#3

「迷惑かけて、ごめんなさい」


 帰り道を歩きながら、晶はぽつりと言う。晶は陽介の半歩後ろをとぼとぼと歩いていた。

 日はだいぶ長くなった。夕方の6時を回ったが、まだ明るい。雨を含んだ空気はじめじめして重く、これから蒸し暑くなる季節を予感させる。


「迷惑なんて、いくらでもかけてくれていいよ」

 晶は顔を上げる。

「誰にも迷惑をかけずに生きるなんて、不可能だと思わない? だったら、何かあってもお互い様の精神で、助け合えばいいと思うよ。君も誰かが困っていたら、力になってあればいい。少なくとも、桜華堂の皆はそう思ってるから」


 陽介はいつも優しい。桜華堂の皆も。その優しさが、時々胸に痛い。優しくされるのに慣れていないから、素直に受け取っていいのかわからない。


「とりあえず、帰ろうか。お腹空いたでしょう。ご飯にしよう」

「……うん」


 じわりと視界が滲んで、顔を伏せる。

 こんな状況でも、当たり前のように、帰ってご飯を食べようと言われたのは初めてだったかもしれない。

 ずっと桜華堂で暮らせたらいい。心からそう思う。

 陽介も他の皆も、晶を決して邪険に扱ったりしないだろう。それを受け入れて、あの場所を自分の居場所だと思うのをためらってしまうのは、晶自身の問題だった。

 いつか気兼ねなく、桜華堂を自分の家だと言える日が来るだろうか。今はまだ、わからなかった。



 桜華堂に帰ってきた陽介は、店の方は仁に那由多、昴に任せ、晶と二人で夕食を摂ることにした。

 夕食は二人で一緒に作った。メニューは、ご飯に味噌汁、鮭のホイル焼きに、作り置きの筑前煮。カフェのメニューは洋食が多いので、まかない以外で食べるものはなんとなく和食や魚にしがちである。


「それで、何があったのか、詳しく聞かせてくれないかな?」


 だいたい食べ終えたところで、陽介は晶に話を振った。


「……あたしの目から見た話でいいの? 自分に都合のいいことしか言わないかもしれないのに」

「もしそうだとしても、僕は君の口から話を聞かせてほしいな」

「……」


 晶は食べ終えた食器をシンクに持っていくと、電気ケトルに水を入れ、スイッチを入れる。

 お湯が沸くこぽこぽという音を聞きながら、ぼんやりと何か考える風にしていた。ティーポットに緑茶の葉を入れ、沸騰したお湯を注ぐ。茶葉を蒸らし終えて、自分と陽介のマグカップに中身をつぐと、テーブルに戻ってきた。


「……あの……」


 晶はカップを両手で包み、上り立つ湯気を見つめたりふうふう吹いたりしている。

 しかし、カップに視線を落とすばかりで、口を開こうとしない。


「もしかして、晶ちゃん、いじめられてるとか?」

 考えていた可能性を口にするが、

「……そうじゃないよ」


 晶は否定し、それ以上は何も言わない。

 やはり、言いにくいのだろう。しかし、今は無理に聞き出そうとするのも逆効果だと、陽介は判断した。


「まあ、今日は疲れたでしょう? 明日は土曜日だし、ゆっくり休んで」

「……うん」


 少しぬるくなったお茶を、晶は飲み干す。


「これだけは忘れないで。ここは君の家だから。何があっても、僕も皆も、晶ちゃんが帰ってくるのを待ってるから」


 晶の瞳が大きく揺れた。


「……ありがとう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る