ますと、俺はベッドに寝かされていた。

打った脇腹には、布のような白いものが貼られていて冷たい。頭には軽く包帯も巻かれている。


起き上がって、ベッドの隣に佇む人影を視界に捉えるが早いか、悔しさが込み上げ、言葉が口をついて出る。


「...次は、勝つ。」


何度目かの負け惜しみを、今日も多嘉子に笑われた。

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