ドブ川虎柄ラプソディ

いいの すけこ

ドブ川べりの店と虎柄のシャツ

 きらめくのは、水面に反射した陽光。

 川沿いに建つ小さな店。

 かつてはごみ溜めだのドブ川だの散々に言われた川も、環境保全と水質改善のおかげで随分と綺麗になったらしい。その割に、ずいぶん濁ってる気がするけど。地元民は変わらず『ドブ川』って愛称みたいに呼ぶけど。

「いい加減、立ち退いた方がいいと思うんだけどねえ」

 一階の窓辺に座って作業をしながら、窓の外を見下ろした。

 川岸ぎりぎりに建つ店は、それでも川よりもかさ上げした場所に建っている。

 見下ろした川面に張り出して、無造作に組まれた鉄パイプの足場。その不安定な足場に乗っかるように、店は川面にせり出している。

 明らかにアウトである。

 ザ・違法増築である。

 戦後のドサクサ期に手を入れた、まだ法律が整う前のこととはいえ。今は令和なのである。

 それに。川側に向かってビー玉が転がっていく床、窓枠が歪んで開けづらい窓、壁に走る太いひび。

 明らかにヤバい。

 行政指導が入るまでもなくヤバい。

 いやもう何度も立ち入られてんだけど。行政代執行もかくやという感じだけど。

 その度に俺は、親父を説得にかかる。

 その度に親父は、握った拳に血管を浮かび上がらせながら言うのだ。


「爺さんから四代続けてきた古着屋を、そうやすやすと畳んでたまるかあ!」

 うちは曾祖父の代から続く古着屋を営んでいる。

 この、川岸に建ったボロ屋で。

 物資の少ない曾祖父の時代から、街の古着屋として親しまれた店。祖父の代ではヴィンテージだとか、ファッションアイテムとしての古着を多く扱うようになった。そのままその路線で、親父が三代目を継いで、俺で四代目。

 親父はきっちり俺を数に数えている。

 俺も家業に愛着はあるし古着は好きなので、それ自体は構わないのだけど。

「もう実店舗は、いらないと思うんだよな」

 手元にあるノートパソコンのキーボードを叩く。

 画面に並ぶ古着の写真と商品説明。俺はネット上でも古着屋を開業させた。二十代半ばの若造の柔軟さである。今やお客様のほとんどは、ネットショップからだ。このボロ屋を取り壊して、よそに倉庫でも借りたほうが賢明だろう。店は開けているものの、対面でお客様応対をすることは少なくなった。

 今日も店は静かなものである。


「すみません」

 入り口で声がした。建付けが悪くて、入り口の引き戸はがたがたと鈍い音を響かせる。

 いらっしゃいませ、の第一声が出なかった。

 久々の客だからというだけでなく、このオンボロ古着屋にはあまりに似つかわしくなかったから。

 若い女の子が、所在なさげに立っている。

 自分だって若者なわけだが、それをさらに下回って若い。高校生くらいだろうか。

 古着は若い子だって楽しむけれど、うちの店のお客様は圧倒的に大人が多かった。

 それにこの店は、外から見ただけでは本当に開店しているのかどうかもわからないくらいボロッちい。今にも倒壊しそうな店構えは、多分とても、怪しいので。

「……いらっしゃい」

 本当にお客さんだろうか、迷い込みでもしたんじゃないだろうか。

 メンズファッションがメインの店で女性客となると、さらに希少だ。 

「あの」

 意を決したように、少女が一歩踏み出す。

「この服を、見てほしいんですが」

 手に提げていた紙袋を突き出した。

 買取査定の依頼に来たのだろうか。少女のお客さんは珍しいけれど、リサイクルショップの感覚なのかもしれない。

「買い取りを」

 希望ですか、と尋ねるより先に、少女は紙袋から中身を取り出した。


 虎柄のシャツだった。

 四つ足でのしのしと歩き、あるいは真正面を睨みつけて、しっぽを立てて。

 様々なポーズをした何頭もの虎のイラストがプリントされた、目を引くことこの上ない開襟シャツだ。

「このシャツについて、知りたくて」

 少女にシャツを手渡され、思わず受け取る。

 ごくごく淡いピンクの生地。虎柄も色あせているから、元はもう少し鮮やかな色だったのかもしれない。

 よく言えば個性的、悪く言えば珍妙なデザインのシャツを、なんだって少女が、こんな古着屋に持ち込みに来たのだろう。

 軽く折りたたまれているが、ボタンの合わせと大きさからしてメンズシャツであることは明らかだ。

「売りたいわけではないんです。ただ、そのシャツについて何か、何か知っていることがあれば」

 懇願するような少女に、やや気圧された。

 シャツを広げる。


「な……」

 広げた前身頃の下半分、生地が変色していた。

 赤黒い、広範囲にわたる大きな汚れ。

「血?」

 それは明らかに血液だった。黒ずんだ、時間の経過した染み。

「私、橋の下で拾われた子どもなんですけど」

「は」

 血らしきもののインパクトに固まっていたら、少女が妙なことを口走り始めた。

「ここのドブ川にかかる橋の下で、拾われた子どもで。あ、さすがに記憶はないんですけどね、ゼロ歳児だったらしいんで。で、そんな赤ん坊だったので、おくるみって言うんですか? そういう感じのものに包まれて、河原に寝かされていたらしいんですが」

 いやいやいや待て。わけのわからんことを一方的に話しまくるな。

「その時に私を包んでいたものが、その虎柄のシャツというわけで」

 虎柄のシャツと、血と、橋の下の捨て子と。

 情報量が多すぎる!

