飛行

 奇跡はあっけなく起きた。

 琵琶湖で行われたTV番組『鳥男コンテスト』で、スチロール製の市販グライダーを改造して一般部門に参加したその男は飛行機を使わず、高やぐらに組まれた助走台から大きく足を踏み出した。

 白いスポーツウェアとスニーカー。最初からそれが目的だったろう長髪気味の男性は直立の姿勢のままで滑る様に宙を飛行した。

 さわやかな風。髪がなびく。腕を羽ばたかせもせず、空中を歩かず、姿勢を寝かしたりもせずにその男は直立姿勢のまま、ぶっきらぼうに水平一〇〇〇mほどを移動し、飽きたかの様に同じ航跡を辿って高やぐらへと戻ってきた。

 定規で線を引いたかの如き幾何学的直線の飛跡だった。

 観衆の歓声が沸いた。大勢の観衆、TVカメラにはそれが自然としか思えなかった。

 この映像が記録、公開され、世界中がその飛行の奇跡に眼で触れた。

 皆、まずトリックを疑った。

 しかし真剣な吟味の末、世界中の科学者と奇術師と特殊効果技術師がギブアップした。

 男の飛行は真実の奇跡と認定された。

 人類が沸いた。

 一躍、時代の寵児となった。

「これは奇跡でも何らかの訓練や修行の成果でもない」

 世界の全メディアのカメラの前で男は宣言した。

「俺は生まれつき出来る事をやっただけだ」

 男は平凡だった。

 その経歴に目立つものはなかった。何の契機も見当たらない。一企業の営業マンでしかなった。

 世界中の宗教集団が、奇跡を起こした男に歩み寄りを図った。それぞれに、この奇跡を起こした男こそ我らが教義が示す救世主だと時代の変換を喧伝した。

 世界の教祖達自らが男の為にその宗教の最高価な法衣を用意した。

「これは俺の力だ。神仏や悪魔の関与するところではない」

 男はフォーマルなスーツを脱ぐ事はなかった。

「俺は修行なんかしないでもお前らが言う奇跡の所業を実現した。神は死んでいる。いや、そもそも最初から存在なんかしていない。××教団のくそ馬鹿野郎! ○○教のくそ馬鹿野郎! △△の光のくそ馬鹿野郎! ※※会のくそ馬鹿野郎! ……! ……!」

 毎日正午、公共のマイクで世界中のありとあらゆる宗教組織を一つも逃さず、罵り、侮蔑し、挑発した。

 男は飛び続けた。

「俺は誰よりも自由だ」

 男の飛行する力は誰にも奪えなかった。

 科学は男の身体組成や遺伝子、脳神経、血族、居住地域のあらゆるものを分析した。しかし人生を分析しても何の違和感を見出す事も出来なかった。

 男は自らの飛行を見せる事で金を稼ぐ生活を送った。政治的にはフリーだった。

「俺は飛べるんだ」

 男は昔からつき合っていた恋人の膨らんだ腹に手を当てて呟いた。

「しかしその力を他人に分け与えたり伝授する事は出来ない。俺が死ねば人類唯一の奇跡は消えるんだ」

 人類でただ一人飛行出来る男は、飛行能力を初披露してから一七二日目にあっけない最後を遂げた。

 全財産をはたいた結婚式で、警備の盲点を突いた一四歳の少女にナイフで刺殺されたのだ。

 嫌になるほど平凡な人生を送ってきた少女。奇跡の男の刺殺が彼女が平凡でなくなる唯一の手段だった。

 白いタキシードを血で赤く染めた男は、内臓損傷と大量出血によって命を失う前に恋人に言った。

 俺は飛べるだけなんだ。

 けれども飛べる者はそれだけで飛べない者の燃える様な嫉妬を受けるんだ。

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