#6

 翌朝、キッチンを借りてありあわせのもので朝食を作って軽く食べた後、昴は光汰と別れた。


「じゃあな。今度はゆっくり飯でも食おうぜ」

「ああ。また」


 後ろ髪を引かれる思いで、昴は電車に乗り込んだ。

 早い時間なこともあってか、帰りの電車は空いていて、座ることができた。昨夜はきちんと眠れていたとは思うが、規則的な揺れが眠気を誘う。

 うとうとしながらもなんとか乗り換えで寝過ごすことはなく、桜華堂の最寄り駅で電車を降りた。たった一日だが、やっと帰ってきた、と思った。

 生まれてから十八年間暮らした街より、この街の空気の方が、もはや肌に馴染んだ。大きく息を吸って、近くのベンチに座り込む。

 ふと、その昴の頭上に影が差した。


「あれ、昴さんだ。戻ってたんだ。おかえりなさい」


 顔を上げると、晶が自転車を押しながら立っていた。半袖のブラウスにハーフパンツという涼しげなファッションだが、額には汗が滲んでいるのが見える。

 「おかえり」はただの挨拶かもしれないけれど、ここにいてもいいと言ってもらえているようで、胸の奥がじわりと痛いような、切ないような気分になった。

 感傷的になりすぎているかもしれない。目の奥がツンとしたのを振り払うように、昴は努めて明るい声を出した。


「あ……晶ちゃん。こんなところで、どうしたの?」


 晶は自転車に業務用のブロック氷を積めるだけ積んでいた。少し行ったところにある業務スーパーのロゴが入った袋に、ビニールパックの氷をはち切れんばかりに詰めて、自転車の前籠だけでなく、ハンドルにも一つ引っかけている。水滴が地面に滴り、小さな染みを作った。


「ちょっと買い出し。製氷機の調子が悪いんだって」


 なるほど、この夏場にそれは一大事だ。

 しかし、自分が留守にしていたせいで晶を買い出し要員にしてしまったと思うと、少し申し訳ない気がした。


「そっか。ごめんね、受験勉強があるのに」

「別に昴さんが謝ることじゃないでしょ。それに気分転換になるし、あたしそんなに成績悪くないもん」


 他意はないのだろうが、何気なく放たれた自慢とも取れる言葉に、昴は苦笑した。


「昴さんこそ、こんなところに座り込んでどうしたの? 具合悪い? 熱中症とか?」


 晶は心配そうに覗き込んでくる。


「いや……大丈夫」

「そう? じゃあ、一緒に帰ろうよ」


 あの場所に「帰る」という言葉を、晶は当たり前のように使った。来たばかりの頃は、戸惑って遠慮ばかりしているように見えたのに。


「うん。帰ろう。それ、持つよ」

「いいの? ありがと」


 昴は腰を上げて、ハンドルにかかっていた袋を1つ引き受けた。袋の持ち手が、ずしりと手に食い込む。


「重くない? 大丈夫?」

「平気」


 昴は笑って見せる。だいぶ重いが、そこは男として、年上としての意地である。


「これで自転車漕いだら、危ないでしょ?」

「そんなことしないよ。流石にバランス取れなくて怖いし。押していくつもりだった

 から、大丈夫だよ?」


 袋を取り返そうとする晶に、もう一度「いいから」と笑って、昴はよたよたと歩き出す。晶も自転車を押しながら、横に並んだ。

 桜華堂に集まっている人間は、たまたま何かの縁で偶然巡り合っただけだ。けれど、そこには家族や友人とも違う絆が、確かにあるのだった。晶との間にも、それが少しずつ築かれているといいなと思う。


 絆とは、何だろう。

 昴にとって、家族に感じるものは、絆ではなく、鎖だった。切っても切れない、ふとした瞬間に絡みつく、忌まわしいもの。

 でも、生まれた家族から離れて、自分で好きな人たちとの間に絆を作っていくことはできる。

 だから、昴は桜華堂に帰る。少なくとも、今は。

 叶うことならばこの先も、桜華堂が自分の、皆の居場所でありますように。

 泣きたくなるような気持ちで、そう祈った。



  『第四話 こどもたちのよすが』 了

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