第4話 ハチ公、めでたく犬になる
「えっ、とぉ……?」
いきなり巻き込まれた狛哉が気の抜けた声を漏らす中、クラスは大胆なこだまの発言にざわつきを見せていた。
先程から距離が近いと思っていたが、もうそこまで関係が進んでいたのか……という自分たちに対する好奇の眼差しを一身に浴びる狛哉がそのプレッシャーに耐えかねて冷や汗をだらだらと流す中、そんな彼よりもショックを受けた様子の男子生徒が絞り出すようにして言葉を発する。
「……デート? こいつが? 森本さんと……?」
「うん、そうだよ! ね~?」
「あ、えっと、は、はい……」
信じられない、と先程のこだまに対する不躾な視線以上にその胸中を表した表情を浮かべている男子生徒が、驚愕しながら確認を行う。
何かの間違いであってくれという彼の願いを無邪気な返答で木っ端微塵に吹っ飛ばしながら、察しろと言わんばかりの雰囲気でこちらにも答えを強要してきたこだまの圧に負けた狛哉もまた、彼女の言葉を肯定するように引き攣った笑みを浮かべながら小さく頷く。
「そういうわけだから、遊びに行くのはまた次の機会ってことで! ごめんね、折角誘ってくれたのにさ」
「ああ、いや……き、気にしないで。また今度、誘わせてもらうから」
これまたわかりやすく意気消沈した男子が、弱々しい笑みを浮かべながらこだまへと言う。
その後、彼が狛哉へと憎しみを込めた眼差しと表情を向けた後で自分の席へと戻っていったことを確認したこだまは、椅子から立ち上がるとウインクをしながら狛哉へと声をかけた。
「飲み物買いに行くわよ、ハチ! 付いてきなさい!」
「あっ、はい……」
この場に居続けるのはマズいから一旦外に出よう、というこだまの考えを読み取った狛哉が弱々しく頷きながら彼女に続いて教室から出ていく。
ざわっ、と自分たちがいなくなった途端にクラスメイトたちが騒ぎ始めたことを気配で感じ取った彼が深いため息を吐く中、ずんずんと廊下を進んでいったこだまは適当なところで振り返ると心底かったるそうな表情を浮かべて口を開いた。
「あ~、だっる! ああいうの、本当に面倒くさいのよね……」
「気持ちはわかるけど、そこまで邪険に扱わなくてもいいんじゃないかなと僕は思うんですけれども……」
「明らかに人の胸をガン見してた上に、男の方が多い状態でカラオケっていう密室に連れ込もうとする奴を好意的に見るなんて無理に決まってるでしょ。ハチもあいつがあたしのどこを見てたか、わかってたでしょ?」
「ま、まあ、そうだね……」
同性として一生懸命に男子生徒のフォローをしようとした狛哉であったが、即座にそれを斬って捨てるこだまの返答に何も言えなくなってしまう。
確かに彼の不躾な態度というか、欲望に塗れた眼差しというのは傍から見ていてもひしひしと感じられていたわけで……それを直接向けられていた本人からしてみれば、朝の痴漢のことも相まって不快だとしか思えなかったのだろう。
だからといって彼の誘いを断る口実に自分を利用しないでほしかったのだが……と、こだまのせいでクラスメイトたちからより強い奇異の眼差しで見られるようになってしまったことに対するどんよりとした気持ちを抱える狛哉であったが、そんな自分に対してこだまが自動販売機で購入した紙パックの牛乳を差し出す様を見て、驚きに目を見開いた。
「はい、ご褒美。合わせてくれてありがとうね、ハチ」
そう言いながらプスリと自分の飲み物にストローを刺したこだまがすぐ近くにあったベンチに座る。
お礼じゃなくてご褒美なのかと、彼女の言い方に引っかかるものを覚えながらも素直にそれを受け取った狛哉は、いちごミルクを飲み始めたこだまへと先程からずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、さっきから僕のことをハチって呼んでるけど、なんで?」
「うん? あんた、八神狛哉って名前でしょ? 八神の八の字を取って、ハチ。狛哉の狛も狛犬の狛だし、何よりあんた犬っぽいからぴったりじゃない。本物の忠犬ハチ公と比べたらとんだ駄犬ではあるけれどもね」
