#2

「お忙しい中ご足労いただき、ありがとうございます」

「いいえ、とんでもないです」


 夕方、急いで晶の中学に向かった陽介は、晶の担任教師に出迎えられ、生徒指導室に案内された。

 そこには、簡素な机を挟んで、憮然とした表情の晶と、年配の男性教師が待っていた。確か、学年主任の先生だ。

 晶の担任は、困ったような曖昧な笑顔を浮かべた若い女性だった。優しそうだが、気が弱そうでもある。名前は、古谷志穂ふるやしほ

 学年主任の方は、陽介と同年代くらいの、厳しそうな目つきの男性教師だ。確か、竹内明夫たけうちあきおという名だったはずだ。二人とも、晶の転校手続きの際に一度会っている。


 陽介は晶の隣に腰を下ろし、古谷教諭も竹内教諭の横に座る。

「それで、一体何があったんです?」

「それがですね……」


 竹内教諭は、ちらと晶に目をやって、話し始める。

 放課後、彼は校内を見回っていた。その際に、ゴミ捨て場で争う晶たちを発見したのだという。

 放課後の清掃時間も終わり、生徒たちは部活に行ったり下校したりして、その周囲に人気はなかった。目撃したのは、晶に胸倉を掴まれた成瀬里香という生徒と、その側に倒れて手をすりむいていた、二葉雪乃という生徒。


「相手の生徒の主張では、和泉さんが突然殴りかかってきたと言うのですが……」

「ちょっと脅かそうとしただけです。実際には殴ってません。向こうが勝手に転んだだけです」

 晶が口を挟む。

「つまり、殴ろうとしたのは事実、ということだね?」

 竹内教諭はじろりと晶を一瞥するが、晶はその視線を受け止め、

「先に手を出してきたのは向こうです。わたしは謝りません。謝るなら向こうが先です」


 毅然と言い放つ。

 竹内教諭はやれやれという風に溜息を吐き、


「相手の成瀬里香の話では、友人たちと遊んでいたところに和泉さんがやってきて殴られ、二葉雪乃が怪我をしたと言うんですよ」


 その場には成瀬里香の友人数人も一緒にいて、全員が同じ証言をしているという。


「このように、双方の主張が食い違っていましてね。まあ、二葉雪乃の怪我も大したことありませんし、大事にはしたくないと言っているので、あちらの保護者には連絡していません。大事な時期ですし、内申にも響きますから。だから、和泉さんが相手方の生徒にきちんと謝罪をすれば、この件は不問にする、というのが我々の意志です。

 しかし、彼女がこんな態度ですので、保護者の方からも厳しく言っていただきたいと思い、こうしてお呼びした次第です」


「大事にしたくないのは、向こうにもやましいことがあるからでしょう」

 晶が吐き捨てるように言うが、黙殺される。


 なるほど、呼ばれた経緯はわかった。陽介は表情を変えずに、話を聞いている。

 竹内教諭は晶に視線を移し、


「聞いた話だが、君はこれまでも学校で喧嘩をしたことが度々あったとか?」

 じっと机の一点を見つめていた晶の肩が、ぴくりと動く。

「ご家庭が色々大変なのはわかります。ですが、保護者の方からもきちんと指導していただかないと。その髪も、校則違反です。そのままでは他の生徒に示しがつかない」


 晶の髪は、明るい栗色だった。しかし、これが染めたものでないことは、陽介も承知している。だが、今はそのことは直接関係ないだろう。

 つまり、数の多い相手方の生徒の言い分を一方的に受け入れ、一見問題児である晶の言うことには取り合わないということか。

 晶は膝の上で握った拳に、じっと視線を注いでいる。

 陽介は、静かに口を開いた。


「――わかりました」


 晶がちらと顔を上げて陽介を見る。その目には、年齢に似合わない、静かな諦念が

浮かんでいた。


「彼女からは、僕がきちんと話を聞いておきます。対応を決めるのは、それからでも遅くはないでしょう」


 その答えが予想外だったのか、二人の教師は、やや面食らったような顔をする。晶も翡翠色の目を丸くしていた。


「彼女と暮らしてまだ日が浅いですが、僕は晶さんの判断力や人柄を、信頼に足るものだと思っていますよ」

 だから、もし本当に晶が暴力を振るおうとしたのなら、それ相応の理由があるはずだ。暴力そのものは肯定できないにしても。

「ですから、この件は一旦保留にしていただけませんか。もちろん、こちらに非があると判断した場合は、改めて謝罪に伺います」


 大人たちはしばし視線を交わし、


「……わかりました。そう仰るのでしたら、和泉さんのことはお任せします。ただし、くれぐれもお早い対応をお願いしますよ」


 とりあえず、それでその場は解散となった。

 晶と陽介は一礼して生徒指導室を出ようとするが、晶が一度立ち止まって、振り返る。


「古谷先生」


 ほとんど口を開かなかった担任教師の名を呼ぶ。


「あの子たちのこと、何も気付かないんですか? それとも、見ないふりをしているんですか?」


 挑むような晶の視線を向けられ、古谷教諭の瞳が揺れる。


「大人がそんなだから、あたしたちは……!」

 感情のままに言葉を発しかけたようだが、それをぐっと飲み込み、

「……失礼します」

 礼をすると踵を返す。

 陽介は、慌ててその後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る