「えーと、なんかよくわからんけど」

「だから虎柄のシャツは、私を置き去りにした人の、唯一の手掛かりというわけです。だから知りたいんですよ、何でもいいから」

 何かわかりませんかと手を組んで訴えかける姿は、まるで生き別れた親を必死で探す名作文学の主人公。

 いやそうじゃなくて。

「このお店、古着屋だし、ドブ川沿いにあるし。何か知りませんか?」 

 いや知らんがな。

 うちが店から不要な古着を、どんぶら不法投棄したわけでもなし。

 すごい、めんどくさいです。 

 なんと言って追い返そうか、思案に暮れていると。


「なんだ、お客さんかあ?」

 膠着状態に陥るかと思われた場に、不釣り合いな声が割り込んでくる。店の二階から降りてきて、ぬっと顔を覗かせた。

「お、なに。お若いお嬢ちゃんじゃないの」

 のしのしと、それこそ虎とか大型獣みたいな迫力を伴って歩み寄ってくるのは、この店の三代目店主。

「親父」

「おう。店番ご苦労」

 少女がたじろぐ。

 何しろこの親父はでかい。百八十センチ近い俺の頭を一つ越える。あと筋肉がやたら分厚い。洋服は外国のバカでかいサイズを着る人である。

「って、なんだそのシャツ」

 近づいてくるなり、親父は俺の手からシャツをもぎ取った。

「懐かしいなあ!」

「……はい?」

 喜色満面の親父に、俺は嫌な予感しかしない。

「これ、うちで作ってたシャツじゃないか」

 マジか。

 本当にうちの店とシャツに関係あっちゃったじゃん。

「うちでって、この店でか?」

 親父はしげしげと虎柄のシャツをみつめる。っていうかそれ、血っぽいのがついてるのに驚かないんですね親父殿。

「昔な。縫製してたわけじゃなくて、オリジナルデザインシャツを発注してたのよ。センスないって言われて、数枚なじみの客に配ってやめちゃったけど」

 これはこれでセンスあるような。いや、俺のセンスは親父譲りか?

「で、なんでこれ、こんな血まみれなの」

 血という認識は、親父も一応あったらしい。 


「そのシャツ、私のもので」

「お嬢ちゃんの?」

「それ、刃物で切ったような穴があるじゃないですか」

 少女の言葉に、俺と親父はシャツを確認する。確かに破れやほつれとは違う、刃を入れたような穴がちょうどお腹辺りにあった。

「そのシャツの持ち主は、何かトラブルに巻き込まれたんだと思うんですね。だってほら、なんかチンピラが着てそうなデザインだから。多分持ち主もなんかそういう人で」

 いや、それはド偏見。

「きっと危険な目に遭って。それでもまだ赤ん坊の私だけは、たとえ手放すことになっても、無事でいてくれよって。腹をドスで貫かれようとも、血でまみれていようとも。着ていたシャツを脱いで、私を包んでくれたのは最後の愛情だったんです」

 待て。そこまで行くと最早ただの妄想だ。

「どれほど深い傷を負ったんでしょう……」

 少女の表情が曇った。妄想だとしても、このシャツの惨状はなかなかだ。心を痛めるのはわかる。


「まあ腹に穴開いても、割と人間大丈夫なもんだから」

 親父は相変わらず、空気の読めない発言。そのまま自分のシャツの裾をめくった。

 バキバキの腹筋に、刺し傷のような痕がある。

 いや待て。

「……パパ?」

 まてまてまて!

「大きくなったなあ」

 親父は堪えきれない、という表情で答えた。

「おいおいおいざけんなクソ親父! やめろ嘘つくなのっかるな! それ若い頃に工事現場でバイトやっててやらかした傷っていってただろうが労災認定もぎ取ったっつってたろうが!!」

 親父の堪えきれない、は、笑いの方だろどうせ!

 少女は感極まったように、勢いよく親父に飛び込もうとした。

 感動の再会、親子の抱擁を――。


「なんっで、虎柄のシャツなのおおお!」

 抱きつくのではなく、少女は親父の胸倉をつかんだ。

「おかげで私、虎子とらこって名付けられたんだから!」

 虎柄シャツに包まれてたから、虎子。

 じゃあ竜子りゅうことか鷹子たかことかもありえたのか。いや虎子も含め悪くないけど。嫌なんだろうなあ。

「なんで花柄とかじゃないの!」

 今、親父が着てるのは花柄だけどね。ハイビスカス。

 ハイ・ビス子。

 かわいいなビス子。

 いかん頭が悪くなってきた。

「すまんな娘よ!」

「いやこの期に及んでまだクソ芝居続けんのかよ!」

 俺のツッコミを笑顔ではぐらかした親父は、軽やかに逃亡する。

 窓の下、ドブ川に飛び込んで。

「さらば!」

 浅い川を、ばっしゃばっしゃ派手に水を飛ばしながら、ハイビスカスの背中が去って行く。

 いやどうすりゃいいんだよこの状況。

「……また来ます、お義兄さん」

「誰がお義兄さんじゃ」

 頭痛い。建物が歪んで見えるのは目眩のせい――じゃないな、この沈みかけのボロ屋。

 四代続いた古着屋が川の藻屑となる前に、いや今すぐすみやかに。

 引っ越そう。

 血まみれの虎柄シャツを握りしめながら、俺は心に誓うのだった。




 

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