妙なあだ名を狛哉に付けたこだまが、あっけらかんとした様子でその理由を答える。
決してありがたくない名前を与えられた狛哉が渋い表情を浮かべるも、彼女はそんなことは一切気にしていないようだ。
「まあ、ダメなところしかない奴ではあるけれども従順さはあるみたいだし、これからの躾次第で多少はマシになるでしょ。根気強いご主人様に感謝しなさいよね、ハチ」
「さ、流石の僕も犬扱いは不服なんだけど……」
「うるさい、あんたの意見は聞いてない。ご主人様の言葉にははいかYESかワンで答えなさい。わかったわね?」
「えぇ……?」
何だかとんでもないことになっているぞ、とドタバタの新生活の一言では済ますことができない状況に表情を引き攣らせる狛哉。
どうして痴漢から女の子を助けただけでこんなことになっているのかと、もしかして今朝の自分の判断は間違っていたんじゃないかと自分自身の行動に自信が持てなくなってきた彼が思い悩む中、紙パックの中身を空にしたこだまが人差し指を突きつけながら言う。
「とりあえず、今日の放課後はあたしに付き合いなさい。クラスの連中の前でああ言った手前、バラバラに行動して嘘がバレても嫌だし……必要なかったとはいえ、駄犬なりにご主人様を守ろうとしたことに対してのご褒美もあげないといけないしね。駅前の店でハンバーガーでも奢ってあげるわよ、ハチ」
「えっ? い、いや、悪いよ。別にそこまでされるようなことはしてないし……」
「だから、あんたの意見は聞いてない。ご主人様の言葉にははいかYESかワンで答えなさいって言ったばっかりでしょ」
そうやって強引に放課後の予定を決めたこだまが、ゴミ箱へと紙パックを放り投げてから教室へと戻っていく。
有無を言わさぬ勢いではあったが、別に予定があったわけではない狛哉からしてみれば昼食を奢ってもらえるというのはありがたいことである。
そこでふとある可能性を思い至った狛哉は、地雷を踏む覚悟でこだまへとこんな質問を投げかけてみた。
「あのさ、もしかしてなんだけど……朝のこと、本当は気にしてたりする? 僕を付き合わせるのも、お礼のつもりだったりするの?」
「………」
とても強引ではあるが、実はこだまも痴漢から助けてくれた自分に対して感謝の気持ちを抱いているのではないか。
それを素直に口にできないからこそ、こんな方法で半ば無理矢理に自分に付き合わせて、食事を奢ろうとしているのでは……という狛哉からの質問を受けたこだまがぴたりと足を止める。
押し黙ったまま静止した彼女の姿に自分が地雷を踏んだことを予感した狛哉は、特大の雷が落ちてくることを覚悟したのだが――
「べ、別にそんなんじゃないもん! 感謝とか、するわけないじゃない! そういうわけわかんないことを言うから駄犬って呼ばれんのよ、ばーかっ!」
振り返ったこだまは顔を真っ赤にしながら、とてもわかりやすい反応を見せてくれた。
図星を突かれて焦っているというか、強気な態度で上手く隠していた本心を言い当てられて恥ずかしくなっている様子の彼女は、ぽかんとした表情を浮かべる狛哉を睨んだ後で足早に教室へと戻っていく。
そんな彼女の背を見送った狛哉は、じわじわと込み上げてきた愉快さについつい噴き出してしまうと共に、自分もまた空になった紙パックをゴミ箱に捨ててからこだまの後を追って駆け出した。
(なんだ、キツいだけじゃなかったんだな。ああいうかわいらしい部分もあるっちゃあるのか)
出会い方がもう少し違えば、もしかしたら普通に仲良くなれていたかもしれないと、強気でキツいだけではないこだまの性格を思いながら笑みを浮かべる狛哉。
犬扱いは不服ではあるが、色んな意味でかわいいあのご主人様にならもう少し付き合うのも悪くないかもしれないなと考えつつ、高校で初めてできた友人である彼女と仲良くなれたらなと期待する彼は、その機会になるかもしれない放課後のデートを思い、胸を高鳴らせるのであった。
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